第三十九話 不安な夜
夜に騒がしくなるのは近所迷惑なので止めて欲しい。だが、誘拐同然でブラウン卿を連れて来た手前、止めるわけにもいかない。なぜかブラウン卿が出て行っても外は騒がしくならなかった。
何が起きているのかは気になる。されど、コレットが出て行くのは危険だった。巡礼者が何をしてくるかわからない。何せ巡礼者がどんな人間なのかサッパリわからない。
コレットがやきもきしていると、ミレーが欠伸をする。
「寝るわよ、コレットは起きていてもすることがないでしょ。それに馬に人間のゴタゴタは関係ないわ」
ミレーの指摘はもっともだ。とはいえ、不安もあれば、ブラウン卿を焚きつけた責任もある。コレットが立ち上がらないと、ミレーは気にせず、寝室に行こうとする。
「グレンさんあとはなんか上手くやってね」とミレーは素っ気なくグレンに頼む。なんとも漠然とした依頼である。また、ブラウン卿を縛って拉致してきたグレンにお願いしていいのか疑問もある。
「お休みください。ミレー様」とグレンは畏まってミレーの要請に応じた。
グレンはミレーが去ると、外に出ようとする。
何かよからぬことでもするのでは、とコレットは不安になった。
「何をする気なの? 火に油を注ぐ真似は止めてよね」
キョトンした顔でグレンが答える。
「ブラウン卿が失敗した場合に備えます。家に帰って槍を持ってきます」
あまりの言い様にコレットは自分の顔が引き攣るのがわかった。
グレンがニコっと微笑む。
「そんな顔をしないでください、お嬢様。嘘ですよ」
グレンが言うと嘘に聞こえないから、性質が悪い。悪戯っ子のようにグレンが笑う。
「ブラウン卿の説法が上手く進むように協力します。酒と肴を巡礼者に提供します。タダで飲み食いさせておけば、巡礼者もブラウン卿を殺しはしないでしょう」
発言が一々物騒だが、グレンらしいともいえる。
「お休みなさい、お嬢様。良い夢を」とグレンは一礼すると家を出て行った。
何が起きるか気がかりだが、居間に一人で残っていてもやることはない。
コレットも諦めて寝室に行った。コレットはその晩に夢を見た。グレンが槍を持って、巡礼者を次々と刺す夢だ。夢の中で起きた惨劇のせいで寝覚めは最悪だった。
朝起きると窓のカーテンから薄っすらと光が差している。
外からは小鳥の鳴き声しかしない。人の気配がしない。悪い予感がした。
「まさか、ね」と怯えつつ窓にコレットは近付く。外はシーンとしていた。夢で見た光景が頭に浮かんだ。外を見たら、血の海になっているのではないか、と薄っすら不安になる。心臓の鼓動が早くなる。
窓の外がどうなっているか確かめるために、カーテンをバッと開けた。
いつもと変わらぬ静かな風景があった。
「巡礼者がいない!」
数十人いたはずの巡礼者が消えていた。ブラウン卿もいない。グレンも見えない。もちろん、死体も血の海もない。まるで、昨日の件が嘘のように何もなかった。
下の階からミレーが用意する朝食の匂いがする。
着替えて下に降りて行くと、ミレー、ブラウン卿、グレンが自然な形でテーブルを囲んでいた。コレットが席に着くと、ブラウン卿が朝食前の祈りの言葉を唱える。
なぜか、グレンも一緒に祈りに参加していた。グレンの宗教観はわからないが、こうしてみるとなぜか違和感がない。
食卓にはパンにチーズそれにバターもあった。パンは村に一軒だけあるパン屋の白パンだった。他にはザワークラフト、干し果物、山女魚の焼き物がある。といつもより豪華な朝食だった。
理由はブラウン卿がいるからだろう。
酷い扱いをしたので朝食だけはきちんと出そうとミレーの心遣いだ。それくらいしてもバチは当たらない。
コレットが朝食に手を付けようとすると、ミレーから一言がある。
「今日の朝食が豪華なのはブラウン卿のおかげよ。一言お礼を言ってから食べてね」
機嫌よくブラウン卿が応じる。
「気にする必要はない。全て巡礼者からせしめた食材じゃからの」
「何を言っているんだ」とブラウン卿の態度にコレットは困惑した。
サラリとグレンが付け加える。
「いやいや、見事な手並みでしたよ。巡礼者を追い払うだけでなく、コレット様への貢ぎ物まで取るとは」
「やり過ぎよ」と抗議したいが、言葉を飲み込む。
小気味よく「カッカッカッ」と笑ってブラウン卿が答える。
「信者からお布施を得られんようなら、坊主なんてたちまち干上がるからのう」
聖職者の本音を聞いた。だが、上手く行ったのなら水を差す必要もない。ちょっと贅沢な朝食を摂るためにコレットは手を伸ばす。




