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5-6部分


洗面所に交代で行き、先に部屋に戻ってスマホの充電もしておく。同じコンセントに繋がったパソコンはまだ処理中だった。

「男と女だったら絶対こんな並べ方されないよね!」

僕がまた不満を言っても、歯磨き中の銀ちゃんは穏やかに笑うだけだ。

「竹野本部長、結婚しないんですかとか言われないの? 会社の人に」

「きみ、それは立派なセクハラだよ」

わざとらしい真面目くさった声色で言うのが聞こえて、笑った。銀ちゃんは確かに真面目だけど、こんな話し方はしない。

「おじさんがセクハラする側なのにね、普通は」

「それも偏見なんだけどなぁ。おじさんだからってひと括りにして」

うがいをした後の銀ちゃんがタオルで口元を拭いて出てくる。ちょっとがに股っぽい歩き方。

「女の人に興味ないってバレてないの?」

「さあ、どうかな。さすがに気付いてる人も居るだろうけど……電気、もう消しても大丈夫?」

銀ちゃんが壁のスイッチに手を伸ばした。僕は布団の上にあぐらをかいて頷く。


天井の照明を消すと、行灯型の床置きライトがいきなり存在感を放った。薄黄色の明かりが土壁や梁を照らし、和室が一気に情緒のある雰囲気になる。

「皆、いい人なんだよ。いい歳して独り身でも、女性にソノ気がないって薄々分かってても、何も言わない」

遠くの布団に入りながら銀ちゃんが言った。

僕も同じように自分の布団に入る。高級そうな光沢のある布団はつるつるした感触で、少しひんやりしていた。

「それが、いい人なの? 普通って言うか、当然じゃない?」

「いやいや、ひと昔前ならこうはいかなかった。結婚して子供作って、所帯を持って、家族を養ってこそ、やっと男として一人前。だから出世も、良いポジションも任せられるってね」

