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29. 信じるべき人は

「愛……?」


 今いる部屋の惨状と最もかけ離れた言葉に、アリーセは頭が追いつかない。


 ミカエルがアリーセを愛している?

 愛しているから、永遠の絆を求めてアリーセを聖女にしようとした?

 罪なき神官たちを殺め、その神聖力をアリーセに取り込ませて?


(私のせいで、こんなことに……?)


 知りたくなかった。神官たちが命を落としたのは自分のせいだ。「儀式」のためにこれまで何人の神官が犠牲になったのか。到底許されない罪だ。一体どうしたらいいのだろう。どうすれば罪を贖うことができるだろう。しかし考えても何も思い浮かばず、ただ涙しか出てこない。


 嗚咽をあげるアリーセをミカエルが幸せそうに見つめる。


「あなたと出会ったとき、その憂いを帯びた眼差しと儚げな微笑みに心惹かれました。不幸に苦しむあなたを私が庇護して差し上げたいと思ったのです」


 泣き続けるアリーセのまなじりにミカエルが長い指で触れた。アリーセの涙を拭うでもなく、透明な涙を指先に移す。


「アリーセ様は涙さえも美しいですね。あなたの心の清らかさがそのまま雫になったようです。ですが、あまり胸を痛めないでください。これから聖女と聖大神官として二人で力を尽くしていくことで、犠牲となった神官たちも報われることでしょう」


 何も言えずに怯えるアリーセに一方的に語りかけると、ミカエルは持っていた瓶の蓋を開けた。揺れた液体がとぷんと音を立てる。


「この霊薬を飲んでいただければ、アリーセ様は聖女になれます。さあ、口を開けてください」


 ミカエルに差し出された瓶を見ることなく、アリーセがかぶりを振る。


「い、嫌です……飲みたくありません」

「なぜですか? 聖女になれば、もうあなたを蔑む人はいなくなります。虐げられることもなくなります。誰からも尊敬されて、心穏やかに暮らすことができるのですよ?」

「そんなこと……そんなこと私は望んでいません……!」


 必死に声を絞り出して拒否するが、ミカエルは駄々をこねた子供をあやすかのようにアリーセの髪を撫でた。


「やはり意識がない間に済ませたほうがよろしかったですね。私の落ち度です。もう一度、眠り薬で──」

「やめてください!」


 ミカエルの手を振りほどき、アリーセが台座から飛び降りる。あそこにある階段をのぼれば外に出られるはず。なのに、急ぐ気持ちとは裏腹に足がもつれて転んでしまった。


「まだ体の自由が効かないようですね。危ないですから、じっとしていてください」


 こちらへと近づいてくるミカエルから逃れたくて、床を這うように階段へと向かう。しかし、結局無駄な足掻きですぐに追いつかれてしまった。


「やめて、来ないで! 誰か……!」


 そう叫んでも意味はないのだろう。ミカエルは気にする風もなく、アリーセの前に跪いて手を差し伸べた。


「ここは地下ですし、立ち入り禁止区域なので誰にも聞こえませんよ。さあ、明日は聖女の公表を行う予定ですので、早く儀式を済ませてしまいましょう」


 ミカエルが軽々とアリーセを持ち上げ、近くにあった椅子に座らせる。もう逃げる機会は失ってしまった。


「心配なさらないでください。今まで私があなたを傷つけたことはなかったでしょう? いつものように私を信じてください」


 柔らかな物腰。アリーセを労り気遣う温かな眼差し。

 辛いときにはいつもミカエルが助けてくれた。

 彼だけは自分を傷つけずに寄り添ってくれると思っていた。


 でも、そうではなかった。


(もう誰も……誰も信じられない──)


 そのとき、ふと懐かしい顔が思い浮かんだ。

 黒髪を風に靡かせ、綺麗な琥珀色の瞳でアリーセを見つめる凛々しくて優しい顔。


(エドゥアルト……)


 彼のことで何度も胸を痛めたが、思えば自分が勝手に傷ついていただけで、エドゥアルトがアリーセを傷つけたことはなかった。


(私は選択を間違えたのかもしれない)


 自分に自信が持てなくて、臆病になりすぎて、彼の想いに素直に応えることができなかった。傷つくことが怖くて逃げ出し、安心できるミカエルに縋ってしまった。


(でも今さら気づいたところで遅いわね──)


 もう諦めるしかないのかと思ったとき、ふいに遠くで聞き馴染みのある声が聞こえた気がした。

 そんなはずはないと耳を疑うも、今度はもっと近くでその声が聞こえる。


「アリーセ!」


 アリーセとミカエルしかいないはずの地下に、張りのある大声が響いた。こんな奇跡はあり得ないけれど、彼の声を聞き間違えるわけがない。


「エドゥアルト……!?」


 震える声で呼びかけてみれば、すぐにその名の持ち主が姿を現した。


「アリーセ!」


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