13話 「転校生 その1」
機動歩兵、試作型参拾式の実戦テストから2週間ほどが経った。
慶次と由香里は、夏休み前の期末試験対策に追われている。
ちなみに試作機のデータ解析は随分前に終わったようで、すでに量産型機動歩兵、参拾壱式の完成は近いらしい。なおハードウェアについては、試作機とほとんど変化が無く、米軍の開発バージョンが1つ上がったにすぎない。
慶次は、勉強が忙しくなると道場を休みたくなるのをなんとか我慢して、いつもの通り朝練に通っていた。
慶次が道場に着くと、道場の様子がいつもとは違っていてザワついている。
道場の一角には、いつもは無口な兄弟子達が人だかりを作って、ガヤガヤとなにやら話し込んでいるようだ。人だかりの真ん中には、赤毛の頭がひょこひょこ見え隠れしている。
「あぁーっ!!」
慶次が声を上げると、赤毛の頭は人だかりの壁をモソモソとくぐり抜けてきた。
「やあやあ、久しぶりだね、慶次」
それは慶次の声を聞きつけたドミニクだった。
「ドミニク、いきなり日本に来たのかよ!」
「ああ、驚かせようと思ってね」
「うん、めちゃくちゃ驚いた」
「ふふっ。 さっき到着したんだけど、荷物だけ置いて、とりあえずここに来たんだ」
ドミニクは、新品の道着を慶次に見せながら続ける。
「師範には連絡しておいて、この服も用意してもらったんだ」
由香里も含めて女性の門下生も多いこの道場で、ドミニクが着る道着も珍しくはない。しかし、道着を直しながら、染み一つ無い真っ白い肌のうなじに手を当てて、少し伸びた赤い短髪をかき上げるドミニクの姿に、慶次は胸がキュンとなった。
しばらく、ふぬけた顔でドミニクを眺めていた慶次だったが、その後ろにはいつの間にか殺気のこもった影がはり付いていた。身に覚えのある背後の殺気に、慶次は、別の意味で胸がキュンとなる。その影は、おもむろに口を開いた。
「慶ちゃん、その美人さんは誰なのよ?!」
「ああ、由香里。 紹介するよ。 フランスの訓練でお世話になったドミニクだ」
「こんにちは、ドミニク・ルクレールです。今日から門下生となりました。よろしくお願いします」
ドミニクはきっちり日本式にあいさつをすると、由香里にぺこっと頭を下げた。
由香里は、ドミニクにあいさつを返して、簡単に自己紹介をした後、慶次の脇をひじでつつきながら、小声でささやく。
「なんで、あんたたち、名前を呼び捨てなのよ?!」
「いや、外国式だろ」
「だって普通、ファーストネームで呼び合うものなの?」
「うーん、知らん」
「あんたねぇ!」
「あー、お取り込み中悪いんだが……」
ドミニクは、慶次の方へにやにやした顔を向けた後、由香里の方に声を掛ける。
「遠藤さん。 もし良ければ、僕となにか組み手をしてもらえないだろうか」
「もちろん、いいよ。 それと、由香里か、ユカって呼んでね」
「ありがとう、ユカ。 柔道の心得はあるけど、お手柔らかに」
「じゃあ、着替えてくるからちょっと待っててね」
更衣室の方へ走っていく由香里の背を目で追った慶次の視界に、生暖かい視線を向けてうなずく師範の姿が映った。そのまま相手をしてなさい、ということらしい。慶次は、師範に軽く黙礼したあと、自分も着替えに向かった。
慶次が戻ってくると、由香里とドミニクは、既に一戦交えた後だった。ドミニクはまたもや、由香里の方を見ながら呆然と立っていた。コテンパンにやられたらしい。
「日本では、みんな忍者なのか……」
「いやドミニク、忍術じゃないから」
「服部流忍術、恐るべし!!」
「いやだからぁ、って、まあいいか。 じゃあ俺とは柔道でやってみる?」
慶次は、学校の授業で柔道をやった程度であったが、クラスメイトに負けたことはなかった。ドミニクは、慶次の誘いに二つ返事で乗ってきた。
「いいねぇ、慶次! やろうよ!」
ドミニクは、慶次の前に立って、お互いに一礼をした。ドミニクは礼が終わるやいなや、ささっと近づくと、まず慶次の右手のそでを取ろうとする。慶次は、それをさっと払い、すぐにドミニクの左襟を取った。少し前後にゆさぶると、体重の軽いドミニクは支えきれずに不安定に動く。
かなり体重差があるからなぁ、と慶次が思ったその瞬間、ふわりと慶次の襟を取ったドミニクは、思いのほか強い引きで慶次の体勢を崩すと、体を入れて背負い投げの型に入った。
こりゃやられたな、と慶次は投げられる体制に入り、ドミニクはきれいに慶次を投げ飛ばした。対戦を見ていた観客の兄弟子達は、おおっとどよめいた。
ドミニクと慶次が一礼を済ませると、師範がドミニクに近づいてきた。
「ルクレール君の力は大体わかった。 今後の稽古の進め方を説明しようか」
「おねがいします!」
師範とドミニクは少し離れた場所に座り、きちんと正座したドミニクは、師範の話を熱心に聞いている。ガヤガヤとしていた場の空気は、やっと普段のものに戻り、門下生達はいつものように稽古を始めた。
――朝の稽古が終わると、道場の入り口近くでドミニクと由香里が楽しげに話し込んでいた。慶次はドミニクに声を掛ける。
「で、これから、どうするの?」
「ああ、今日からそちらの学校でお世話になるよ」
「えっ?! うちに転校してくるのか?!」
