(ブラッシュアップ版)第6話 正体
所変わって、服屋の並ぶ通り。
そこでは流行の衣装に身を包んだマネキン達が、ファッションショーをするかのように踊る。
ダンディな装いの奴もいるが、今欲しいのはそういう凝ったものではなく、
ガラス棚に背を向けながらジャガーは新聞を読んでいた。
買った訳ではない。独りでに飛んできて、求人の欄を開いてくれている。
「仕事にゃ困ってねーんだがな」
そんな風に見えるというのは、理解している。
服まで脱いだことで、身嗜みは最低の部類に入っていることだろう。
浮いてもいるはずだ。こちらの人間はそこまで解放的ではない。
昔住んでいた所は、ジャングルだった。
コンクリートのとは付くが、煉瓦の街とは合わない。
上品で、小奇麗。道一つとってもカラフルで洒落ており、脇に植栽が多いのは水の豊かな証でもある。
黄金郷の呼び名を持つ世界でも有数の大河と、広大なエルガー海という地中海を、
傍に置くここは、正に水の都。
海水浴でもしたい気分になっているが、この時期でも水着は売っているだろうか。
からんからん、と鈴の音がして横にある扉が開き、買い物袋を持った二人が出てくる。
頼んでおいた夏物の上着をミークから手渡され、彼は袖を通す。
良い品なのは肌感で伝わった。
ロゴも目立たない感じに縫い込まれ、下のズボンとも合う色合いだ。
「結構したか」
「いいえ、セール品で置いてあったから、安く買えたわ。セクシーな胸毛が隠れちゃうのがいただけないけど」
「俺に欲情すんのはよせ。今度から剃っておく」
「どうしてよ。素敵よ。男らしくて」
「嬉しくなさすぎて涙が出そうだ。汗掻きすぎてもう一滴も流れ出そうにねぇが」
「向こうじゃ馴染みなかったけど、こういう天気を精霊の悪戯ってこっちじゃ呼ぶのよね。ほんと暑いから、私も中で着替えてきたわ。どう」
派手な装いがカジュアルなシャツ姿に変わっただけだ。
際立って何か思うことはない。
「まぁ、似合ってるんじゃねぇか」
「もう反応薄いわね」
「俺に期待するな。それより早いとこ涼もうぜ」
昼食を取るにも良い時間だ。しかしその話を振ろうにも聞いてなさそうなのがいる。
覗きに夢中なクリームだ。
男といると聞いた。しかも中々のハンサムボーイであると。
「今はどこでいちゃついてんだ」
「見えないとこ行っちゃったから。気になるー!」
反応はあったが、いったいどこで何をやっているのやら。隅に置けない。
そんな邪推とは裏腹に、その場では緊張した空気が流れ、
額から滲み出してきた冷たい汗と一緒に、手から滑り落ちたアイスが地面へと落ちる。
咄嗟に伸ばされた腕が、歩みを止めないニックのシャツを掴んで引く。
リードを引かれた犬のように前で身を仰け反らせ、怪訝な顔で、
彼は首を後ろへと向けていたが、フォウの険しい表情が目に入るなり、
前方へとその目を向け直していた。
双眸に捉えているのは、偶然道に居合わせた親子であり、父子という組み合わせ。
「何か怪しいと感じたのかな。あの二人」
小声で尋ねたら、返答代わりにシャツが軽く引っ張られた。
その時、フォウが背後から警戒していたのは、父親の方。
似た顔付きの親子であり、傍目からはそうとしか見えないだろう。
しかし、二人に血の繋がりがあるようには、まったく感じられなかったのだ。
別の生き物のように映る。気配が違い過ぎる。
さっき向けてきた目は、まさしく殺しに長けた者の目だった。
血の詰まった肉袋のようにこちらを捉え、だからか重なった。
近寄らない方が賢明だと判断したが、ただそれを口にすれば、
気取られる恐れもある。
だからさっきも行動で示した。いや、だとしてもまだ公園からは見える範囲。
こんな所で仕掛ける馬鹿はいない。
なれば、多少不自然であろうと黙って退散するのが得策。
よし、戻ろうと思った直後に前の足が引かれて、隣にニックが来る。
続けて妙な演技が始まった。
「おや、落としちゃったのかい。僕ので良かったらだけど、それとこれも持っててくれるかい」
フォウは困惑した。アイスだけでなく肩の背広や被っていたハットまで、次々手渡され両腕が埋まる。
これでは何もできない。いったい何の真似か。
まさかと悪い予感が脳裏を過った。
見つめる顔に悪戯っぽい笑みが浮かび、行ってくると、言わんばかりの片手をあげる所作を見せられ、焦りもした。
ばか、やめとけと顔を青くしたって、声に出ていなければ意味などなく、すたすた行って声を掛けてしまう。
「どうも、こんにちは」
