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神様の消費期限

作者: にょん
掲載日:2023/10/15

 山の奥深くに、ある大木があった。春には花を、夏には青々とした緑を、秋には紅葉を、冬には落葉を。そうやって山を守ってきた大木を、いつしか麓に集まった人々は、「神」と呼び、永い間、奉ってきた。


 神は人に慕われることが嬉しくて、村に五穀豊穣をもたらし続け、村は栄えていった。


 しかしいつの頃からか、神の力は衰えていった。それは急速なものではなかった。人の一生などとは比べものにならないほど、ゆっくりと。徐々に、徐々に。神の力は衰えていった。


 そうして村は飢饉や疫病に襲われるようになり、すっかりと寂れていった。


 それでも村人たちは神への信仰心は忘れず、やがて、生贄として年端もいかぬ若者が神に捧げられるようになった。


 神は嘆いた。


「そんなことに意味はない。どうか愛しい人の子よ。衰えた私など、見捨てこの地を離れなさい」


 しかしその声が届くことはなく、毎年のように生贄は捧げられた。


 ある年の暮れだった。一人の少年が生贄として大木に縛り付けられた。


 生贄はここで寒さと飢えに命を落とす。朽ちた体は大木が栄養として吸い上げる。


 生贄たちの瞳に宿るのはいつだって絶望の澱みだった。大人たちに口減しで捨てられる。覇気のない子供が死ぬのはいつだってあっという間だった。灰色の空から白い雪が舞い落ちる。

 彼の手足は真っ赤に霜焼け、吐く息は白く荒かった。


 ただ神は驚いた。今回の生贄は、その目に光を宿したままだったのだ。

 彼は、自分を置いていった大人たちが十分に見えなくなったのを確認すると、口から小さな黒曜石を吐き出して、それを器用に縛られたままの手で受け取った。

 

 そうしてそれで少しずつ、己を縛り付ける縄を切り始めた。

 

 ようやっと、全ての縄が取れたとき、少年は雪原に跪き、共に備えられていたわずかな握り飯と芯まで凍った川魚を貪りくっていた。


「もし……」


「誰だ!」


 黒曜石を構えて、少年は辺りを見渡す。


「そこは寒いだろう。私のウロに入りなさい。きっと今よりは暖かいだろうから」


 しばらく警戒を解かなかった少年だったが、吹雪く寒さには耐えられなかったらしく、そろりそろりと歩みを進め、大木のウロへと潜り込んだ。


 ウロの中は、じゅくじゅくと湿っており、果実が腐ったような香りがしていた。少年は顔を顰めつつ、きょろきょろと辺りを見渡す。


「おい、お前は誰だ?どこにいる!」


 黒曜石を構えながら、少年は辺りを見渡すが、そこには誰もいない。


「誰もいないさ。いや、どこにでもあると言おうか。私はこの大木そのものであるから」


「じゃぁ、何か。お前が神様とでもいうのか」


「まぁ、お前たちはそう言う。そんなたいそうなもんじゃないが」


「どうだか……」


 少年はしばらくウロの中を見張ったが、やはりそこには何もない。ようやっと神の存在を信じたのか、彼はウロの一番奥に腰を下ろした。


「本当にいたんだな。神様というのは」


 ため息をつきながら、少年は握り飯の続きを頬張る。


「私の存在を信じていなかったのか」


「うちの村では毎日のように死人が出る。一昨年は姉さんが生贄になった。「私の命で村を救う」と、なのに、母さんも妹も弟も……みんな飢えて死んだんだ。あの善良な姉の願いを聞き届けないなら、神なんていないと思うのが当たり前だろう」

 

 その娘のことを、神はよく覚えていた。その少女も初めのうちは、瞳に光を宿していた。それはそれは温かい輝きを。しかし、死が数刻前に近づく頃にはその瞳は澱んでいた。


「なぁ、神よ。なぜお前はこの村を救ってくれないんだ」


「それについては申し訳ないと思っている。だが無理なのだ、このウロを見よ、ここだけではないんだ。身体のどこもかしこも、腐り朽ちている。間も無く私は死ぬのだよ。私にはもうどうする力も残っていないのだ」


 少年は大きな瞳を見開いて、俯いた。


「そうか、あの村はもう終わるのだな。お前と一緒に」


「そうさ、だからもう、生贄など不要なのだよ。吹雪が止んだら、どこにでも行けばいい。きっとお前の姉もそれを望んでいる。だから今は休め、今日は疲れただろう」


「どうだろうな。この吹雪だ。外よりマシとはいえ、このウロの中だって凍え死ぬにはちょうどいい寒さだ。明日の朝日は拝めないかもな」


「そうか、では暖が取れれば良いのだな」


 神は、自身の枝葉を集め、ウロの中に小さな火をつけた。ほぅっと、ウロが温かな赤に包まれ、少年の輪郭が浮かび上がる。


「五穀豊穣や疫病退散なんて力はもうないけど。これくらいならできんこともない。だが、これ以上の火は望むな。燃え死ぬのは流石にごめんなんでね」


 少年はただ、呆然と神を見つめていた。


「ああ、この姿か。お前の姉の姿を借りたよ。薪を集めるには人型である方が便利だろう」


 神は申し訳なさそうに微笑んでみせた。怒られるかもしれない。そう思っていたが、少年はわなわなと口を震わせて、神の体に飛び込んでわんわんと泣いた。


「姉さんっ、姉さん……!」


 神はどうしたらよいか分からなかったが、昔、誰かで見たように、そっと少年の体を抱きしめてみた。芯から凍えた。雪のように冷たい体だった。



 次の日になっても、少年が旅立つことはなかった。神を姉と呼び、共に日々を過ごした。神の方も、人の子と話していることは心地よく、二人は仲睦まじく暮らしていた。神は山のことならよく知っていから、わずかな食べ物がある場所も、うまい水が沸く場所もよく分かっていた。少年が食うに困ることはなく、そんな日々で一年が経とうとしていた。


 そんなある日。大木に、新たな生贄がくくりつけられた。少年はその生贄の縄を解き、どこか遠くへ逃げるようにと諭した。だが、幼いその子は村に戻り、少年に助けられたことを話してしまった。


 山狩は一昼夜続き。ついに少年は捕えられた。神が次に少年と再会したとき、彼は虫の息で、大木にくくりつけらていた。


「ああ、なんてこと」


 少年の姉の姿のまま、神は村人たちの前に現れた。村人たちはその姿に恐れ慄き、その場に皆がひれ伏した。


 ーどうか、神よ。怒りをお納めください。

 逃げ出した生贄を再び貴方に戻しましょう。

 どうか、村に五穀豊穣を。疫病を払ってくださいー


 同じことを呪文のように繰り返す村人たちに、神は微笑みながら言った。


「もう、この土地には草木ひとつ生えることはないでしょう。貴方たちにはそれが何故だかわからない。きっと、永遠に」


 そんな力などないのに。神ははっきりと村人たちに告げた。


 神は少年の縄を解くと、しっかりと抱きしめて、大木に小さな火を放った。


 村人が悲鳴をあげて山を降りる中、小さな火種は轟々と燃え広がり、大木だけを燃やし尽くした。





 昔、ここには村があった。今や滅び、誰も住んでないこの地だが、その裏手の山には緑が多くしげる場所がある。


 たくさんの屍と、よく燃えた大木の灰のおかげでその土壌には新たな命が宿るには十分すぎるほどの栄養があった。


 この木の芽のうちにどれかが、きっといずれ立派な大木へと育ち、新しい神を生むのだろう。


 だがそれはきっと、気が遠くなるほど先の話。



おわり

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