17話 「遙か遠くの彼らを救え!」(前編)
「ここ、テレビある?」
クリスは、部室にティーポットやらソファーやら、大量の私物を持ち込んでるモニカの方を向いて尋ねる。
「テレビはないけど、この端末で見られるわよ」
モニカは、この前にはなかったはずの大きな机の引き出しから、パッド型のコンピュータ端末を取り出した。
こういったパッド型のコンピュータは、昔に比べると随分薄くなっているものの、大きさは昔からあまり変わっていない。一時期、巻物のようにクルクルッと丸めるタイプが流行ったが、結局、今のような折りたたみ型に落ち着いている。
モニカは、折りたたまれた端末を展開すると、器用に机の上に立てた。端末はすぐに見覚えのある初期画面を映し出す。
「テレビオン、チャネル23」
モニカが音声コマンドを発すると、端末の画面はすぐにチャンネル23に切り替わる。チャンネル23はニュース専門局である。
「――というわけで、事態は非常に切迫した状況です」
テレビは、屋外でマイクを片手に話している実況中継のリポーターを映していた。
スタジオにいる司会者が、リポーターに問いかける。
「しかし、事故から数時間でよく準備が整いましたね?」
「ちょうど運良く、補給の予定があったのです」
「全くの偶然だったわけですね?」
「はい、予定を無理矢理早めて、ギリギリのタイミングでロボットを積み込むことができたわけです」
カメラが全景に引いていくと、発射台に打ち上げ寸前の状態でセットアップされ、うっすらと水蒸気を吐いている大型ロケットが映し出された。
「ケネディー宇宙センターからは、以上です」
リポーターが実況中継を切り上げると、スタジオの専門家が解説を始める。
「宇宙ステーションは、宇宙ゴミと衝突する危険と常に隣り合わせなのです。 最近ではカーボンナノチューブの多重装甲が使われていますが、今回のような大きな物体を防ぐことはできません」
「今回の衝突で、宇宙ステーションは、どこまで壊れたんでしょうか?」
「詳細はわかりませんが、酸素などの生命維持系統に重大な支障が出ています。 また、衝撃で緊急脱出船がドッキングポートから外れてしまい、地球へ帰還できない状態です」
「そこで、今回のロボットが、それを直してくれるわけですね」
司会者は、わけ知り顔でコメントする。それを聞いた慶次は絶句した。
「もしかして……、俺らが直すの?」
慶次が呆然としながら質問すると、こくこくとうなずくクリス。
「いや、無理だろ……」
「無理……じゃない」
「そもそも、宇宙船の仕組みとか知らないし」
「私たちは手足になるだけ……」
「それにそもそも飛べないし」
「宇宙服用の推進装置を付ける。 操縦は地上の宇宙飛行士がしてくれる」
「じゃあ俺らは、いらないじゃん!」
「力持ちな機体で、細かい手作業も必要。 機械人形しかできない」
「む、むむぅ……」
慶次は、クリスの的確な反論に、無理だといった自分の意見を引っ込めざるを得なかった。NASAは、十分に考えた上で最適な選択をしているようだ。
「で、誰が行くんだ?」
慶次がまわりを見回す。
目が合ったモニカは、いたずらっぽくニヤニヤする。
「もう、行く気になっている人がいるようだけど?」
「えっ? 俺?!」
「だって、さっきから『俺ら』とか言ってるじゃない?」
「いや、それはここにいるパイロットを指して言ってるだけで……」
「わたしと、慶次が行く」
クリスは、会話に割って入り、決定事項であるかのように告げる。
「え~、だってさっきは誰かあと一人、とか言ってたじゃん」
「それが慶次になった」
「いつなったんだよ!」
「今……。 それより、早く説明を聞きに行こう」
クリスの様子からすれば、アメリカで恐らく経験もあるクリスがメインパイロットとなり、控えのサブパイロットは誰でもいいのだろう。ここにいるパイロットで、操縦の腕前に問題のある者はいない。慶次は腹をくくった。
「わかった。確かにあまり時間がないようだし、な」
「時間は……まだある」
もう打ち上げ寸前だというのに、クリスは余裕があると言う。
「確かに打ち上げの時に機械人形へ接続したら加速で苦しそうだけど、その後はすぐに着くんじゃないの?」
「計画通りじゃなければ、何十時間もかかるわよ?」
モニカが口をはさむ。モニカは、宇宙にもなかなか詳しいようだ。しかし、クリスは反論した。
「最適タイミングじゃなければそう……。 でも今回は数時間で無理矢理つける」
「無理矢理?」
「普通は軌道を少しずつ変更するけど、今回は一気にする」
「大丈夫なの?」
「NASAのマザーは、帰還できないが可能だと言ってる」
NASAのマザーとは、アメリカの宇宙計画全般を取り仕切っている量子コンピューターのことである。詳細は公開されていないが、既に宇宙飛行士が不要なほど完全な制御ができるらしい。慶次もそのぐらいのことは知っていた。
「じゃあできるんだろうけど、帰れないの?」
「機械人形は、宇宙ステーションに残り、次の補給船で帰還する予定」
その時、つけっぱなしになっていたテレビ中継から、ロケットの発射カウントダウンが聞こえてきた。
「スリー、ツー、ワン……、イグニッション、アンド、リフトオフ!」