「まあ、僕も高校生だからね」
「同い年だから、一緒のクラスになるといいね。 慶ちゃんも一緒のクラスなんだよ」
由香里がドミニクに言うと、ドミニクはちょっと意味深な顔をする。
「求めよ、さらば与えられんってね」
「うん? 行きたいクラスを求めたら、与えられるもんなのか?」
「誰が誰に求めるか、によるだろうさ」
ドミニクは、ふふっと笑うと、方向が反対だから、と言って二人と別れ、宿泊先のホテルに帰っていった。高校には寮もあるが、現在建て替え中で、もうすぐ完成するらしい。こちらに滞在する期間にもよるが、後で寮へ移るのだろう。
また、ドミニクの様子からすると、どうやら同じクラスになることは確定しているようだ。おそらくフランス政府筋から、日本政府へ直接要求を出したのだろう。クラス分けのような些細なことを学校が受け入れないことはまずないだろう。
慶次と由香里はいつものように帰宅し、身支度を整えると学校へ向かった。
――学校に着くと、慶次の親友、工藤準が話しかけてくる。
「なあなあ、さっき、聞いたんやけど、このクラスに転校生が来るらしいで?」
「ああ、らしいな」
慶次はあれこれ説明するのも面倒なので、しらばっくれた。
「なあなあ、女子かな? かわいい子かな? うーん、彼女になってくれへんかな?」
「おい、おまえ、妄想がダダ漏れしてるぞ!」
「うーん、きっと女子に違いない……」
「おい、こら」
「うーん、きっと赤毛の美人に違いない……」
「おい、こら、あれ?」
意外と超能力があるのかもしれない、準だった。
そうこうしているうちに、担任がやってきて、みんなを席に着かせると、あらたまった口調で言った。
「今日は、このクラスに転入することになった、新しいクラスメイトを紹介します」
「さあ、入って」
まさかズボンを履いてくるとか、ないよな? いや、あるかも? などと慶次が考えていると、ドアががらりと開いて、女の子が入って来た。
周囲の男子がどよめくなか、慶次は叫んだ。
「おまえは誰だぁぁ!!」
「こら、服部! いきなり失礼すぎるぞ、おまえは!」
「は、はい、確かに……」
入ってきたのはドミニクではなく、見知らぬ外国人の女の子だった。
灰色の髪に灰色っぽい薄い色の瞳。長いまつげに、伏せ目がちの目。抜けるように白い肌が朝日に透き通るようだ。
ただ、ドミニクのような快活な雰囲気は一切無く、冷たいと言うより、薄い感じのする女の子だった。
「なまえは……、クリスティーナ・クライン。 クリス……で、いい」
クリスは、ぽつぽつと小さい声で話す。日本語がうまく話せないのかもしれない。
「えーと、じゃあ、クラインさんは、窓際の後ろの席に座って」
担任が空き席を指さすと、クリスはすうっと席の方へ歩いて行った。
なにか微妙な、しかし色々と聞きたい、むずむずした教室の空気は、いきなりの大声でがらりと変わった。
「すいませーん、遅刻しましたー!」
バタバタと走りながら、扉をくぐって、ドミニクが教室に入ってきた。
もしかしたらズボン姿じゃないかと思っていた慶次は、スカート姿のドミニクを初めて見た。日本の制服は、赤毛のドミニクにはちょっと違和感がある。しかし、軽く汗をぬぐう仕草を見せながら、スカートをひらりと翻して振り返る姿は、凛としていて、さまになっていた。
二連続の、外国人の、しかも美人の転校生に、さらにどよめくクラスメイト。
ドミニクは、担任から促されることもなくはっきり通る声で話し始める。
「こんにちは、ドミニク・ルクレールです。 フランスから来ました。 ちょっと変わり者の僕ですが、よろしくお願いします」
「おおー、僕って言ったぞ!」
「てか、かわいい!」
「おー、まい・どりーむ・がーる!」
準も、その他のクラスメイトも舞い上がってしまい、なんだか大変な騒ぎになってしまった。そして、一部の女子は、端正なドミニクの姿にフォーリンラブなご様子だ。
「あぁ、ドミニク様、と呼びたい!」
「いいえ、むしろ、ドミニク様と呼べ、と言われたい!」
そんな騒ぎの中で、担任に質問するドミニク。
「慶次の隣の席は、空いてるみたいですが、あそこでいいですか?」
「なに、慶次……、だと?!」
「どうして、ドミニクちゃんから呼び捨てなんだよ!!」
なんだかんだと大騒ぎのクラスメイトの中を、引きつった笑いを浮かべながら、ドミニクが慶次の隣にやってくる。慶次が肩をすくめてみせると、ドミニクはみんなの方へ振り返って説明する。
「僕と慶次とは、イタリアの研究所で知り合いになってね。 また休み時間に話すよ」
おお、俺が先だ、おい、話す順番を決めろ、と大騒ぎの男どもに苦笑しながら向き直ったドミニクは、やめておけばいいのに、慶次に軽くウインクをした。うまくごまかしただろう、というつもりのようだが、それを見たクラスメイトは、さらに収拾が付かない状態になってしまった。
――大騒ぎの中、すっかり存在を忘れられてしまったクリスは、騒ぎには全く関心なく、窓の外を熱心に眺めていた。
窓の外から見える中庭には誰もいない。だが、どこから迷い込んだのか、猫が一匹、ゆっくりと歩いていた。クリスは、特に微笑みを浮かべるでもなく、ただただ猫を熱心に見ていた。