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5. リンドブロム神殿

 翌日。アリーセは黒鷹騎士団の馬車に揺られて、何処かへと向かっていた。向かいの席にはエドゥアルトが座っている。


(口先だけだと思ったのに、本当に来たのね)


 朝目が覚めて、自分が死んでいなかったことに失望していると、やがて扉をノックする音が聞こえて、エドゥアルトが顔を出したのだ。


『来てくれ。外出の許可は取っている』


 アリーセが裸足だったためエドゥアルトに抱きかかえられて連れ出され、こうして騎士団の馬車に乗せられたのだが、どこに行くのかはまったく知らない。彼と話をしたくなかったから何も尋ねなかったし、向こうも何も言わなかった。


 二人きりの空間が気詰まりで外を眺めていると、流れる景色に見覚えがあることに気づいた。


(もしかして……)


 よく知っている建物の前で馬車が停まると、エドゥアルトが外に出てアリーセへと手を差し出した。


「着いたぞ。神殿だ」


 エドゥアルトの手を取って馬車から降りれば、目の前には壮麗なリンドブロム神殿がその威容を誇っていた。


 国内最大のこの神殿では、知の女神イルヴァを祀っている。このリンドブロム王国を建国した初代女王が女神イルヴァの導きで偉業を成し遂げたことから、この国では女神イルヴァを最も尊い神として信仰しているのだ。


 女神から愛されているこの国では、数百年に一度聖女が現れ、その聖なる力と深い愛で民たちを導くと言い伝えられている。


(……でも、なぜ神殿へ?)


 アリーセをここに連れてきた目的が分からない。

 女神に罪の懺悔をしろということなのだろうか。


(私は何もしていないのに)


 胸の中にどろどろとした黒い澱が溜まっていくような気がする。たとえ今、懺悔をしたところでこの心が晴れることはないだろう。


 逃亡を警戒してか、アリーセの手をがっしりと握って廊下を突き進むエドゥアルトについていくと、大きな礼拝堂に到着した。


 ステンドグラス越しに柔らかな朝日が降り注ぐ部屋の中には、どっしりとした棺が置かれている。まさかと思って中を覗けば、そこにはグランホルム伯爵の遺体が横たわっていた。血まみれだった顔は綺麗に汚れを落とされているが、苦悶の表情はそのままで思わず息を呑む。


「エ……エドゥアルト、私にこれを見せるために神殿へ連れて来たの……!?」


 信じられない思いで彼の顔を見ると、エドゥアルトは驚いたように目を見張った。


「違う、これが目的ではない」

「ではなぜ……」

「伯爵の遺体があるのは、検死が終わったから埋葬するためだ」

「検死……」

「伯爵には外傷がなかったから、他殺であれば毒殺以外は考えにくい。しかし伯爵の口内からも、寝室にあったブランデーからも毒は検出されなかった」


 つまり、毒殺ではないから病死の可能性が高いということだろうか。それとも、毒殺以外の方法での殺害を疑っているのだろうか。


 彼の考えが読めずにいると、部屋の入り口から誰かの足音が聞こえてきた。


「ようこそいらっしゃいました、公爵様。そしてアリーセ様」


 振り返るとそこには、長い銀髪を靡かせて歩いてくる優美な面差しの男性神官の姿があった。両肩には神殿最高位の大神官であることを示す金色の肩帯が掛けられている。


「ミカエル様……!」


 アリーセが名前を呼ぶと、ミカエルは水色の瞳を柔らかく細めて微笑んだ。


「お久しぶりです、アリーセ様。かなりお(やつ)れのようですね。お可哀想に……」


「ミカエル様……」


 ミカエルの温かな同情に触れて、張りつめていたアリーセの心がわずかに緩んだ。涙を滲ませるアリーセを見て、エドゥアルトが眉間を寄せる。


「二人は知り合いだったのか?」


「ええ、一年ほど前からよくお祈りに来てくださっていたのです」


 エドゥアルトの本音を知ってしまってから、どうしようもなく乱れてしまった心を落ち着けるために、アリーセは神殿に通い一心に祈りを捧げていた。


 その姿を見て気に留めてくれたミカエルに声を掛けられ、たびたび会話をする関係になったのだった。


「ミカエル様、しばらくお会いできずに申し訳ございませんでした。おそらくご存知のように、私には今夫殺しの容疑が掛けられておりまして……」


 悔しさと恥ずかしさを押し込めて弁解すると、ミカエルはすべてを分かっているかのような穏やかな眼差しでアリーセを見つめた。


「ええ、存じておりました。私がこうしてお会いしているのも、そのためですから」

「それはどういう……」


 ぱちぱちと瞬きをして見上げるアリーセに、ミカエルが秘密めいた表情で笑みを浮かべる。


「──アリーセ様は『真実の秘跡(ひせき)』というものをご存知ですか?」

「真実の秘跡……」


 たしか聖書にも出てくる奇跡の業で、高い神聖力を持つ大神官にしか使えない秘術中の秘術だ。この術を掛けられたものは、聖なる力によって大神官からの問いに嘘をつくことができなくなる。しかし非常に強力な術であることから大神官の負担も高く、滅多なことでは行われないものだった。


「まさか、ミカエル様が私に真実の秘跡を施してくださるのですか……?」


「ええ、アリーセ様の無実を証明するのに、これほど確実なものはないでしょう?」


 慈愛に満ちた微笑みを浮かべるミカエルが、アリーセには自分を地獄から救い出してくれる大天使に見えた。


「ありがとうございます……ありがとうございます、ミカエル様……!」


「あなたが人を殺めるはずありませんから。では、エドゥアルト様が証人になってくださいますので、早速始めましょう」


 ミカエルがロザリオを握り、古語の文言を唱えると、彼の手に聖なる力が宿った。青白い光を纏った指先がアリーセの唇に触れる。


 そうして、ミカエルがアリーセに問いかけた。


「アリーセ・フランソン侯爵令嬢。あなたは夫であるヘルゲ・グランホルム伯爵を殺したのですか?」


 問われたアリーセは、ミカエルの目を真っ直ぐに見つめて答えた。


「いいえ、私は伯爵を殺していません」


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