何となく目の前の電車に乗り遅れたような気分を味わいながら、慶次は、すさまじい轟音を上げ、天空を貫いて上がっていくロケットの映像を眺めた。
映像は、ずっと上昇するロケットを追っていたが、ほどなくブースターロケットが切り離され、ほんの数分で大気圏を離脱していった。
慶次は、会話するのも忘れて、しばらくテレビの映像に見入っていた。そんな慶次をクリスは黙って見ていたが、我慢しきれなくなったのか慶次を急かす。
「時間はまだあるけど、説明することは何時間分もある」
「わかった。で、どうすればいいの? 俺、英語だめなんだけど……」
いまさらながら、慶次は肝心なことをクリスに告げる。しかし、クリスは、その点はわかっていたようだ。
「指示は、日本のオペレータが出すから大丈夫」
「でも、向こうの技術者と会話するなら、モニカやドミニクの方がよくない?」
「会話より、手先が器用な方がいい……と言われた」
モニカやドミニクはあまり器用ではない、とクリスは判断したのだろう。
まあモニカはともかく、ドミニクは器用そうではあるが、慶次は、以前クリスに折り紙の鶴を折って見せたら、ものすごく驚かれたことを思い出した。
「四の五の言ってないで、さっさと行きなさいよ、慶次!」
「まあ、僕も特に行きたいわけでもないし、行きたい慶次が行けばいいと思うよ」
モニカにとっても、ドミニクにとっても、もう慶次が行くことで決定したということらしい。慶次も、実は宇宙にあこがれていたりするので、自分自身が飛んで行くわけではなくても、行ってみたいと思っていた。
「慶ちゃん、がんばってね」
今まで会話に参加してこなかった由香里が、何かほっとしたような様子で言った。
由香里は、活発な性格ではあったが、意外と慎重なところがあり、宇宙空間のような無茶な場所で作業することに不安を感じていたのかもしれない。
特に今回は、失敗すると宇宙ステーションの乗組員が全員死亡することになる。その点でも由香里はやりたくなかったのかもしれない。
慶次も責任の重さは理解していたが、他方で、誰かがやらなければならないのなら、やる気のある自分がやるべき、とも考えていた。もし由香里がこの場でやりたくないと言えば、誰もやらせようとはしなかっただろうが、そう言わなかったのは、やはり負けん気の強い、由香里の意地だろう。
慶次がそんなことを考えていると、クリスはすっとカーテンの向こう側にある自分の棺桶の方へ歩いて行き、既に服を脱ぎはじめていた。
それを見たモニカとドミニクは、口々に『待って~』といいながら駆け寄っていく。
一方、なぜか由香里に羽交い締めにされている慶次。
「俺は犯罪者かぁ~!」
「のぞいたら、慶ちゃんも犯罪者なんだからね!」
「まだ、のぞいてないだろ!」
「まだって、どういうことよ!?」
「いや、それは言葉のあやというやつで……」
慶次は、こんなに女子が見守る中、堂々とクリスの着替えをのぞくなど、ありえないじゃないかと言い返したかった。しかし、何か言えば泥沼にはまる気がして、抵抗するのはやめることにした。
しかし、こういうときに限って、いつも道場では気にならない由香里の胸が気になってしまう慶次だった。きっと道着よりもずいぶん薄い夏服のせいだろう。じっとしていると、羽交い締めをしている由香里の体温が背中から伝わってくる。また、少しでも体を動かすと、胸の押し当てられている箇所がむにゅむにゅと動く。由香里の胸に意識が行ってしまった慶次は、ぴくりとも動けなくなってしまった。
由香里は、そんなことには全く気がつかず、おとなしくなった慶次を見て満足げだった。
「もう大丈夫だよ」
カーテンの向こう側から聞こえたドミニクの声で、慶次は由香里から解放されたが、ほっとしたような残念なような複雑な気分ではあった。
慶次は、任務前なのにとても疲れた気もしたが、気合いを入れ直して自分の棺桶の方へ歩いて行く。
モニカとドミニクは、既に中に入ったクリスの棺桶の前で、なぜだか黙り込んで慶次の方を見つめている。
なんとなく背中に視線を感じた慶次は、振り返って言った。
「のぞくなよ?」
モニカとドミニクは、ぐっと言葉に詰まった後、我に返って、何か慶次に投げつけられるものを探し始めた。
モニカが手近の椅子を持って少しためらっていたので、それはしゃれにならんだろうと思いながら、慶次はさっさとカーテンの中に引っ込んだ。
ひっこんでから少し耳を澄ますと、モニカとドミニクは、特に会話するでもなく、向こうの方でも耳を澄ませている気もした。
慶次は、素早く服を脱いで素っ裸になると、棺桶の中に体を滑り込ませ、自動扉になっていないフタを手で持ち、パタンと閉めた。
新型の棺桶は、ヘルメットのような脳波読取装置が付いているほかは、旧型と変わりなかったが、横置き型なのが大きな違いだった。
慶次は、充填されるジェルで窒息しそうな気がして旧型では怖い思いをしたこともあった。しかし、新型ではジェルが毛布のように体に巻き付けられてから体に密着する。また装置から出るときにはそれがきれいに剥がれる。ただ、ジェルが体に巻き付けられるとき、スライムに食べられている感じがする慶次だった。
慶次は、あまりぞっとしない想像を打ち消すように、コマンドを口にする。
「フルダイブモード。服部慶次、ログイン」