いよいよこれは知らないルート
学園生活が始まってすぐ。クレイアの貴族へ留学生として紹介されたのは、ルシュカ様だけではなかった。
「シルヴィ?!」
思わず頓狂な声が出た。当の本人は不服そうに顔を歪めている。
隣に立つルシュカ様はといえば、対照的に晴れやかな笑顔。敬称なく弟を呼んだことで、視線がわたし達の間を往復したのがわかった。
「フィオレ嬢もいると聞いてね。せっかくだから誘ってみたんだ」
「あんな強行手段をとっておいてよく言う……」
毒づきながらとても苦い表情をしていたから、何があったかは聞かないでおこう。
「お会いできて嬉しいです、シルヴィ、ルシュカ様」
それはまったく社交辞令ではない。
はにかむと、ばつが悪そうに見下ろしてくる。お兄様を見習って、少しは笑ってくれてもいいのに。
しかしなんというか、うん。
二人が並ぶと非常に画になるな。身長があるのと姿勢が良いせいもあろうが、やはりオーラがすごい。
「他国との繋がりを築いておくのも、国の上に立つには大事な務めだからね」
「それは兄上の話だろう。俺は皇位も継がないし、兄上の剣となれたらそれでいい」
「何があるかわからないじゃないか」
冗談混じりに肩をすくめるルシュカ様。未来の可能性を知るこちらとしては、顔をひきつらせる他ない。
と、彼らはわたしの後ろにいるジョセフィーヌに気付いたらしい。
「君はフィオレ嬢のご友人かい?」
声を掛けられた彼女は珍しく、はっとしたように赤い顔のまま礼をとる。帝国エルーシアの重要人物が目の前にいる大変さは、この世界の住人のほうが身をもって理解しているだろう。
「ご挨拶が遅れ失礼をいたしました、ルシュカ殿下、シルヴィ殿下!」
「そんなに畏まらなくても良いよ。僕たちはここでは学友なのだからね」
あっけらかんとした笑みにより、彼女の緊張もわずかにほぐれたようだ。
皇子様から差し出される片手。わたしを伺い見た後、それをおずおずと両手で包み込む。
「でっでは、お言葉に甘えまして……ジョセフィーヌ・バレリーと申します。お会いできて心から嬉しく思いますわ」
「こちらこそ。僕はエルーシア第一皇子、ルシュカ・エルーシア。よろしくね。で、こっちが」
「同じく、第二皇子のシルヴィ・エルーシアだ」
素をさらけ出したシルヴィの言動に、ジョセフィーヌは少しだけ目を丸くした。
「……随分と印象が違いますわね」
「本当に」
こっそりと囁き合って笑みを交わす。ルシュカ様もこれほど気安いなんて、実際に話してみなければわかるまい。
◆
すっかり頭から抜け落ちていたのだが、学校ということは、わたしもきちんと勉強しなければならないわけで。
中身が一応は大学卒のアラサーとはいえ、貴族様の勉強は本当に難しい!