頭を抱えたい衝動に駆られつつも、その際彼がポケットに手をつっこみ、指の先に挟んで取り出していた白い手帳のようなものに意識が向く。
いや、間違いなくそのものだろう。尾行していた際に小道具で使っていた物とは柄が違う。
あっちはモノトーンだった。ニックは握り直して前に出す。
「わたくしこういう者でして。格好は気にしないでください。非番なのに駆り出されているもので。今はほら、巷を騒がせている例の事件で人手が足りず」
「あの串刺し、ですよね。まさかここらでも」
「いえ、大したことではないのです。公園で不審な男に声を掛けられたと後ろにいる子が駆け込んできて、さっきそこで話を聞いてみたら、その男はこの道に入っていったと」
「そうでしたか。何せこの子がよく駆け回るもので、そのことで私は手一杯だったと言いますか」
「なるほど、他を見るような余裕はなかったと。なら仕方ない。この炎天下の中、元気なお子さんのようだ」
「そうなんです。困ったものです」
正に苦笑し合うといった感じに笑い合って、「では、もし見掛けるようなことがあれば」と、
何か深く追求するでもなく、彼は早々にやり取りを切り上げ、
向こう側へ立ち去って行こうとしていたが、父親の視線が子供の方へと移り変わり、
自分から切れた瞬間だ。
何の兆候もなく一発かました。隆起した地面が親子を取り囲む。
しかし肝心な方は寸前で飛び退き難を逃れており、まるで今から、剣を抜き放つかのように腰に手を添え、妙なことにそこには何もないが、その動きに関しては特に驚きもなかった。
手練れなことはわかっていた。不意打ち躱すくらいは予想の範囲内。
仕掛けた本人は驚きを隠せない様子であったが、すぐさま表情を締め直す。
「良い反応速度だけど、わざと捕まっても良かったんじゃないかな。僕ならそうしたね。そのあと人違いだって騒いでた」
「――手間が増えるだろう」
「遣り合うことの方がよほど手間なように思うけど、それともそれで寄ってきた野次馬全員消すことでも考えたかい。今まで何人殺ってきた」
「今から犠牲者が一人増える。――いや、二人か」
「どうだろうねぇ。お勧めはしないけど、尋ねてみればわかるんじゃないかな」
そんな答え方をすればどうなるか、こうなるだけだ。
マークされるように見られる。
巻き込むなと嫌になってももう遅く、ただその最中、正体現した奴の後ろ、
掛かったなと言わんばかりの笑みが覗き、直後に死角にするりと持ち上げられた腕の先、
光を纏う五指から命を奪う閃光が飛んだ。
胸元掠め、抜けていく。
それすら躱すかと驚くよりも前に、突如として視界に映り込んだ、青い刀身の剣に目を奪われ、彼女は思う。どこから出した、と。
ああ待て、違うと気付いたのはすぐで、その時頭に浮かんでいたのは、小さな同居人。
この事象には覚えがある。見せて貰ったことがある。
同タイミングで認識できるようになった腰の鞘ごと、ズボンの柄かアクセサリーのように思わされていた。
彼女も使う魔法の変身道具でだ。
「不可解としか言いようがないね。それルーンソードだろう。魔力のない人間にしか持てない代物のはずだけど。いや、そもそも生み出せない。正確には、生み出したところで誰も扱えなくなる。違うかい」
返答は、得物を振るうには遠かった距離を瞬時に詰める掻き消えるような踏み込みだ。
大慌てで待ったをかけるような体勢で前に分厚い氷の壁を生み、ニックは辛うじて襲いくる横薙ぎを受け止めていたが、あわや血の雨という一幕であり肝が冷えた。
すぐさま剣が引かれ、今度は刀身から無数の光る物体が生み出され、羽ばたき立つ。
よく見れば小鳥だ。群れを成し、彼の上を覆っていく。
「伝達用の小鳥には見えないねぇ。みんな凶悪そうな面してる。これが串刺しの正体なのかなぁ。どうなんだい、フラワー売りの串刺し公」
悠長に話している時かと、思ったことが次の瞬間には頭から消えていなくなる。
それくらいの衝撃が、今走った気がした。
待てと思考を巡らせ、ああと内で大声響かせるまでに要した時間は刹那とも言える。
思わず見開いた両目に映る男こそ、探し求めていたターゲットに他ならない。
ニックも気付くはずだ。特徴が合致し過ぎている。
なら上の小鳥は、彼の言葉通りの代物か。
一斉に翼を折り畳むと五月雨矢の如く前で降り注ぎ、突き出された腕から、傘でもさすかのように広げられた、光の天幕へと呑みこまれていく。
得意げにどこかに誘われているだの言っていただけあって、魔法ならどちらに分があるかは、
一目瞭然。
