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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

耳元で「好き」と囁くとヒールできる聖女ですが、家の前に長蛇の列ができて困ってます。本当に皆さん治療が必要なんですか?

作者: eMD

「好き」

「……あ、ありがとうございます! おかげで元気になりました」


 リュトロ教ミヒエル会所属、聖女マルカ。彼女の元には日々、見ただけでめまいがするほどに大量の人が押しかけていた。


 その理由は、彼女の持つ特別な能力にある。


 バルモンスと呼ばれるこの亜人王国では、数十年に一度、特別な魔力を覚醒させて希少なスキルに目覚めるエルフの女性を『聖女』と呼び、崇めていた。


 そして聖女の持つ特別なスキル『愛の囁き』にはあらゆる傷、病魔、心に巣食う闇すらも払う最高峰の治癒能力が宿る。


 三代目であるマルカも、歴代聖女に漏れずその強力な能力を持って生まれてきた。


 髪はクリーム色。神聖な魔力が巡り、黄金に輝く瞳。聖女専用にしつらわれた耳を隠すためのヴェールと純白の修道服、それに負けないほど透明で光を弾く艶やかな肢体。


「好き」


 と、そんな聖女は、このように対象の耳元で「好き」の二文字を囁くだけで人の体に巣食うあらゆる厄を取り除くことが出来る。


 そして治療を終えた後、聖女は最後に必ず相手に笑顔を向けて、こう言うのであった。



「またなにかありましたらいらしてください」



 聖女はその力と人柄を頼られ、国内外からは常に訪問客で溢れていた。

 彼女は生来の性格から頼まれたら断ることはできず、毎日雪崩のように押しかける怪我人、病人たちの耳元へ「好き」の二文字を囁く毎日。 


 だけど最近、ちょっとおかしい。


 指先にまで誠実さが宿り、人を疑うことを知らず、生涯嘘をつくこともないであろうあの聖女が、胸中で誰へ向ければいいのか分からない行き場のない疑心を生んでいた。


「……なんだかのぅ。最近疲れが全然とれんのじゃ」

「好き」

「最高じゃ! 聖女様のおかげで疲れが吹っ飛んだぞ!」


 常連のおじいさま。流石に通う頻度がおかしくないかしら?


「あの……すみません。囁きながら頭を撫でてもらうことってできますか?」

「……す、好き」

「ありがとうございますありがとうございます! おかげでお腹が痛いのが治りました!」


 この近くに住んでいる男の子。この長蛇の列を並んでいた時間、ずっとお腹が痛かったというの?


「あのぅ。こう、ここを触りながら、囁かないでいいんで! 目を見て好きって言ってもらえますか!」

「…………好き?」

「キャーたまんない! 最高すぎるわー!! もうホント、全部治りました!」


 突然、私に顎を掴んで目を見てほしいと言ってきた同年代くらいの少女。何が治ったのでしょうか?


「あ、あの、フヒッ! あのですね! 嫌いって言いながら殴ってもらっていいですかネ! フヒ!」

「……な、何故ですか?」


 結局やることになりましたが、あの人は本当に何が目的だったのでしょうか?


 治りました! と言って帰りましたが…………何が?


 そんなこんなで、聖女は日に日に思うようになっていった。


 ……あの、皆さん、本当に治療が必要なんですか?


 だが、そんな聖女でも未だに治癒の必要性を信じられる人が存在した。



「お久しぶりです。お元気でしたか?」

「あ――ご無沙汰しております」


 バルモンス王国騎士、カノン・スカーレット。

 現在、三年ほど続いている魔物との戦争の最前線で戦い続けている正真正銘の騎士様だ。


 名前に違わぬ肩まで伸びた真っ赤な髪と、吸い込まれそうになるほど黒い瞳。青白い光を放つ鎧は勲章を七つ集め、平民出身の騎士が受け取れる最上位である『サーズ』の称号を賜った実績を持つ。


