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幽冥婚姻譚〜契約夫婦の怪異録〜  作者:
第一話 常闇に棲む

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2/5

 夜の底のような真っ暗闇だった。

 音もなく、人や動物、虫の気配すらない。

 聞こえるものがあるとすれば、自身の呼吸と鼓動だけ。


 その暗闇の中、妙齢の女が一人、恐怖に忍び耐えながらも、冷たい木の床の上に(かしこ)って座っていた。

 女の姿は、いわゆるところの花嫁衣装だ。

 (あで)やかな牡丹や菊の大輪を咲かせた柄の引振袖(ひきふりそで)。 

 結われた髪には、銀細工(ぎんざいく)(かんざし)花飾(はなかざ)り。 

 唇には(あざ)やかな(べに)

 帯には金糸が使われ、武家にでも嫁に行くと思われるほどに贅沢な品だった。

 その証拠に、女の目の前にあるのは屠蘇(とそ)(だい)だ。まるで、今から婚礼でも始まるような様相。だが、隣に花婿の席はない。

 代わりに女を囲うようにして、米俵や餅、果実や酒、そして秋の旬の野菜や山菜、中には、上質な絹や金の粒まで所狭しと並べられている。これでは婚礼というよりも、儀式――花嫁も供物の一つとでも言っているかのようだった。




 ――――のだが、現状、女には何一つ状況が見えてはいなかった。

 暗闇だからではない。暗闇など、女にとっては生まれながらにして隣人のようなもの。

 女――椿(つばき)は、生まれながらに盲目だった。

 自身が着ている花嫁衣装も、目の前にあるであろう屠蘇台も、周りに置かれた供物も、全て、されるがままに用意され、または誰かの気配で察し、聞こえた話で認識しているに過ぎない。更に言えば、今いる場所も、手を引かれようやく辿り着いた場所だ。話によれば、ここは蔵ということだが――その程度のことしか知らない。

 ただ、椿は今自分が置かれている立場だけは把握していた。自身が、八千矛神(やちほこのかみ)の生贄であるということを。

 逃げる素振りもないのは、覚悟をもってしてこの場に(のぞ)んだからだ。しかし、椿のその身はカタカタと震えていた。覚悟があるからといって、簡単に恐怖までは拭いきれるわけではない。

 恐ろしいのは暗闇ではなく、音の無いこの状況だ。

 無音の闇の中、誰の気配もない。扉は完全に施錠され、密室も同然。温度に変化はなく、流れることもない冷えた空気が窓どころか隙間もないのだろうと予測させた。

 夜の静けさともまた違う完全なる無音は、畦道(あぜみち)を歩いているときに聞こえた、稲が風に揺れる音が懐かしく感じるほどに孤独を感じさせた。それが恐怖を助長させていたわけだが――それでも椿は恐ろしいとは感じても、怯えて泣き叫ぶことはなかった。

 しかし、いつまでもそのままではいられない。


 ――ああ、まだ生きている。

 

 自分の緊張したままの鼓動の音を聴きながら、今一度、決心したように居住まいを正して、両腕を膝の前に突き出して三つ指を突く。そうして、ゆっくりと平伏した。

 誰でもない、蔵の中の暗闇に向かって。


「ここに御坐(おわ)します、八千矛神(やちほこのかみ)様。どうか、私を殺して下さいませ」


 椿は唇を震わせながらも、ゆっくりと言い連ねた。

 この蔵には八千矛神が棲まうと云う。豊穣(ほうじょう)をもたらす神として、刀根田村で独自に祀られる存在だ。

 椿は十年に一度の儀式の一環としてここにいる。八千矛神との契りを強くするため、花嫁を模した巫女役の女を神の御許(みもと)へと(つか)わすのだ。儀式は三日、その間、夫婦として蔵の中で過ごすのだとか。そんな話を養父となった刀根田村の庄屋(しょうや)(村長のこと)から聞いていた。しかし、実際にそれは建前だということも椿は知っている。