マナー、音楽、語学は共通。他に女性は裁縫と薬草学『だけ』でいい。
いっぽう男性はというと、算術、天文学、狩猟、乗馬、剣術、武具の手入れなどなど。
他国との交渉に用いることを見越してか、語学と算術については特に指導が厳しく、講義はついていくのがやっとだった。
必修科目が片方だけで助かった。昔からあまり数学は得意ではないのだ。そこはフィオレも同じらしく、密かに親近感が沸く。
「よそ見している場合じゃありませんわ。ここ、間違ってますわよ」
「えっ嘘」
そんなわけで、またしてもジョセフィーヌ先生にはお世話になっている。情けない……。
女性側は講義の数が少ない分、空き時間にはこうして自習をしたり、男性側の授業を野次馬のように観察したりするのが常だった。
今は外で馬術の授業中。みんなの目当てはもちろん、二人の皇子と一人の王子に決まっている。
「あ……」
シルヴィの番だ。意のままに馬を操り、障害物を軽々と飛び越えていく。騎士というからには手慣れたものなんだろう。
カッコいいと思う、素直に。
思わず目で追ってしまうのだが、これほど簡単に好意を抱いていいのか? 図々しくも推しを裏切ったような気持ちになる。
婚約者ならおかしなことは何もないけど……たった数度、言葉を交わしただけなのに。
「ベルトラン様の番になったら教えて? それまで、この作文らしきものの添削をしてあげますわ」
「うん――えっ?」
はっと視線を戻すと、拙い文章は完膚なきまでに真っ赤に染められていた。あああ……。
兄弟は、フィオレやジョセフィーヌより少しだけ年上だ。いくら親しんでくれるとはいえ、立ち居振舞いは見惚れるくらい洗練されている。皇子として最高峰の教育を受けてきたのだから、無理もないが。
そしてわたしが熱心に見つめているエルーシア兄弟に限らず、同胞の中で突出して優秀なのはベルトラン王子も同様だった。
彼とも会話する機会は何回か。パーティーの一件で気まずいかと思いきや、全く気にする風もなく話しかけてきてかなり驚いたものだ。
「あ、ベルトラン様」
「ッ!」
ガタン! と立ち上がるジョセフィーヌ。
王子が絡むと彼女はなんというか、途端にポンコツになるのが愛おしい。悪役令嬢だなんてとんでもない、単なるかわいらしい友人だ。
さて、しばしば女性陣に囲まれる三人のイケメン達。彼らを観察してわかったこととしては。
ルシュカ様は、入れ替わり立ち替わり訪れる相手に対し、疲れも見せず見事な笑顔で応対する。
が、誰にも靡く様子はない。柔らかく、しかしきっぱりと誘いは断っているようだ。
シルヴィには、そもそも近寄る女性が少ない。兄と比べ、話しかけづらいオーラがあるのは否定できなかった。退屈そうな姿を遠巻きに見られている。
たぶん本人も気付いているが、慣れているのか、別に煩わしいものでもないらしい。
ベルトラン王子のスタンスは、来るもの拒まず、である。
彼の周りはいつも賑やかだった。本編ではわたしに求愛し続けていたが、この世界ではもはやその必要はない。にこやかに笑みと好意とを振りまきながら、理想の愛とやらを求め続けている。
◆
「ふふ、わざわざ課題を見てあげるなんて優しいね、シルヴィ?」
「フィオレ。俺に恥をかかせる気じゃないだろうな?」
「うう、がんばります……」
エルーシアの麗しい兄弟は、婚約者の誼でか、わたし達にはよく構ってくれた。わたし達……わたしとジョセフィーヌである。
どうでもいい話だが、彼らは二人とも絶対にサド気質だと思う。
多くの友人が寄宿舎に帰った後、わたし達はよく居残りして、談話室でお茶を飲みながらお喋りに興じた。
声をかけてくれるのはもちろんルシュカ様で、シルヴィは半ば無理矢理に引っ張られてきている。こちらとしても彼らとはお近づきになりたいと思っているから、願ったり叶ったりではあるのだが。
嫉妬で他の女性に殺されるのでは……と最初こそ戦々恐々としていたものの、パーティーであれだけ派手に宣言したせいもあり、シルヴィの傍に居てもなんとなく許されているらしい。
兄弟はセットで行動することも多く、つまりルシュカ様と話す時間も増えたのは嬉しい。やっと、どうにか数秒は目を合わせられるようになった。
そしてジョセフィーヌはといえば、妬かれようとも屈するタイプではない。
曰く、「殿方の気持ちを都合よく解釈しようなんて、みっともないったらないわ。あんなものは言わせておけばいいのよ」とのこと。うーん、強い。
「野暮な話をするけど、ジョセフィーヌ嬢はベルトラン殿下とは仲良くなれたかい?」
「兄上」
だが、そんな彼女も本命相手には不思議なくらい奥手だった。今だって真っ赤に沸騰してしまっている。
シルヴィが咎めるも、ルシュカ様は意に介した風はない。
「そっそそ、そんなはしたないこと……!」
「兄上は他人に構っている場合ではないだろう」
珍しく自分から発言する彼の言う通り、ゲーム内でもルシュカ様の浮いた話は一つも聞かなかった。心外と言わんばかりに片眉を上げる。
「僕の恋人はエルーシアの国だからね」
何の気負いもなく言い切った皇子様。
実はとんでもない企みを考えていたなんて、この時はまだ誰も知る由はなかったのだ。