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6. 地獄からの解放

 アリーセが落ち着いた声で、あの日の事実を語る。


「私は伯爵を殺していません。初夜に伯爵と関係を持つ前に、突然目の前で伯爵が苦しみ出し、吐血してそのまま亡くなりました」


 アリーセの答えを聞いたミカエルが、安堵したように表情を緩める。そして、アリーセの手を優しく取って握りしめた。


「この秘術を受けた者は決して嘘をつけません。ですので、あなたはたしかに無実です。公爵様、のちほどこの秘術の結果を正式な書面にしてお渡しいたします。アリーセ様が無実である証としてお使いください」


「分かった。感謝する」


 ミカエルとエドゥアルトのやり取りを聞きながら、アリーセは胸の中の不安が消え去っていくのを感じた。


「……これで、私は、あの部屋から出られるのですね……? 人殺しだと言われずに済むのですね……? あ、ああっ……!」


 今まで締めつけ抑えられていた恐怖から解放されて、アリーセはその場に泣き崩れた。人前でみっともないとは分かっているけれど、どうしても溢れる涙と嗚咽を止められない。


「アリーセ……」


 心配げにアリーセの名を呟くエドゥアルトの横で、ミカエルが跪き、泣き続けるアリーセを慰めるように背中を撫でた。


「実は昨日、公爵様が私に力を貸してほしいと頼みにいらっしゃったのです。アリーセ様の無実を証明するために、真実の秘跡を行ってほしいと。私ももちろんあなたは潔白だと信じていましたので引き受けました。こうしてあなたの冤罪を晴らすことができて嬉しく思います」


「……そうだったのですね。本当に、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません……」


 ミカエルの腕の中で泣くアリーセを、エドゥアルトが複雑な面持ちで見つめていた。



◇◇◇

 


 ミカエルに別れを告げ、今の自宅であるグランホルム伯爵邸へと向かう馬車の中。アリーセは、無言で窓の外を眺めていたエドゥアルトに話しかけた。


「……エドゥアルト。あなたはこの結果に満足しているの?」


「この結果とは?」


 怪訝そうに片眉を上げるエドゥアルトに、アリーセが疑問をぶつける。


「私の無罪が証明されたことよ。あなたにとって、これは喜ばしいことだった? それとも、当てが外れてしまった?」


 ミカエルはエドゥアルトから秘術を行うよう頼まれたと言っていたが、それは善意の依頼だったのだろうか。調査で決定的な証拠が見つからないことに業を煮やし、早く罪を確定させたくてミカエルの頼んだのではないだろうか。


(……でも、こうして直球で尋ねても、エドゥアルトなら義理(・・)で「喜ばしい」と答えるかもしれない)


 そして、アリーセはそれを見抜くことができない。彼の嘘は上手だから。アリーセの目は節穴だから。


「──なぜそんなことを聞くのか心外だが、俺は君が無実だと証明されてよかったと思っている。君を信じていた」


 アリーセに尋ねられたエドゥアルトは、意外にもやや不本意そうな表情で返事を寄越した。


(……この表情は何?)


 嘘でもよかったと言うだろうとは思っていた。

 でも、それは優しそうな笑顔とともにだと思っていた。


 だから、こんな風に嬉しいのか不満なのか判別できない態度は想定外だ。


「……どうして、そんな顔をしているの? 怒っているように見えるけれど」


 指摘すると、エドゥアルトはしまったというように額を押さえて、気まずそうに目を逸らした。


「これは……違うんだ。秘術が上手くいって本当に嬉しいと思っている。ただ……君と大神官が親しげなのはなぜだろうと気になって……」


「私とミカエル様が……?」


「その呼び方もそうだ。普通は『大神官様』と言うだろう? それなのに名前で呼ぶのは……」


(彼は何を言っているのかしら)


 アリーセがミカエル大神官と親しかろうが、彼をどう呼ぼうが、エドゥアルトにはまったく関係ないはずだが。嫌いな相手が神殿の長と懇意に見えるのが気に入らないのだろうか。


「では、私もあなたを公爵様と呼ぶべきでしたね。今までの無礼をお許しください」


「違う! そういう意味ではなくて……! 分かった、大神官とのことは何も言わないから、俺への態度を変えるのはやめてくれ」


「あら、そのほうがあなたも喜ぶと思ったのだけれど」


「そんな訳ない。これからも今までと同じように話したい」


 一年前、そうできなくさせたのはあなたなのに、と思いながら黙っていると、エドゥアルトは落ち着きを取り戻した様子で話を変えた。


「君が望んだから仕方なく伯爵邸に向かっているが、このままあそこで暮らすつもりなのか? 伯爵は亡くなっているうえに、白い結婚だったなら無理に住み続ける義務もないはずだが」


 エドゥアルトの言うことはもっともだ。

 しかし、アリーセにとっては実家に帰るよりも伯爵邸に留まるほうが気が楽だった。あの小姑たちも、父親の後妻との顔合わせのために帰省していただけで、しばらくすれば自分の屋敷に帰るはずだ。


「……王国法でも婚姻後一年間は例外なく婚姻関係を解消できないと定められているわ。伯爵との婚姻は王家の許しも得た正式なものだから、法律には従わなければ。それに伯爵には恩もあるから、しばらくは伯爵夫人として屋敷に留まって、喪に服そうと思うの」


「恩だと……?」


 エドゥアルトが驚いたように琥珀色の瞳を見張る。

 きっと彼はまだ知らなかったのだろう。アリーセと伯爵の結婚が、どれほど汚らわしいものだったのかを。


「我が家が借金だらけということはよく知っているでしょう? だったら、どういう事情があったのか、あなたなら予想できるはずよ」


「まさか……」


「ええ、私はお金のために伯爵に嫁いだの。身売りと一緒。本当に浅ましいでしょう?」


「は……?」


 心底理解できないと言うような眼差しがアリーセの心を抉る。しかし、当の本人も理解できていないのだから仕方ない。


「伯爵は私を自分のものにするために大金を払ったのに、その対価を得ることなく亡くなった。だから、せめて妻として喪に服すくらいはしなければと思って」


 淡々と話すアリーセをどこか空虚な目で見つめながら、エドゥアルトが絞り出すように言った。


「──君が伯爵家に留まるべきだと思うならそうするといい。だが、困ったことがあれば必ず俺に相談してくれ」


「なぜあなたに?」


「君の力になりたいからだ」


 こちらに向けられたエドゥアルトの瞳が、どうしてか今にも泣き出しそうに見えて、アリーセは彼の願いを拒否することができなかった。


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