 儀式の真実は、八千矛神が贄を喰らうためのものだということを。


「あなた様が人を喰らうとの話を耳にしました。私は目が見えません。もう帰る場所もありません。だからどうか、一思いに」


 できれば痛みなく死ねますように。これ以上、怖いことが起こりませんように。そんな切なる願いを込めて、椿は言葉を終えた。

 もう直、痛みが降りかかるだろう。その瞬間を恐れて、意味もなく目を強く瞑った――のだが、いくら待てども一向に神なるものは現れない。


 ――()()()()は嘘? いいえ、()()()は私を脅かすのが好きだけれど嘘をついたことはない。


 椿には確信がある。虫の知らせのようなもの、とでも言えば良いのか。

 だから、もうしばらくすれば――そんな予感を胸に、平伏したまま待った。すると、空気が蠢いた気がした。空気の些細な揺るぎとでも言えば良いのか。しかし隙間風が吹いたような気配はない。

 そんな時――ふう、と誰かの息づかいが聞こえた。それが、始まりだった。


『……むざむざと喰われに来たのか』


 低い男ともとれる、だが、異質に歪んだそれは人とは言い難い声だった。

 声が耳へと届いた瞬間、肌は総毛立ち、恐怖と緊張で平伏したままの身体は硬くなった。しかし、不思議なことに椿は恐怖を感じつつも、声に既視感も抱いていた。

 椿は盲目だが、人一倍耳が良い。そのよく聞こえる耳は、どうにも人の声以外も拾ってしまうようで、人ならざる気配には覚えがあった。と言っても、いつもであれば椿の耳に届く声は、囁く程度の害のないものたちだ。小さな噂話だったり、椿を戯けるように話しかけたりと。そのものたちが、椿に刀根田村の神の正体を教えたのだが――それらと似ていると感じるとも、違うとも思った。こちらの気配はもっと大きく、それでいて()()()なのだ。


 刀根田村に来ることで、椿は死を覚悟していた。だからといって、今までに感じたことのない(おそ)れに恐怖しないわけではない。

 それでも、椿は震えを抑えるように手を握り締める。今一度顔を上げ、何も映さない両目を見開き、声を張り上げた。


「目が見えない私に行くあてなどありません。だから、確実に死を(たまわ)っていただかねば困るのです」


 自己の主張を大きく述べて、椿はもう一度首を垂れた。そうすることで、首を差し出すように。


「ですからどうか」


 椿は真摯に、そして切実に訴えた。

 だが、指折りいくつ数えて待っても、一向にその時は訪れない。何か、気分を害してしまったのか、それとも弄ばれる前触れなのか。そう考えた矢先。


『なあ、』


 突如、椿の耳元で先ほどの歪んだ声が鳴った。だのに、気配は掴みどころがない。

 そばにいるようで、いないような。人ではないことだけが判然としていた。椿は驚きはするものの、姿勢を崩すほどではなかった。


『お前、目が見えないから此処に放り込まれたんだろう』

「そうです」

『腹は立たないのか』


 椿はきょとんとして、しかしすぐに応えた。


「腹を立てることに意味を見出せません」


 存外、人のような質問だと思った。が、その考えは腹の中に隠した。


「一人で生きていくほど、辛いこともありませんから」


 椿は淡々と、それこそ苦しみを吐き出すように言った。一人で生きていく覚悟も経験もない。生まれてこの方、何一つとして見えた試しもないからこそ出た言葉だった。

 何よりも、椿は逃げるという手段を選べなかった。盲目の椿が逃げるとなれば、誰かの手を借りなければならない。椿が逃げたいと言えば、手を貸してくれる者はいた。椿にとって、友人でもあり、幼馴染でもあり、椿の両親が急逝(きゅうせい)してからもずっとそばにいてくれた者だ。恐らく、椿が願えば後先考えずに行動してくれたことだろう。しかし、それだけは出来なかった。


 幼馴染――(すず)は下女として拾われた少女だった。献身的に椿を支え、別れのその時は涙を流してくれた。そんな鈴を犠牲にしてまで、椿は生きたいとは思えなかった。何よりも、鈴がいなければ孤独という事実が椿の覚悟を決意させてもいたのだ。

 だからこそ――続く暗闇の声は、椿を困惑させた。


『はあ、つまらねぇなぁ』


 溜息を吐いて、落胆したような調子で声を暗闇の中で響かせる。しかしその様子がどうにも、いびつな声であるのに、人間染みていた。

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