 そんなカノンは数年前、戦争で傷を負って一度ここに運び込まれてから毎回、戦いで傷を負うたびやってくる。


 今回はどうやら腕らしい。大木より大きな魔物の一撃を剣で受け止めてから、関節が酷く痛むとのだという。これは大変だ。


「参りました。なんと相手はあのグリエナ将軍よりも大きく、タチエイ中佐よりも素早く動く。どうしたものかと、戦いながら苦笑してしまいましたよ」

「そんな、嘘です。そんなに凄い相手だというなら、どうやって倒したのですか?」

「これが傑作なんです。その大きな魔物、実は――」


 聖女マルカ。彼女は彼が持ち帰る戦いの話を聞くのが"好き"だった、


 毎回驚くような敵が待っていて退屈しないし、ちょっと心臓に悪い展開になっても、彼が目の前にいるから死ぬことはないのだろうと安心して聴ける。


「それでは……いきます」

「――はい。今回もよろしくお願いします」


 肩の鎧に指を掛ける。

 ゆっくりと、彼の胸へ体重を預けるようにして近づいた。二人分の体重の乗った椅子がきしりと音を立てる。その度、マルカは思い直したように身を引いたり、唇を噛んだ。


 彼には必要だ。腕が痛んでは戦いに影響が出るだろう。


 これは治療。私は聖女。彼は国と世界を守るために戦う騎士。


 そうして、彼女はゆっくりと震える口を動かし、



「好きです」



 今日も治療も終えるのであった。


 彼が再び来るのはいつだろうか? 見送った後すぐ、そんなことを考えてしまう。


 マルカは王国軍の戦いについていき、その場で傷ついたものを回復してあげた方がいいのでは? と打診したこともある。


 だが受け入れられなかった。


 戦場に聖女を連れていけば確実に狙われることになるし、そうなると戦いづらい。聖女は安全な国内にいるからこそ、最高最強のヒーラーとしての役割を全うできることが出来る。


 至極真っ当な理由だ。それに、彼女には他にも仕事があったため、おいそれと戦場へ赴くことは不可能だった。


「聖女マルカ。祈りなさい」

「はい。ダーゲスト神父」

「…………ふむ」


 祈りは自分のためではなく、戦いのために捧げられる。

 神父と並び、目を一度も開けることなく強く祈ることで神に戦場にいる者たちへの加護を求めるのだ。


 正直、この祈りの時間がマルカにとって一番心身に強い疲労を刻んだ。


 朝から十五時間ほど、民のために「好き」を囁いた後、石造りの冷たい床に膝をつき、長い間祈りを捧げる。途中で倒れそうになったことは何度もあった。だが、辞めることはできない。


 きっとどこかで彼も戦っている。


 そう思うことで、マルカの心は辛うじて繋ぎ止められたのだ。


「今日もご苦労様でしたマルカ」

「お疲れさまでした神父様。それでは失礼します」

「待ちなさいマルカ。……今日は、街で食事をしていきませんか?」

「……街、ですか?」

「ええ。今日は街の"皆さん"もマルカと食事がしたいと言っておいでです。貴方は普段、治癒の場でしか皆さんと話す場がありませんよね。ですから、たまには外へ出て彼らの営みを間近で見ることも良い息抜きになるのではないかと」

「……すみません。ちょっと今日は体調が優れなくて」

「そうですか。分かりました。それではお大事に………………チッ、聖女じゃなかったら今頃無理やり……」



 ――他にも聖女の仕事はある。

 年に何度か王国騎士団と教会との合同軍議が行われるとき、必ず聖女であるマルカも出席しなくてはならないのだ。


 聖女はバルモンスの祖である聖母の血を引く、という逸話があるため、軍議のような重要な場には聖女の出席も求められ、あろうことか意見まで求められることもあるのだ。


 ――戦いとかのこと、何も知らないのに。


 必死に色々と策を凝らし失望されないよう、血の色すら分からない小娘とは思われないように忌憚のない意見を述べる。この為にマルカは秘密の勉強を一か月にも渡りすることがある。


 彼女にとっては胃を痛める大きな要因だったが、そんな中でもこの軍議には微かな楽しみが一つだけ存在した。


「聖女様、少しお時間よろしいでしょうか?」

「あ! …………なたは、騎士グラッド様。先の戦いでは魔王幹部の一人を討ち取ったとか。流石は『セカン』の称号をお持ちなだけはあります」


 にやり。それを聞いて目がチカチカするような金色の髪を持つグラッドが、口端をわずかに上げた。


「まさかあの聖女様にお名前を知ってもらえているとは、光栄の至りに存じます。しかし……この度、私の槍の技術がさらに向上したことにより勲章が増えまして。今や私は『ファース』。『サーズ』や『セカン』よりも更に上なのです」

「そうでしたか。なにぶんミヒエルは田舎なもので少し情報が遅く……大変申し訳ありません」

「いえいえ! 私は気にしていませんよ。しかし……そうですね。聖女様がそこまでお気になさるのであれば、この後、私の部屋で食事でもしませんか?」

「グ、グラッド様の部屋で……ですか?」

「はい。もちろん、二人きりというわけではございません。父上と母上、そして時期将軍と名高い私の兄上もおいでです。ああ、こちら側の人間だけではもちろんありません。ダーゲスト神父もお呼びしましたのでご心配なく」

