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最近、奈央がまずい飯ばかり食わせようとするんだよ

 「最近、奈央がまずい飯ばかり食わせようとするんだよ」

 

 高橋と飲むのは久しぶりだった。こいつは理系の確りとした菊池奈央という名の女性と同居中で、飯まで作ってもらっている実に羨ましい奴だ。彼女も働いているらしいが在宅ワークで通勤の負担が浮く分、夕食を担当してくれているのだそうだ。

 「なんだ? 惚気か?」

 と僕が冗談交じりに言うと、高橋は大きく頭を振って返した。

 「違う違う。マジで、最近あいつはおかしいんだよ。薬膳料理って言うのか? なんかそういうのに嵌っちまって……」

 「へー でも、別に良いじゃないか、それくらい」

 「お前は知らないからそう言えるんだよ。はっきり言って今のあいつは異常だ」

 それから高橋が詳しく語った菊池奈央の話は確かに異常に思えた。ある日突然薬膳料理を何種類も用意して、その中で彼が「一番まずい」と言った物を毎日出して来るようになったのだそうだ。嫌がらせにしても、そんな真似をするだろうか?

 「どうしてそんな事をするのか聞いてみたら、“健康に良いから”って言うんだよ。大体、健康に良いものっていうのは美味しく感じるように体はできているんだ。まずいって事はそうじゃないって事だよ」

 彼の愚痴に全面的に賛同する訳にはいかないと僕は思った。美味しいものを食べ過ぎると肥ったり病気になったりして健康に悪いっていうのは世の中の常識だ。そしてその時、僕は仄かに戸惑ってもいた。

 「でも、だから、今日はお前が誘ってくれて助かったんだよ。あいつの料理から逃げられるからな」

 高橋は上機嫌で酒を飲んでいた。久しぶりに会って高揚しているのか酒のペースが早い。その所為か、泥酔し始めた。少し僕はそれに驚いていた。

 実は今日、彼を飲みに誘ったのは、菊池奈央に頼まれたからだったのだ。理由は分からないが、「泥酔させてくれ」と頼まれていた。

 だから僕は“菊池奈央が最近、おかしい”という話を聞いて戸惑っていたのだ。果たして彼女の頼みを聞いて良かったのかどうか。

 が、それと同時に僕は高橋からも違和感を覚えていた。僕の知っている彼は、ちょっと誘ったくらいで酔い潰れるようなタイプではないのだ。

 

 「約束通り、酔い潰したよ」

 

 泥酔した高橋を引きずって、彼の家に付いてチャイムを鳴らすと、僕はドア越しの菊池奈央にそう告げた。

 「おお、ありがとう」

 彼女は顔を出すと、何でもないような表情で彼の肩を担いで廊下の壁にもたれかけさせる形で座らせ、そしてなんと驚いた事に彼を後ろ手に結束バンドで縛ってしまった。

 僕はその行動に慌てた。

 「いや、ちょっと、何をやっているの?」

 「ふむ。実は彼が薬膳料理を食べてくれなくてね。難儀していたんだ。これなら食べてくれるだろうから」

 「いやいや」

 僕はドン引いていた。どんなに健康に良い料理かは知らないが明らかにやり過ぎた。

 しかし菊池奈央は、そんな僕の態度を気にかける様子もなく淡々と準備を進めるのだった。薬膳料理だというスープをスプーンですくう。

 「君も彼の様子がおかしい事には気が付いただろう? 彼は変わってしまったんだ。随分と雑な性格になってしまった」

 彼女はそう言うと、スープを彼に飲ませた。彼は身体をビクッと痙攣させる。熱かったのかとも思ったが違う反応に思えた。

 「だから私は彼を治そうと思ってね」

 それを聞いた僕は恐怖を感じていた。高橋が言った通り、彼女はおかしくなってしまったのだろうか? 以前から、変わり者でマイペースではあったけど。

 ところが慄いている僕に向かって彼女はこう続けるのだった。

 「“応声虫”という昔話が、日本や中国にある。日本においては、これは人面瘡みたいなものでね。様々な薬を飲ませ、嫌がって飲まなかった物を無理矢理に飲ませた結果、治療に成功したって話があるんだよ」

 それで彼女はその方法を試しているという事だろうか?

 「でも、それ、昔話でしょう?」

 「まぁね。でも、人の性格がマイクロバイオータ…… つまり、身体に棲息する数多の微生物の影響を受けている可能性があるのは実際に指摘されているんだよ。

 ここ最近、彼は変わってしまった。それがマイクロバイオータの影響なのだとすれば、或いは……」

 一口、一口と彼女は高橋にスープを飲ませ続けた。しばらくすると彼はスープを吐こうとしたが彼女は無理矢理に口を塞いでそれを阻止した。

 異常な光景だ。

 果たしておかしくなってしまったのは、彼女なのか彼なのか。否、或いはどちらもおかしいのかもしれない。

 やがて全てのスープを飲ませ終える。しばらく彼女は口を塞いでいたが、彼がそのうちに寝息を立て始めたので手を放した。

 

 「さて。取り敢えず、やれるだけの事はやった。悪いが彼をベッドに運ぶのを手伝ってくれないか?」

 

 菊池奈央は軽く溜息を洩らすとそうお願いをして来た。僕は彼を運ぶのを手伝うと、逃げるように彼の家を出た。正直、あまり深く関わりたくなかったのだ。

 

 しばらくしてから偶然高橋に会った。

 心なしかスッキリした顔をしていた。

 「まだ、奈央は変な薬膳料理を食べさせようとして来るんだよ」

 と、彼は笑いながら言った。

 「そりゃ災難だな」

 と僕は返したが、彼はそれから

 「いやぁ、それがそうでもなくてさ、意外にまずくないんだよ。美味しいってわけでもないんだけどさ。奈央に言ってみたら“体調が変わったからだろう”だって。そんなもんなのかね?」

 などと答えて来た。

 そしてそう言った彼は、僕が知っているかつての彼の顔をしていた。

 

 ……果たして、彼の性格が変わったのがマイクロバイオータの影響で、そして性格が元に戻ったのが薬膳料理のお陰なのかどうかは分からないけど、でも、もし怒りを抑えられないとか、何かしら自身の性格の問題に悩んでいるのだとしたら、食生活の改善を試みてみるのも良いのかもしれない。

 案外、効果があったりして。

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