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幽冥婚姻譚〜契約夫婦の怪異録〜  作者:
第一話 常闇に棲む

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『俺は――ただの人間だ』


 暗闇の言葉に、椿は不思議と納得してしまった。何度と、人のようだと思った感覚は間違ってはいなかったのだ。だとしても、この暗闇――()が長年にわたり、これまでの儀式の供物を喰っていた正体であることに変わりはない。話によれば、もう三百年は続いているのだとか。そうなると、男は人間と言っても死人になるのか。椿は警戒したまま、慎重に言葉を返した。


「自力では出られない……のでしょうか」

『ここは封じられている。出られるのであれば、とっくにやっていただろうよ』

「封じ……」


 だからだろうか。椿は自身が入ってきた入り口を思い出す。蔵の重厚な大扉を開ける音。それが三回続いた記憶があった。

 ただ不可思議なことに、その全ての扉に錠前が付いており、さらには前の錠前を外すと、今度は背後で鍵を閉める音が鳴ることもあった。


 ――あれも、儀式の作法だったのかしら……。


 不可解とは感じていたが、今になって思えば堅牢な牢獄に何かを閉じ込めているようにも思えて、椿は男の言葉が真実味を増しているような気もした。

 ただ、男を此処から出す、という妙案を思いつくわけでもない。そもそも、生贄を食らうようなものを出してもよいものなのか。まだ、男が人間と名乗っても何なのか椿は知れないところにある。


「外に出て、何を?」

『さあな、何をすると思う』


 男は、椿に向かって『腹は立たないのか』と問うた。それは、男が今、自分を封じているものたちに怒りがあるから、ではないのだろうか。そうなると、男を外に出して何が起こるかなど、想像に難くない。

 しかし、椿の中で生まれた欲望がその犠牲を厭わない思考に至っていることも事実。何よりも、椿は男が閉じ込め続けている状況に同情が芽生えてもいた。

 それは、椿もまた似たような状況で生きてきたからでもあった。


「……どうやって外に出すかは、まだなにも思いついていません。私との約束を守ってくれるのであれば、取引に応じます」

『なんだ、外に出たら人間を殺すなとでも?』

「いいえ、私の大事な方たちを殺さないで欲しいという約束です。あなたが閉じ込められてきたというのなら、あなたの怒りも理解できるつもりですから」


 椿はすっぱりと言い切った。椿が腹を立てないのは、もうそんな感情よりも諦めの方が強かったからだ。

 盲目が故に虐げられてきた。目が見えたのなら、自分を虐げていた者達へ恨みも湧くのだろうか。そんな考えがちりりと胸に湧いたが、それよりも強い望みが椿の胸を埋めて、恨みなどかき消えてしまった。


「私はもう、幼馴染の顔を一目見ることができたのなら、心残りはありません。最後に私を殺して下さるのであれば、あとはどうぞお好きに」


 椿の決意は固かった。背筋を伸ばしたまま、正面にいるであろう男を見据える。目が見えるようになったところで、ようやく自由を手に入れた鈴の人生を邪魔するわけにはいかない。だから、椿は結局のところ一人だ。それならばもう、両親の元へと旅立ちたいとすら願っている。

 せめて、人生の一幕を閉じ込められた哀れな女ではなく、鈴の笑顔で締めることができたなら――幸福な瞬間で終わらせたかった。


『……おまえ、いい女だなぁ』


 そう言った男の喉が、ごくりと鳴った。まるで、何か飲んだような。となれば、屠蘇台にあった酒だろう。

 思った通り、男は酒精を絡ませた声で『はあ』、と熱い息を吐いた。そうしてもう一度、酒を注いでような音が聞こえる。まだ、飲む気なのか。


 ――本当に、人が目の前にいるみたい。


 今も、椿の目の前に男はいるが、実際のところ人の気配ではない。人のようなもの、としか言えない妙な気配を前にして、椿は何気なく男の挙動を観察していた。だが、次の瞬間にはそんな考えも失せた。