「…………で、ですが」

「さぁ、何を迷っているのですか。断る理由はないでしょう。私は今や『ファース』で――」

「お話の途中に失礼します。グラッド様」


 遮ったのは、王宮の長い廊下の奥からいつの間にか現れたカノンだった。今日は鎧ではなく、グラッドと同じ勝ち取った勲章を胸に飾ってある騎士正装だ。


「なんだ! 俺は今、聖女と話しているんだぞ!」

「ですがグラッド様、グリエナ将軍がお呼びです」

「な、何故!? 将軍が!? お前、適当なことを言うな!」

「……いえ、私はよく分かりませんが、グリエナ将軍は貴方が勲章を獲得するに至ったメリガンの戦いについて少しお聞きしたいことがあると仰っていましたよ」

「な……バカな……アレは確実に……クソ!」


 ドン、とグラッドはカノンを突き飛ばし、廊下の奥に大股歩きで消えていく。


「……『サーズ』のくせに。平民のくせに俺から聖女を……許さない……許さないぞ」


 最後までぶつくさと言っていたようだったが、マルカとカノンの耳には小さすぎて届かなかった。


 そうして、グラッドの大股で歩く癖のせいでずれた赤絨毯を見ていた二人は、同じタイミングで顔を見合わせ、二人は少し間をおき同時に声を上げて笑った。


「遅くなって申し訳ありません。ええ、グラッド様についてはお気になさらずに。将軍が呼んでいたのは本当のことですから」

「そ、そうなのですか?」

「メリガンの戦いでは……いえ、場所を変えましょう。今日も貴方に聞かせたい話が沢山あるのです」

「はい。楽しみです!」


 聖女の仕事は大変だ。

 正直、辞めたいと思ったことはある。逃げたいと思ったことだって何度もある。


 でもそうしなかったのはきっと、この人のおかげだろう。

 そしてマルカはこうも思う。


「今日は、どこか痛いところはないのですか?」

「ええ、大丈夫です。先の戦いは無傷で終わりましたから。それに、今日の聖女様のお勤めは終わっているでしょう? こんな時間まで、誰かのための治癒のことなど考えないでください」

「……そうでしたね。でも」


 きっと、私はこの人のために力を持って生まれてきたのだ、と。


「――好きです」

「どうされました?」

「……ふふ。指、この辺りにあったささくれが気になったんです。もう治りましたよ」

「ああ、そういうことだったのですね。お気遣いありがとうございます聖女様」


 どれだけ伝えても伝わらないこの二文字。

 だがそれでも、言葉にするだけで幸せになれる。踏み出す一歩になれる。


 好きです。


 そう囁いて治癒されていたのは。もしかしたら彼女の心の方だったのかもしれない。




「……そ、んな……ことって」


 彼が死んだとマルカに伝えられたのは、軍議のちょうど一か月後だった。

 戦場へ大量に押し寄せてきた魔物たちから逃げ出したところで、彼は背中を相手の槍に一突きされて息絶えてしまったのだという。


 信じられない。彼が死んだことも……敵から逃げ出したということも。


 マルカは当然、王国軍の本部へ掛け合った。真実を究明してほしい。きっとカノン・スカーレットは敵から一人逃げ出すような男ではないと、と。

 だが、当然のようにマルカの言葉は届かなかった。


 敵前逃亡の罪によりカノンは死後、平民最大の名誉であるサーズの称号を剥奪され、除隊扱いとなり、身寄りのない彼は墓すらも作られず、その生涯を終えることになる。


 そんな中、戸惑うマルカへ唯一憐れみを感じた一人の将軍が二人に最後の別れを告げさせるため、彼女を軍の死体安置所へと招待した。最初は躊躇っていたマルカだったが、この目で見るまでは信じないと決め、結局訪れることにした。


 そこでマルカはハッキリと見てしまう。


 まるで洗練された騎士の一撃と見紛うほどに綺麗な槍の一突きで胸に孔を開けて絶命した、彼の姿を。


 真っ青だった鎧は泥にまみれ、張りのあった肌は乾き、瞳は暗く閉ざしている。赤い髪の毛はまるで焦げたように赤黒くなり、生前の彼からは想像できないほどに酷い姿になっていた。


「…………なんで、どうして」


 一人、聖女は力なく膝を折る。


 ――そうだ。私は聖女だ。聖母から血を分けた聖女だった。


 聖女であるマルカは、騎士の亡骸に頭を寄せる。


「好きです」


 もう騎士は微笑まない。


「好きです」


 もう騎士と目は合わない。


「好きです」


 もう二度と、騎士は彼女の手を握らない。

 そして、


「好きだったんです……ずっと……」




 この日以降、聖女は『愛の囁き』の聖なる力を失った。


 リュトロ教ミヒエル会からはマルカの姿は消え、二度と国民の前に姿を現さなくなり、毎日、修道院の前へお祭り騒ぎのように集まっていた人も、同じく消えていった。


 その後、聖女を失い、強大な治癒の力を失った王国軍はやがて魔物の圧倒的な物量に敗れ、毎日大量の騎士と兵士が死ぬことになる。



 結論から言うと、バルモンスは戦争に負けた。


 数百年後、歴史の転換点を俯瞰で見た学者たちは口を揃えてこう言ったのだという。


 王国一優秀な騎士カノン・スカーレットの死。そして聖女マルカを失ったことが明確な敗因だろうと。


 そして、この聖女マルカが旧ルクロ湖畔の小屋へ残したとされる彼女の手記は、後に歴史を紐解くための重要な参考文献となった。


 この一文は、その手記の締めくくりに書かれていた言葉である。




『どうか、次の聖女となった貴方は大切な人へ気持ちを伝えられますように』

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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