第七話 食事会という名の戦場
約束の夕方にグレンの店に行く。昨日、露わにした感情が嘘のようにグレンの顔は穏やかだった。静けさに満ちた森のような微笑が逆に気味悪く感じた。
グレンがドレスを出して勧める。
「どうぞ試着してください」
コレットは試着室に入った。着る前に服に毒針が仕掛けられていないか注意した。
安全だと確認してから試着する。サイズはほんの少し余裕がある。コレットの成長を見越しての直しだ。
グレンはこのドレスをあと何回か着る想定で直している。ドレスを一着しか持たない王族がいるとは考え難い。また、アルカン王がケチだと思えない。
コレットはドレスの着心地を確かめながら、そっと思う。
「穿った見方をすれば、グレンはどこかで偽者として私が捨てられると思っているのかしら。だから、これ一着を着回せばいいと思っているかしら。そうはいかないわよ」
試着室から出てグレンを褒める。
「素晴らしい腕前ね。きっと町でも人気だったのでしょう」
お世辞ではなく、賞賛は本物だった。それに褒めるだけならタダでもある。
グレンが微笑みを湛えて褒め返す。
「褒めていただき光栄です。お嬢様も、よくお似合いですね」
グレンの微笑みの裏に何があるかわからないが、ひとまず現状はこれでいい。まずは食事会を乗り切らないといけない。
翌朝、迎えの馬車がきた。高級な黒い馬車である。馬はこの辺りでよく見る茶色い馬だった。小規模ながら馬牧場の娘であるコレットはすぐに良馬だと見抜いた。
「これは買ったら高いわね。借りるだけも庶民には無理だわ」
御者は黒い服を身に纏ったグレンだった。グレンが恭しく黒塗りの客車部分の扉を開ける。内装は赤で統一されており洒落ている。クッションも良質なものなのか柔らかい。それなのに背中と腰をしっかり支えてくれる。
いつも町に行く時に使う乗合馬車より格段に良い。だが、移動するのにはもったいない気がする。高級馬車を借りる金があるのなら、美味しい白パンを買ったほうがいい。
座席には厚い本が置いてあった。何かなと思うと、グレンが教えてくれた。
「人間の世界に関するマナーについて書かれた本です。御一読ください。できれば、覚えてください」
背表紙を見るがかなり厚い。溜息が出そうだがやるしかない。コレットとしては恥を掻いて笑われてもいい。だが、食事会への参加の段取りをしてくれた人間に迷惑を掛ける。
「よし、やってやるわ」
気合を入れて読み始めると、馬車が走り出す。文字は綺麗だったが、内容が頭に入ってこない。しばらくすると、眠気が襲う。そうなると、フカフカの座席は気持ちよく、振動すら心地よく錯覚する。気が付くと町だった。
「やってしまった」と後悔する。グレンは御者席と客車を繋ぐ窓からコレットを見ていた。小言を言わないが、グレンの目には呆れの色が浮かんでいる。
お昼時だったので、屋台で軽食を買った。軽食は小麦の生地にトマトピューレと山羊のチーズを載せて焼いたもの。シンプルだがくどさがなくていい。
グレンが気になったので注意する。
「食事会の開始は二時間後ですよ。そんなのを食べたら食べられなくなりますよ」
「問題ないわ。食事会の料理にはほとんど手を付けない予定だからね。貴族たちがいるのな、ガツガツ食べるわけにはいかないでしょ」
ぎこちない、そそっかしい、は問題ない。だが、あまり目立ちたくはない。
「そういえば魔王の娘を名乗っていた娘がいたわ」と後から噂になる。ないしは、魔王の娘と名乗って「面白い娘ね」辺りに落ち着くのがベストだ。
まかり間違って、大々的に注目されては余計なトラブルを招く。
ミレーにしてみれば物足りない結果になろうが、会場にいるコレットにはコレットの立場がある。
「確認だけど、魔王の娘とバレて危なくなったら助けに来てくれるわよね」
グレンがニコっと笑って答える。
「本当に危なくなりましたら、必ずやお助けしますよ。お嬢様」
「本当に」の枕言葉が気になる。取り方によっては処刑寸前までは何もしない、の意味かもしれない。なにせ、グレンが自分をどう思っているかが、まだ不透明だ。
「これは期待できないかもね」とコレットはグレンを疑った。立ち回り次第で食事会は天国にも地獄にもなる。
馬車を停めておく宿屋で、途中まで読んだマナー本を読んだ。
時間が経つと部屋のドアがノックされる。
「お嬢様、そろそろお時間です。着替えをお願いします」
コレットは食事会という名の戦場に赴くためにドレスに着替えた。