『これを飲め』


 男が何か、目の前に差し出したのだ。これが何か、椿は受け取るまでもなく察した。鼻腔をくすぐる酒精。盃だった。

 椿は盃を受けとるも、見つめるようぬ眼前に添えたまま、どうすることもない。


『婚姻による契りを交わし、お前を俺の妻とする』

「……それに意味が?」

『俺は名乗っていないが、便宜上神だ。神の妻となったお前は、神の眷属。俺の力を一部譲渡できる。半分は人でなくなるが、半分は人のままのはずだ。それならば此処から出ることも可能』


 男は自分が人間だと名乗ったのに、不思議と確信のある言い方だった。しかし、椿にはどうでも良いことだ。

 

「封を解く方法は?」

『探るしかない。それがお前の役目だ』


 椿は盃を口元へと近づけた。初めての酒の芳醇な香りは刺激的で、それだけでも酔いしれてしまいそう。


「もし、私が裏切ったらどうしますか?」


 目が見えるようになって気が変わったら。椿にそんな考えはなかったが、何故だか口にしてしまった。試すような物言いにも聞こえたかもしれない。しかし、男はあっけらかんと言った。


『それは、俺に見る目がなかっただけだ』


 男の声は歪みながらもさっぱりとしていたはずなのに、同時に物寂しさも感じさせた。

 いびつである気配がしんみりとしたようで――その気配の変化が、椿の背を後押しもした。

 ごくり――と。本当は、何度かに分けて飲まなければならなかったような、そんな浅い知識が頭の片隅に浮かんだが、椿は勢い任せに一気に飲み干した。不思議と、甘いと感じて、「ほう」と一つ、熱い息を吐いた。


『いい飲みっぷりだ』


 声と共に、椿の手の内から盃の感触が消える。男が持ち去ったのだろう。それに続いて、もう一度酒が注がれる音もする。最後まで飲むつもりなのかもしれない。


「さて、これで俺とお前は晴れて夫婦だ」


 男が飲みながらも言った声から、いびつさが薄れた気がした。気配も、人に近づいた気もする。

 だがそれよりも、男の言葉で椿ははたと気づく。

 儀式は三日と続く――らしい。それが本当かどうかまでは椿に判らないが、恐らく蔵の中の確認程度には現れるかもしれない。それまでは扉が開くまで待たねばならないだろう。そうなると、その間はこの男と過ごすことになる。

 成り行きで夫になったとはいえ、それが何故だが気恥ずかしくなって、椿の身体が硬くなった――それと同時、男が立ち上がったような気がした。いや、立ち上がったのだ。ひたひたと椿に近づいて、そして背後に回った。

 何をされるのか。椿は神とやらに対峙していた時とはまた違う緊張が生まれたかと思えば、肩に何か触れた。

 椿の肩が思わず跳ねる。

 酔いも醒め、動揺が椿の心臓を焚きつけた。煩い鼓動を抑えるように、椿は膝の上に置いた手をぎゅっと握った。が――


「なにもしねぇよ」


 耳元で、低い男の声がした。壮年――二十代ぐらい……だろうか。その声は、やはりいびつではない。


 ――そういえば、もう怖くもない。


 椿は振り返ろうとするも、背後から抱き締められてしまう。何が何だかわからないまま、背中は熱くなり、身体は横向け――寝ころばされていた。

 体温がなかったはずの、男の手が熱い。腹に回された手、うなじに感じる男の吐息。椿に触れている男の身体、そのすべてが人のような体温を感じるのだ。


「気味が悪いだろうが、このまま寝させてくれ」


 ふと、思う。


 ――本当に、人間みたい。


 椿は抱かれた腕の中、なんと無しに男の腕に触れてみる。麻の着物の感触、筋張った男性と思しき腕。確かに、人のそれだ。


 ――このひとも、自分の意志と関係なく閉じ込められた……ということなのかしら。


 椿は八年の時間、まっとうな自由など無いまま過ごした。しかし、常に鈴がそばにいたから、寂しくはなかった。しかし、この男は一人――そう思うと、椿は初めて男に興味が湧いた。


「ねえ、あなたの名前は?」


 男は躊躇いながらも、答えた。


「……(おぼろ)。お前は?」


 椿はそっと答える。

 

「椿」

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