轍乃 翼(てつの つばさ)
一方で、警視庁の所長室で雑務をこなしている一鉄は埃だらけの部屋で多少喉元に違和感をおぼえながらも、マスクと喉飴を味方に書類のサインを必死にやっている。静けさに包まれた空間で書類が大量に入った分厚いファイルだらけの本棚を漁っていたのは一人の20代後半過ぎくらいの女性である轍乃翼、紫掛かったピンク色と毛先は銀の髪をしており、後ろ髪は肩の少し下ほどまで伸びている。こちらは汚れめの環境に慣れているのかマスクは着用せず、また喉をケアしたり咳込む様子もない。
それとは対比に着こなされた綺麗で落ち着いたなスーツが鈍く輝いている。
翼がファイルをパラパラめくりながら一鉄に質問を投げかける。
「どうして、人質の場面で本職である貴方が向かわなかったのですか? かなり内部で問題になっています」
「分からない。直感ってやつかな」
「直感、ねえ……」
胸元のポケットに引っ掛けていた黒縁の眼鏡を空いている左手で持ちつつ、表情一つ変えずそのまま静止した。
「それともう一つ。わたくしではなくなぜ朝日奈南美を聴取に向かわせたのか。あんな"幼い"女の子」
「何言ってるんだ。ああ見えて俺達より知能が高い。今度6桁×7桁と、マイナスで4桁の思いついた数字投げかけてみろ」
「ふんっ、そんなあの子に出来る筈などありません」
「嘘はついてないからな!」
一鉄の視線からは背後で見えていないが、翼は少し笑っていた。少し微笑ましく。
数時間、そこから会話が弾む事はなく、翼は別の要件があるので部屋を退出。次の目的へ向かう廊下の途中、聴取を終えた朝日奈と隣には猩々緋怜の姿もあった。
それを見た翼は環境の緩さに疲れた表情で首を横に振る。
「敢えて何も言いません。おゆき」
「うん! 頑張ったんだからね!」
「はいはい」
まるで小学生のように廊下を走る南美を大声で注意しながら、今度は怜の方に視線を向く。
気まずそうにしばらく視線を合わせる怜は、恥ずかしげに黒い色のフードを頭にかぶった。
「何を想像しているのでしょう。部外者は基本立ち入り禁止なので、お引き取りくださいね。坊ちゃん?」
「は、はい! すぐ帰ります!」
そそくさと走る怜を何か裏のありそうな笑顔で小さく手を振ってお見送り。そして自身の要件へと向かおうとした矢先だった。天気予報は晴れ一辺倒のはずなのに、空模様が一気に暗くなる。
またしても走って翼の元に来る南美は大きなガラスの窓を指差す。
「あれ! 飛行船アズールだよ! 空の上止まってる!」
「見れば分かりますよ。やれやれ、一鉄くんは何をやらかしたのでしょう。楽しみですね」