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11. 二つの気持ち

「どうしたの? 大丈夫?」


 泣いている男の子が気になって声をかけると、男の子は嫌がるように首をぶんぶんと横に振った。


「具合が悪いのかしら……。向こうで休む?」


 アリーセがあれこれ尋ねても、男の子は首を振るだけだ。どうしたものかと考えつつ、背中を撫でて宥めていると、男の子がぽつりと呟くのが聞こえた。


「……ぼく、このお話きらい」


 そうして男の子はすぐさま廊下へと走っていってしまった。絵本選びを失敗したことを悟り、しまったと思っていると、近くにいた女の子がやって来てアリーセにこっそりと教えてくれた。


「あの子、カイっていうんだけどね、一番仲良しだったお友達が紛争で死んじゃったの」

「……!」


 ああ、そうか……。さっきの絵本は男の子二人の友情のお話だった。それで悲しい思い出を蘇らせてしまったのだ。


「アリーセ様、どうなさいましたか? カイが泣いて走っていくのが見えたのですが」

「喧嘩でもあったのか?」


 戻ってきた院長とエドゥアルトに尋ねられ、アリーセは申し訳なさそうに眉を寄せた。


「絵本の読み聞かせをしていたのですが、そのせいで悲しいことを思い出させてしまったようです……」


 子供たちには皆、両親だけではなく辛い別れがあったはずだ。絵本を読むのではなく、おもちゃで遊んだほうがよかったのかもしれない。己の配慮不足を悔やんでいると、院長がアリーセの肩にぽんと優しく手を置いた。


「あなたのせいではありません。カイには私が話を聞いてみますから、アリーセ様は他の子たちと遊んでいてくださいますか?」


「……はい、分かりました」



◇◇◇



 今度は子供たちとおもちゃで遊び、昼食を済ませてお昼寝の時間になったあと。アリーセが自分の部屋の片付けをしていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。


「大丈夫か?」

「エドゥアルト……」

「ずっと浮かない顔だったから、さっきのことを引きずっているんじゃないかと思って」


 エドゥアルトの推測は当たりだ。

 まだ小さな子供が辛そうに絞り出した「きらい」の言葉が、ずっと胸に刺さっている。あの子にそれほどの悲しみをもう一度与えてしまったことが苦しかった。


「院長も言っていたが、あれは君のせいじゃない」


 エドゥアルトの言うとおりかもしれない。今は何に触れても嫌な思い出に繋がってしまうのかもしれない。アリーセ自身がそうであるように。そしてだからこそ、カイのことが気にかかって仕方ない。


「君に余計な罪悪感を与えてしまったな……。俺の考えが甘かったんだ、すまない」

「いいえ、あなたこそ何も悪くない。私、あなたに感謝しているわ」

「アリーセ……」

「あとでカイと話してみようと思うの。彼の気持ちに寄り添ってあげたい」


 あの子に謝って、自分はあなたの味方なのだと伝えてあげたい。そう気持ちを決めたとき、廊下から愛らしい男の子が顔が出した。


「……アリーセ様、今お話しても大丈夫ですか?」

「カイ……」


 部屋を訪れたのはカイだった。

 あのあとも随分泣いたのか、目が赤くなって腫れている。


「もちろんよ。部屋に入って」

「じゃあ、俺は外に……」

「ううん、公爵様も一緒にいて」


 エドゥアルトが気を利かせて席を外そうとしたが、カイに止められ、やや気まずそうに部屋に残った。カイは話を切り出すのを躊躇うように、少しの間手を握ったり開いたりしていたが、やがて決心して口を開いた。


「アリーセ様、さっきは泣いてしまってごめんなさい。せっかく絵本を読んでくださったのにびっくりさせてしまいました」


 姿勢を正して頭を下げる姿に、アリーセの胸がきゅうっと締めつけられる。こんなことで悪いと思ってほしくない。アリーセは膝をついてカイの手を握った。


「話しに来てくれてありがとう。でも、謝らなくていいのよ」

「でも、アリーセ様に嫌な思いをさせちゃったと思って……」

「ううん、全然そんなことないわ。私こそ、あなたを悲しませてしまってごめんなさい」

「違うよ、アリーセ様だって悪くない」

「私を気遣ってくれるのね。カイは優しい子だわ」

「そ、そんなことないよ」


 アリーセがカイの頭を撫でると、カイは照れくさそうに頬を染めた。それから、泣いてしまったときの気持ちをぽつりぽつりと教えてくれた。


「ぼくにはマルクっていう友達がいてね、よく河原で待ち合わせて一緒に遊んでたんだ。でも、ある日どっちが石を遠くに飛ばせるかの競争でケンカになって……。ぼくはすごくイライラして、マルクに「バカ!」って言って家に帰っちゃったんだ。そしたら次の日──」

