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第九話

 琴音の母から解放された俺は、クッションでくつろいでいた。姿勢をいかに変えようと身体に合わせて沈み込む柔らかさは、形容し難い心地良さで眠気を誘う。


『む……。いかんいかん、琴音を出迎えるまで寝るわけには……』


 だが俺の意志に反して、意識は遠のくばかり。それでも尻尾を動かし耐えていると、トントントン、と軽快な足音が聞こえ、ドアが勢いよく開く。


「ヨスガ、ただいま!」

「……ああ、よくぞ無事に帰還した」

「あははっ! 何それ斬新な挨拶だね……って、もしかしてお昼寝してた?」

「いや、つい先刻まで琴音母の接待をしていた。それより、朝食のサンドイッチ美味かったぞ」

「ふふん、どういたしまして! それはそうと、ヨスガにサプライズがあります!」


 宣言通り、琴音は夕方に帰ってきた。制服姿の彼女はバッグを本棚の横に置くと、得意げに一枚の紙を見せつける。


「じゃーん! こんなの見つけちゃいました!」


 そこには「猫カフェ アルバイトスタッフ募集! 高校生、主婦、主夫の方大歓迎!」と書かれていた。手書きの文字は肉球の絵と相まって、何とも初々しい仕上がりになっている。


「ほう、ここで働くのか?」

「うん! 時給が良かったから。あと制服がかわいいし、何よりまかない――キャットフードが社割りで半額で買えるの! 面接の人も優しかったし、もう文句なしって感じ!」

「そうか。……」

「あれ? どうしたの? 嬉しくない?」

「いや、喜ばしいことではあるが。原因がオレにあるだけに、素直に祝えなくてな」


 一日経つと、人間誰しも冷静になるもの。琴音からの申し出とはいえ、俺は若者の貴重な時間を奪うことに、多少なりとも罪悪感を覚えていた。しかし当の本人は、あっけらかんと否定する。


「ううん、そんなの気にしなくていいって。どっちにしろ、社会経験のためにバイトするつもりだったんだ」

「……そうか、なら良いのだが。時にそれは、この国の習わしなのか?」

「いやいや、うちの家系――というか親の方針でね。“社会人になる前にバイトをして、働く大変さを事前に知っておけ”っていうのがあるの」

「成程。何事も、段階を踏まねば上手くいかんからな」


 基礎無くして応用無し。生前は数多の若者を雇用したが、直前に従事の経験がない者の大半は、すぐに音を上げ辞めていった。その懐かしさに浸っていると、琴音は情けない声を上げる。


「いや〜、でも緊張するー! ミスしたらどうしよう!」

「肩の力を抜いて臨め。如何なる賢人ですら、失敗を知らぬ者はいない」

「……ふふっ。何それ、変わった励まし方。だけど、おかげでリラックスできたかも」

「ああ、その意気だ。鼓舞を聞いてなお不安であれば、オレも同行してやるが」

「あははっ、何それすっごい心強い! めげそうになったときお願いするね!」


 楽しそうに笑う琴音は部屋着を手に取ったため、すかさずドアと対面する。


『しかし、社会経験か。赤子同然の思考かと懸念していたが、存外年相応に成長しているのだな』


 暇を潰すように、自身が10代だった頃を思い起こす。


『あの頃は多くの期待がのしかかってきたが、多くの学びが得られた時期でもあった。だが人生は一度きりだ。琴音が健やかに育てるよう、せめて邪魔だけはしないよう配慮せねば』



 その後は雑談も程々に、二人でリビングに向かう。そうして昨日と同じように食事をし、湯浴みを済ませたのだが、琴音母の視線がやけに柔らかかった。


◇◇◇


 やがて、残すところは就寝のみとなった。一日で最も心安らぐ時間は流れ方も穏やかで、クッションにもたれ掛かるとあくびがでる。一方琴音はベッドの上にいるのだが、何やら真剣な面持ちでスマートフォンをいじっている。


『……暇さえあれば手に取っているが、貴重な時間の大半を費やすほど有意義なものなのか?』


 急にニヤニヤ笑ったかと思えば、眉間にシワを寄せ始め、またある時は涙ぐむ。その様はまるでピエロのようで、つい表情を観察してしまう。


『ふむ……。傍から見ればただの板だが、恐らく書物や娯楽も兼ねているのだろうな』


 俺もいつか、専用のスマートフォンが欲しいものだ。儚い望みを抱きながら眺めていると、琴音が突如振り向く。


「ねえ聞いて! 明日行くバイト先なんだけど、SNSの宣伝用に猫モ募集してるんだって!」

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