チーム医療の正しい壊し方(笑)
誤投与騒動を巡り、看護師は狂気で病院の権力構造を支配する。抗がん剤破壊、上裸土下座、実習生の生贄化──綺麗事の裏でチーム医療は静かに壊れていく。
「多職種連携。フラットなチーム医療。患者様を中心に、誰もが対等な立場で意見を言い合える、風通しの良い素晴らしい現場です」
パンフレットに躍るその美辞麗句を思い出すたび、私はナースステーションの奥で、吹き出しそうになるのを必死に堪えている。
綺麗事、万歳。理想論、素晴らしい。
でもね、ここは命を預かる戦場であり、同時にエグいほどの階級社会なのよ。
「師長さん、ちょっといいですか」
調剤室から上がってきた薬剤師の男が、眼鏡の奥の目をピキピキと尖らせて私を睨みつけている。手にはご丁寧に、電子カルテの指示履歴をプリントアウトした紙が握られていた。
「これ、呼吸器内科のゲフィチニブの投与指示。それから、こっちのアセトアミノフェン5000ミリの連続投与。どっちも看護側の明らかな誤投与ですよね? 完全に肝障害出てますよ。これ、どういうつもりですか。ちゃんと上に報告して、そっちの過失として責任をとってもらいますからね。これだからコメディカルを軽視する看護部は……」
男は「正論」という名の無敵の鎧を着たつもりで、勝ち誇った顔をしている。
ああ、かわいそうに。正論が通用するのは、義務教育の教科書の中だけだって、学校で習わなかったのかしら。
私は手元の朱肉を指先で弄びながら、ゆっくりと立ち上がった。
「あのね、薬剤師さん。……あ、失礼、コメディカルの薬剤部さん」
私はわざと、彼らが一番嫌がる言葉を強調して、最高の笑顔を向けた。
「病院の経営、誰が回してると思ってるの? この病院の全職員の6割が私たち看護部。病棟を24時間回して、入院基本料の加算をもぎ取って、病院長に一番太い札束を握らせてるのは誰?
あんたたちが1週間ストライキしても、患者の薬のパッキングが遅れるだけ。でもね、私たち看護部が『明日から薬剤部とは一切口を利きません、病棟業務もボイコットします』って言った瞬間に、この病院は1日で倒産するのよ。わかる?」
男の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「パワーバランスってものを、教えてあげるわ。全面戦争よ。令和の時代に、血判状でも書いてやろうじゃないの」
そこからの展開は、文字通り『全面戦争』だった。
もちろん、私は綺麗に勝つ気なんて最初からなかった。正論で武装したインテリを黙らせるには、法律もロジックも通じない「本物の狂気」を見せつけるのが一番手っ取り早い。
私はその足で調剤室へ殴り込み、ミキシング室に立てこもった。
「何をするんですか!」と悲鳴を上げる薬剤師たちを尻目に、棚にあった高額な抗がん剤のバイアルを片っ端から床に叩きつけ、文字通り粉々に破壊してやった。飛散する危険な細胞毒性の霧の中、私は狂ったように笑い続けた。
だが、敵もさるもの。薬剤部は病院の看板診療科である呼吸器内科のトップ医師たちと強固なタッグを組み、院長室へ押し寄せたのだ。「責任逃れと隠蔽の温床である看護部のもとでは、もう一歩も動かん。しかもミキシング室で抗がん剤をぶちまけて暴れただぁ?テロじゃないか!明日から外来も病棟も全面ストライキだ」と冷徹に告げられた瞬間、私たちの中心にいた院長の頭の中で、パチン、と何かが弾け飛ぶ音が聞こえた。
「あああぁぁぁ……あああぁぁぁぁ!!」
突然、院長が奇声を上げながら、自分の着ている高級なワイシャツのボタンをもの凄い力で引きちぎり始めた。ブチブチと音を立ててボタンが床を転がり、ネクタイが引き千切られる。あっけにとられる一同の目の前で、院長は一瞬にして上裸になった。
「す、済まなかったあぁぁぁーーー!!!」
すさまじい咆哮とともに、院長はそのままリノリウムの床へダイブした。
ドスッ、という鈍い音が響く。
頭頂部を床に激突させ、むき出しの背中を激しく震わせながら、呼吸器内科の医師と薬剤部の足元で完璧な「土下座」を極めたのだ。
「私の不徳の致すところだ! 看護部が悪いんじゃない、私が隠蔽を指示した! だから頼む、ストライキだけは勘弁してくれ! 頼む! 頼む!」
床に額を何度も打ち付けながら、半狂乱で許しを請う上裸の院長。
その背中には、冷房の風に晒されて冷や汗がだらだらと流れている。
正論で武装していたはずの医師も、眼鏡をキリッと光らせていた薬剤師も、完全に言葉を失っていた。
人間、想定内の反論にはいくらでも言葉を返せる。だが、「追い詰められた病院のトップが、突如服を脱ぎ捨てて半裸で号泣土下座し始める」という、医学の教科書にも載っていないレベルの生々しい狂気を見せつけられると、脳の処理能力が完全にキャパシティをオーバーするのだ。
「……もう、いい。分かったから、服を着てくれ、院長」
呼吸器内科の医師が、まるで汚いものでも見るかのような目で顔を背け、ポツリと呟いた。
ドン引き、という言葉すら生ぬるい。圧倒的な不条理と狂気の前では、正義もロジックもすべてが霧散していく。
私の勝ちだった。
いや、服を脱ぎ捨ててプライドごと全てを投げ捨てた、院長の勝ちだったのかもしれない。
「ま、これで見せしめとしては十分ね」
私はナースステーションに戻り、お気に入りの紅茶をひと口すする。
もちろん、これで終わりではない。院長と大学側が裏で手を組み、この騒動のすべての責任を「不注意で棚を倒した大学の実習生」に擦り付けることで折り合いをつけたのは、その日の夜のことだ。
「学費をタダにする」という甘い罠。




