第1話 失踪していた妻
俺の前から姿を消した妻、アントネラ。
最初は攫われたり、何らかの事件に巻き込まれたのではと思った。
しかし、旅装をしたアントネラが、1人馬車に乗り街を出るところが目撃されており、自分の意思で姿を消したと分かった。
当然方々を探したが、その行方は今も分からないまま…
「アレックスもう3年だ、諦めろ」
「そうだぜ、隊長がそんなんじゃ部下も締まらんぞ」
仲間達は今も諦めるよう言ってくれる。
俺が近衛騎士になる為、王都で試験を受けに1か月間の選抜試験で留守をしている最中の失踪。
最終試験の前日、義父からの手紙で知った。
それが原因で最後の試験に落ちたのではない。
試合形式の立合いで相手に負けたのだ。
ただの負けではない。
俺の剣技は相手に全く通用しなかった。
相手に一撃しか与えられず、その後は一方的に叩きのめされてしまったのだ。
『アレックス戦闘不能!
勝者カリーナ!!』
あの時に聞いた審判の声は未だに脳裡から離れない。
全身を滅多打ちにされ、大の字で倒れた俺を覗き込む勝者の顔。
少し大柄の美しい女だった。
とてもではないが、強者に見えなかったが俺は完全に負けた。
選抜試験の後、失意のまま会場を後にした。
1週間後、ようやく帰り着いた屋敷。
妻の部屋にアントネラの姿は無く、失踪は現実だと知った。
傷が癒え、直ぐアントネラを探すつもりだったが、俺の立場がそれを許さなかった。
元々俺は王立軍の中隊長。
国に仕える立場を放棄する事は忠義に反する。
『アントネラは私が探す、貴殿は自分の任を果たされよ』
元上官であった義父の言葉に頷くしかなかった。
一人娘だったアントネラに入婿の形で入った結婚生活。
出会いは見合いからだったが、妻を愛していた。
たった2年しか過ごす事が出来なかったが、お互いの心が通っていたと信じていたのに。
妻の部屋からは衣類と、金が消えていたが、それほどの大金ではなく、俺の贈った貴金属類は殆どが残されていた。
『浮気の線とかはないのか?』
『愛想尽かされたとか…』
口さがない奴等の陰口。
それでなくても、美しいアントネラは人気があり、俺との結婚が決まった時には野郎共からの嫉妬が凄かった。
『なぜ俺と結婚を?』
父上からの命令でしたと、言われるのが怖くて一度も聞けなかった…
[アントネラが見つかった]
義父上の呼び出しに急いで駆けつけた。
「どこです?アントネラはどこに?」
「アレックス、落ち着け」
「も…申し訳ございません」
大隊長を務める義父上の執務室。
息を切らし入室する俺を義父が窘めた。
「討伐隊に居たのだ」
「討伐隊…勇者のですか?」
「…うむ」
討伐隊とは勇者カリムラン率いる王立軍の名称。
4年前、勇者が神託され、魔獣を討伐をする為に翌年結成された。
隊員達は国内から選ばれた精鋭揃い。
俺が挑み、不合格となった選抜試験も、これであった。
「しかし、なぜ今まで分からなかったのです?」
「…偽名を用いていたそうだ」
「偽名を?」
そんな事が出来る筈がない。
身元の調査は非常に厳密で、試験を受けるだけでも、推薦状が無いと無理なのに。
「私の印を使い、推薦状を偽造しておった…」
「まさか…」
義父上の印を使ったのか、だが疑問はまだ残る。
「なぜ今になってアントネラだと?」
「荷物の中にあった指輪に…」
「指輪?」
「名前が彫られていたのだ」
「まさか…」
一つの指輪が頭に浮かぶ。
俺が贈った結婚指輪、その内側には俺とアントネラの名前を彫っていた。
「今…アントネラは」
指輪で身元が分かったと言う事は、アントネラに何かが起きたのは間違いない。
まさか死んでしまったのか?
「生きておる、私が引き取って…」
「私が行きます」
「アレックス…」
「私が行きます、アントネラは私の妻ですから」
「…そうか」
義父上は力なく頷く。
いつもの覇気が無い。
俺が行かないと、アントネラの真実を知らないと、先に進めない。
「分かった…すまないアレックス」
「頭をお上げ下さい」
こんな義父上の姿は見たくない。
きっと、まだ隠している事があるのだろう。
しかし、受け止めなくては。
討伐隊が現在宿営しているのは、俺が住む街から馬で一ヶ月ほど離れた辺境の山城だった。
魔獣討伐を果たし、補給と休養を取っているという。
「アントネラの件で参りました」
「うむ、少し待っておれ」
山城を護る兵士に義父上から預かった書状を渡す。
彼も討伐隊の隊員だろう、醸し出す強者の雰囲気、やはり凄い。
それだけに、どうしてアントネラが討伐隊に入れたかが分からない。
一応アントネラは治癒魔術を使えるが、実力は中級程度、剣の腕も人並みでしかない。
精鋭を揃えた討伐隊に参加出来るとは到底思えなかった。
「アントネラの関係者とは君か?」
「そうです」
しばらくすると現れた1人の兵士。
身体から頭までも青白いフルプレートの鎧に身を包み、顔すら見る事が出来ない。
立ち昇る強者のオーラ、先程の兵士とは比べ物にならない。
これが本当の強者か…
俺の本能が告げていた。
「貴殿の名前をもう一回聞いてもいいかし…な?」
「ア…アレックスと申します」
完全に呑まれている。
意外と声が高いな。
「ついて来て…来たまえ」
「はい」
兵士に続き門を潜る。
まだ名前さえ分からないが、どこかで会ったような気が…気の所為だろう。
「このテントにアントネラが居る」
「…ここですか」
砦内の広場に立てられた幾つかのテント。
一際大きく頑丈そうなテント、これは討伐隊が使っている物に違いない。
「入るぞ」
「こ…これはカリムラン様」
テントに入ると中に居た兵士隊が一斉に道を開けた。
それより今確かに兵士は…
「…カリムラン?」
まさか…それって?