「ただの綺麗な剣って訳じゃ、やっぱりない訳だ。改良を施されてグレードアップしてるのは置いておくとして、カルウェナンじゃ国に関わること、軍に入ることだって魔力がないことが絶対とされている。こっちのスパイを潜り込ませない為にね。僕はそこが引っ掛かってる」
口だって乗っていた。情報を引き出したいが為だろう。
喋り続けたかいあってか、相手の攻める手が止まっており、閉じていた口も開く。
「べらべらとよく喋る。知ってどうする。すぐに話せる相手は空の向こうにいる奴らだけになる」
「どうかな。もしかして攻め手がないとでも思ってる」
「試してみろ。すぐにわかる」
「ではお言葉に甘えて」
言うや否や、ニックは後ろへ飛び、距離を取った。
続けて五指から輝く糸のようなものを伸ばし、鞭のようにしならせたそれを相手の足元目掛けて振るう。が、打ち据えることなく両断されて、驚愕の二文字が顔には浮かんだ。
「――魔狼の爪って、切れるものなんだ。金属だって断ち切れるんだけど」
「ほう、今のがか。思ったよりも大したことないのだな。それとも貴様の腕が、あの狼男よりも未熟なだけか」
「その呼ばれ方は嫌いみたいだよ。アンスロみたいだろ。行動とは矛盾してたりするから、本心ではない気もするけど」
「神の名をつけ増長するなど烏滸がましい」
「そういう風習なだけだって。それと君がおかしいだけかな。完成度は悪くないってその息子に褒められたくらいさ。ほんと何者かな、何等級、教えてくれると嬉しいな。今後の参考の為にさ」
「お前に次はない」
行動に移るのも早く、正に風のような速さで突っ込んでいく。
障害物となる氷の壁を迂回するような形であったというのに、瞬く間に開いた距離を詰め、
今度は剣を振るう前に腰溜めが入った。
「ニック避けろっ!」
防ごうとしたのを見て咄嗟に叫んだが、遅かった。
止まることなく腕は振り切られており、一拍置いてずれ落ち霧散していく防壁として生み出された新たな氷と一緒に、斬られたのだということを理解し、
腹部を赤く染めていったニックは、直後に膝を落とし、倒れ伏す。
「読みを誤ったな。そうなるようわざと一合目は緩めたのだが、ああも容易くこの剣の魔法を凌がれようとは、正直思っていなかった」
止めの一撃を入れるような動作が目に入り、彼女は抱えたものを放り捨てた。
間髪入れずに地を蹴って、間に合えと念じながら片腕を伸ばす。
同時に放ち向かわせた黒い手の先を、後ろにまで目があるように振り向きざまに斬り飛ばされはしたが、阻止できたのなら良しだ。
それで力を失うようなものでもなく、お構いなしに手首から下で殴りつけ、吹っ飛ばす。
手応えはないに等しい。あの速さで後ろへ飛べば、衝撃もほとんど緩和されよう。
思いのほか下がっていることからもそれが見てとれ、もう片方の手からも黒い手を出し反撃に備えつつ、瀕死の重傷を負う彼のもとまで駆け寄った。
か細く呻くような声で、「助かるね」と耳に届く。
「喋んな。死ぬぞ」
「どうなるかはわかってるさ。死に際はかっこよくって決めてるんだ」
最後の力を振り絞るかのように、彼は腕を伸ばし、手のひらに光を灯して、
そこからきらきらと瞬く白い煙を上げ始めた。
それを目にした途端、ターゲットは身を翻して去っていき、思わず彼女の口からもれたのは、
安堵の吐息。
ひとまず助かった。早いとこ病院に担ぎ込んでやらないとならないが、その前にだ。
道中邪魔に思い、腰に巻いておいたジャケットの結びを解く。
シャツを脱ぎ止血に使おうとした為だが、よく見るとニックの腹の所には氷が張られており、顔には微かな笑みも浮かぶ。
「あはは、ばれちゃったかぁ」
「あのな、中身は無事なのか」
「君の声で少しではあるけど身は引けたから、神に祈る感じかな。という訳で、任せたよ」
屈めていた身を立てると表情を引き締め、「わかった」と彼女は了承を伝えた。
戦闘に気を取られて気付くのが遅れたが、少し外れた場所とはいえ公園のすぐ傍だ。
遠巻きに様子を窺っている人間が何人もおり、ニックのことはそいつらに任せ、
黒い手で地面を引っ掻き影を生む。
飛び込んで一体化し、トップスピードで跡を追った。
足には自信がある。馬にだって勝てる。平地でなければとは付くが。
問題は、このことを別行動しているあの三人に伝えられるかどうか。
関門は二つ。一つは幸運に恵まれ思いのほか楽に突破できた。
残る一つは、こちらからはどうすることもできない。
なるたけ早く、お願いと祈るが、その鍵を握るクリームは、今は見てはいなかった。