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26. 念願

 夕暮れ時。ミカエルはいつもより念入りに沐浴をしていた。神殿の地下深くより湧き出る清らかな水で、髪の一本一本から爪の先まで丹念に穢れを落としていく。


 今夜、最も大切な儀式を執り行わなければならない。

 一年にわたって準備を整えてきたのだから、決して失敗できない。


 最後に肩から沐浴の水をかけ流すと、肌を刺す冷水のおかげで高揚した心身が鎮められる気がした。もうすぐ念願が叶うからといって逸りすぎてはならない。最後の最後まで気を引き締めなくては。


 ミカエルが沐浴から上がると、濡れた体と髪がさらりと乾く。そうして真新しい法衣に身を包むと、すべてが上手くいく気がした。



◇◇◇



 真夜中の神殿をアリーセが歩く。この時間の神殿はどこか現実味が薄れていて、一日の中で最も女神イルヴァに近づいているような気さえする。


 外回廊から庭園に出れば、空には大きな満月が浮かんでいた。神殿の尖塔や庭の木々が煌々と照らされ、いっそう幻想的な雰囲気を漂わせている。


 その空気に当てられてアリーセもより厳かな気持ちになりながら歩いていると、目的地のガゼボの前にすでに彼が来ていることに気がついた。


「ミカエル様、お待たせして申し訳ございません」

「いえ、私も来たばかりですから」


 月の光に照らされてミカエルの銀髪がきらきらと輝く。今日は法衣もいつもとは違い、装飾が控えめに抑えられているのがかえってミカエルの非現実的な美しさを際立たせているように見えた。


「その法衣も素敵ですね」

「アリーセ様もよくお似合いで美しいです」

「あ、ありがとうございます……」


 今夜は儀式用の衣装を着るよう言われたため、部屋で着替えてきたのだった。真っ白な生地に水仙の花をモチーフにした模様が刺繍されており、神殿内に展示されていた聖女の衣装に似ている。服というものは不思議で、聖女のような衣装をまとっただけですっかり神聖な気分になってしまった。


「今夜はいつもの祈りとは違うのですよね?」

「はい、これから行う儀式はとても特別なのです。私がご説明しますから、その通りにしていただけますか?」

「分かりました」


 ミカエルの説明によると、『奉願の儀式』では満月の夜に特別な祈りを捧げるらしい。普段の礼拝堂ではなく、こうして庭園で祈るのもそのためだという。月が持つ清らかな力を得やすくするためだろうか。


(月明かりの下で祈るというのは新鮮ね)


 ほぼ真上に上がった月を見上げていると、ミカエルが袖口から透明な小瓶を取り出した。中に入った液体には神聖力が込められているのか星のような粒子が瞬いている。


「心身を清めるための聖水です。祈りを捧げる前に、こちらを飲み干していただけますか?」

「はい、分かりました」


 ミカエルが瓶の蓋を開け、アリーセに差し出してくれる。溢さないよう気をつけて飲み干すと、体の隅々まで何かの力が行き渡るような感覚がした。そうして、視界が暗くぼやけていく。


「ミカエル様、これは聖水の効能なのでしょうか……? なんだか気を失ってしまいそうで……」


 ミカエルが何か話しているようだが、それもまったく聞こえない。ただ、意識が遠のいていくアリーセを見つめる彼の顔がとても満足そうに見えて、なぜかニコライの手紙の言葉を思い出した。


 ──『大神官様を信じてはなりません』


 次の瞬間、アリーセは完全に意識を失った。



◇◇◇



 アリーセが気絶して倒れたあと、ミカエルは彼女を丁寧に抱きかかえて、立ち入り禁止区域の塔へと向かっていた。


 数代前の大神官の時代に、伝染病で末期の患者たちを隔離して看取った場所。それは事実だが、ミカエルがここを訪れているのは鎮魂のためなどではなかった。今宵の儀式のため、一年前から少しずつ準備を進めていた。


 腕の中で目を閉じたままのアリーセを眺め、ミカエルが幸せそうに微笑む。月明かりを浴びて眠るアリーセはとても美しい。彼女のために作った衣装も想像以上によく似合っていて、やはり自分の考えは正しかったのだと確信する。


 アリーセはミカエルを疑うことなく聖水を飲んでくれた。眠りのまじないが掛かった聖水を。彼女に嘘をつくのはいつも申し訳ないと思っているが、すべて彼女のためなので仕方がない。今回こうして眠らせたのだってそうだ。


 塔に辿り着いたミカエルがアリーセに囁く。


「これから少し悍ましい場所に参ります。ですが、あなたが眠っている間にすべて済みますからね。目覚めのときを楽しみにしていてください」


 ミカエルは塔の扉を開けると、アリーセを連れたまま中へと入っていった。


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