「やばいね」

咄嗟に出た言葉でもあり、それ以外の言葉が見つからない。


銀ちゃんの方へ体を横向けて、また質問する。

「銀ちゃんはさ、何で結婚しなかったの?」

旅行気分は、普段あまり聞かないような事でも、スムーズに質問させてくれた。

外から聞こえる雨の音は一定のリズムを刻んで、しっとりと落ち着きそうなものなのに、そうはならない。どちらかと言えば、修学旅行の夜みたいな、特別な雰囲気。

眼鏡を外した銀ちゃんは、布団から腕を出して仰向けになっていた。天井を見つめて、少し考えている。

「幸せにできる自信がなかったから……かな」

自分の事なのに、どこか自信なさげな回答。


「氷治にも話したかも知れないけど、お見合いの話も何回かあったんだよ。昔はね」

「うん、聞いた」

「でも、出世のために必要だから……なんて相手に失礼じゃない。ちゃんとさ、愛してくれる男性と、一緒にならないと」

銀ちゃんもこっちを向いて、曲げた腕に頭を乗せる。

「それに俺自身も、嘘をついてまで出世したいタイプじゃなかったからね。自分にも、世間様にも。むしろ、家庭を持たず、仕事一筋。真面目にこつこつ働いたから今がある」


ようやく保存が終わって、僕はパソコンを閉じ、枕に頭を乗せた。

「そんな銀ちゃんが僕と一緒にいるのがたまに不思議」

「そう?」

「真面目にこつこつとか、そういうのに耐えられなくなったタイプだから」

閉じたパソコンに視線を向けつつ、正直に答えると、銀ちゃんは笑った。目尻の皺と法令線が深くなる。

「そうかな。俺は氷治の仕事ぶり見てると、真面目だなって思うよ。今もそうだし、いつも仕事のこと考えてる」

「僕の()()はまた違うじゃん。感覚が動いた時にメモっておかないと忘れちゃうからだよ。たまたま仕事になってるだけ」

「氷治はやっぱり本物のアーティストだね」

面と向かってそう言われると、少し照れる。能力を褒められるのは悪い気分じゃない。


文句ばかりの僕と違い、銀ちゃんは世間的に悪いとされている事ですら、褒め言葉のように言い換える。その優しさや寛容さは、銀ちゃんの魅力で、形を持たない才能のひとつ。

「真面目な俺といるのは、しんどい? 俺がこうしてるからきみも真面目にしなさいなんて言わないし、思った事もないけど」

「ううん、しんどくない。ずっとそう言われて来たけど、銀ちゃんにだけは言われた事ないから」

一緒に居てもしんどくない。行き着く先は、そこなのかも知れない。相手の見た目や、年齢じゃなく。


「それが、何で不思議なのかな」

優しく尋ねて、聞き耳を持ってくれる銀ちゃんが、先生や上司だったら良かったのに。それなら学生時代や会社員時代は、もう少し明るい思い出になっていたかも知れない。

「みんなと違うからだよ。考え方も、許容範囲も。僕に上からああしろこうしろって言ってきた、他のみんなとは違うから」

無意味な行事を強制される事も、非効率な仕事や不合理な価値観を押し付けられる事もない。ありのままの僕で居させてくれる。素の自分を肯定してくれる存在が、どれだけ有難いか。


「俺はこれが普通だと思ってるんだけどね。たまに、頭の固い人がいる」

「たまに? ほとんどがそうだよ」

「氷治の周りでは、そうだったのかも知れないね。真面目にしてても、それはそれで色々言われるものだけど」

「真面目でいるって、しんどくない?」

「しんどい時も、あったと思うよ。でも、不真面目になりなさいって言われて、できるものでもないんだな、これが」

「やりたいようにしてればいいだけなのに」

「真面目にしてるのが落ち着くんです」

銀ちゃんはなぜか敬語になった。それから、もっとくだけた笑顔を見せて来る。

「でも、独り身だったからこうして、氷治と会えたでしょ?」

「僕は銀ちゃんが既婚者でも、奪いに行ってたと思うけど」

「こらこら」

銀ちゃんは笑いながら窘めてくる。冗談だとでも思っているのだろうか。

「ほんとに不倫旅行になっちゃうでしょ」

もし奥さんや子供がいたら、別れてはくれないんだな、と思った。銀ちゃんは真面目で、優しい人だから。


「銀ちゃん、僕の妹と結婚しない?」

思い付くまま言ってみた。

妹のことは、よく知らない。一緒に暮らしていた頃もあまり話した記憶がない。歳が離れていて、連絡先も変わっているはずだ。まだ学生だという事くらいしか分からない。

「何言ってるの、もう」

「母さんと再婚でもいいよ。そうすれば家族旅行って事でまた来れるよ」

「氷治、冗談でも失礼だよ」

叱ってくれるのは少し嬉しい。でも、引っかかるし納得いかない。銀ちゃんが僕より、僕以外の人に対しての礼儀を通そうとするのは。

「気にする事ないのに。ここにいない人のことなんか」

「……もう寝ようか」

銀ちゃんが話を終わらせようと、行灯型のライトに手を伸ばして、消そうとする。


その前に僕は飛び起きて、自分の布団一式を銀ちゃんの方へ引きずって行った。パソコン作業も終わり、スマホの充電も繋いだのだから、遠くにいる理由がない。

銀ちゃんは何も言わず、コードを手に持ったまま、少しきょとんとした顔で見てくる。

隣に布団をぴったりとくっ付けて、僕はその上に正座した。


「銀ちゃん。僕やっぱり、僕の全部銀ちゃんにあげられる。だから銀ちゃんの残りの人生、僕にくれる?」


「氷治の残りの人生はどうするの? まだ俺の半分なんだよ?」

あの時とは、答えが変わっていた。少なくとも、僕と添い遂げる事は決意してくれている。

それが確認できただけで、この旅行は成果があったと言っていい。どこにも観光に行けなくても、日常を離れたから引き出せたのだ。

「銀ちゃんが居なくなってから考える」


「……じゃ、できるだけ早いとこお暇しないとね。氷治が少しでも若いうちに」

「銀ちゃんこそ何言ってるの。年齢で判断してくる相手なんてこっちからお断りだから」

強めに言っても、銀ちゃんは笑うだけだ。

年齢に固執したり、引け目を感じたりしている銀ちゃんのことまで否定してしまったようだと、言った後で気が付いた。


僕が布団に入ってから、銀ちゃんがライトを消した。

掛け布団から腕を出して、仰向けで、目を閉じる。隣で銀ちゃんも眠る体勢になったのが聞こえた。

「……銀ちゃん」

「ん?」

「幸せになろうね」

雨の音と、畳の香りと、柔らかい闇に満ちた室内。それが、僕にこんなことを口走らせた。

「そうだね。でも、今も十分幸せだよ、俺は」

真面目で堅実な銀ちゃんは、あまり多くを望まない。

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