「名乗りが遅れたな、私はカリー…カリムランと言う」
「まさか貴方が勇者カリムラン様…」
「まあ一応ね」
まさか勇者だったとは。
しかしそれなら納得が出来る。
勇者カリムランといえば、世界最高の実力の持ち主。
その剣技と魔法に比類する者はいない。
彼が居たからこそ、魔獣に対し退避するのではなく、闘う事を決めた程だ。
「私の事はいいで…いいだろう。
それよりアントネラはここに居る」
「ここにアントネラが」
テント内部はいくつかに区切られ、そしてある部屋の前で勇者は振り返る。
「入る前に少し良いか?」
「はい」
勇者様に促され、用意された椅子へ座った。
「現在アントネラは殆ど話す事が出来ない…だが生きてはいる」
「殆ど話せないって、アントネラはどんな怪我を…いや、すみません」
「分かるわ…いや、分かるよ。
実は今回の魔獣は厄介な相手で私達は苦戦を…」
話によれば、千人近く居た討伐隊は今回の闘いで数十名が死亡、半数近くが怪我を負ってしまったそうだ。
そんな中、大した能力もなかったアントネラが無事に済む筈がない。
寧ろ生きていただけ幸運と思わなければ。
「ヒュドラの毒を浴びたのだ」
「ヒュドラ…ですか」
ヒュドラの毒は麻痺毒。
いつ回復するか分からない猛毒、一生治らないかもしれない。
それでもよく助かったもんだ。
身体は麻痺を起こし、呼吸がうまく出来なくなり、長い苦しみの末、最悪窒息死するという恐ろしい物。
「戦士長のマンフレッドが前に居てな」
「マンフレッド?」
その人が壁となって、アントネラを庇ってくれたのか。
マンフレッド様に礼をしなくては。
「マンフレッド様は?」
「残念だが、その3日後にくたば…亡くなったよ」
「そうですか」
痛ましい事だ。
戦士長としての責任感からアントネラを庇ったのだろう。
高い地位に奢らず、立派な人間だったんだな。
「そろそろ入っていいわ…いいぞ」
「あ…はい」
いかん、考えこんでしまっていた。
早く入ってアントネラの様子を確認しないと。
部屋を区切っていた仕切り布を上げる。
整頓された室内。
その中央に置かれたベッドの上にアントネラは寝かされていた。
「私は席を外そう、終わったら呼んで…くれ。
部屋には誰も近づかないよう伝えておく」
「ありがとうございます勇者様」
カリムラン様が出ていき、室内には俺とアントネラ2人きりとなる。
ベッドの上で眠るアントネラ。
身体に毛布が掛けられており、顔は綺麗なままだ、3年前と変わらず…
「ん?」
アントネラの左手薬指に指輪が填まっている。
これは俺の贈った指輪ではない…
「…こ…これは」
指輪を確認し、元に戻す。
見てはならなかった、見るべきでは無かった。
そっと左腕だけ毛布を被せた。
「……」
アントネラのまぶたが開く。
僅かに開いた瞳、どうやら目が覚めたようだ。
「アントネラ分かるか?
俺だ、アレックスだよ」
「……!!」
アントネラの目が大きく開く。
その瞳に安堵の色は無く、驚愕と狼狽、そして恐怖が滲んでいた。
「生きていただけで良かった」
そっとアントネラの右手を握る。
全く力の入ってない手、心なしか震えているようにも感じた。
アントネラの視線が慌ただしく動き回る。
一体何を伝えようとしている?
「なるほど…」
どうやら左手を見られたらと心配しているのか。
「そろそろ行くよ…カリムラン様にお前の事を頼んでおく」
あまり長く居られない。
「ア…アレ…」
「アントネラ…」
僅かに聞こえる掠れ声。
何を言いたいのか。
「…ご…ごめ…」
「いいよ、義父上も分かってるだろうから」
義父上が躊躇っていた訳はこれだったんだ。
「それじゃ…」
「…ア…アレ…まっ…」
アントネラの目から伝い落ちる一筋の涙。
俺は視線を逸らせ、部屋を出た。
「終わった…かな」
「ありがとうございました」
部屋を出るとカリムラン様が1人佇んで居た。
全く気配を感じなかった、さすがだ。
「もう少し時間良いかな」
「は、え?」
「あなたと会うのは2回目なの…」
「…え」
そっと耳元で囁いたカリムラン様の言葉。
その声色は間違いなく女性だった。
「ふう…」
「やはり貴女は…」
勇者は兜を外す。
その下から現れたのは3年前、俺を完膚なきまでに叩きのめしたカリムラン、いやカリーナだった。
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