「カイ、もう話さなくていいわ」


 話の結末を知っているアリーセが、カイの話を止めようとする。しかし、カイは大きな目にうっすら涙を溜めて呟いた。


「村に敵の兵士がやって来て、マルクが死んじゃった」


 まだ幼い子供の口から聞かされる容赦のない現実に、アリーセの胸がずしりと重くなる。


「ぼく、ケンカなんてするんじゃなかった」


 涙を拭き、鼻を啜るカイに何と声をかければいいのか分からない。アリーセはポケットからハンカチを取り出して、カイの顔を拭いてやった。


「……カイはマルクのことがすごく好きだったのね」

「うん、毎日二人で遊んでたんだ。紛争なんてなかったら、みんな死ななくてよかったのに」


 子供には大人同士の争いなど関係ないのに、こうして大切な人たちを亡くして取り残されていることが腹立たしくてならない。紛争の当事者でもあるエドゥアルトも、自分を責めているのか拳を強く握った。


「カイ、君のような子供たちを巻き込んでしまって本当に申し訳ない」


 エドゥアルトが深い反省を滲ませて声をかけると、カイはまた少し泣きそうになりながら、それでも顔を上げてエドゥアルトに言った。


「うん、ぼく本当に辛くて悲しかった。騎士の人たちも怖かった。……でもね、ぼくたちを助けてくれた公爵様のことは好きだよ」


 不意を突かれたエドゥアルトが、やや驚いたように目を見張る。珍しく不器用に固まっていると、カイはにこっと泣き笑いの顔をして部屋の外へと踏み出した。


「ぼくの話を聞いてくれてありがとう。そろそろおやつを食べに行くね」


 そう言うやいなや駆け出していくカイを見送りながら、アリーセとエドゥアルトは顔を見合わせた。


「……あの子、俺に気を遣ってくれたんだろうな」

「もしかしたらそうかもしれないけど……きっと本心だと思うわ」


 カイにとって、エドゥアルトは自分の国の騎士とはいえ怖い存在でもあるが、それと同時に優しい保護者でもあるのだろう。


(私にとっても、彼は似たような存在かもしれない)


 アリーセがエドゥアルトの顔をじっと見つめると、エドゥアルトはさっきのカイのように見るみる赤くなった。


「ど、どうしたんだ……?」

「そういえば、まだあなたに言ってなかったわね。戦勝おめでとう。無事に帰ってきてくれてよかったわ」


 アリーセからの祝福の言葉に、けれどエドゥアルトは複雑そうに口を結んだ。


「ありがとう。……だが俺は、紛争に行ったことを後悔している」

「あ……そうよね、カイの話も聞いたばかりなのに…… 。ごめんなさい、無神経なことを言って」

「いや、いいんだ。向こうから仕掛けられた紛争だ。勝利するに越したことはないし、早く終結できてよかったと思っている。後悔しているのは個人的な理由というか……」

「個人的な理由?」

「俺が紛争に行かなければ君を──」

「公爵様!」


 エドゥアルトがアリーセに返事しかけたとき、彼の侍従が慌てて廊下を駆けてきた。


「なんだ? 急ぎでなければあとで……」

「第一王女殿下からのお呼び出しです! 至急、王宮にいらっしゃるようにと」


 第一王女からの呼び出しといえば、エドゥアルトとの結婚のことだろうか。前にそんな話が出たと聞いたことがある。なぜかつきりと痛む胸を押さえると、エドゥアルトが舌打ちして溜め息をついた。


「すまない、アリーセ。行かなくてはならないようだ」

「いいのよ。忙しいのにこんな時間までありがとう」

「……また来る」

 

 去っていくエドゥアルトの後ろの姿から、アリーセはどうしてか目が離せなかった。


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