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婚約者の特権

 用意された部屋で一晩を過ごし、翌朝。

 一人暮らしをしていた身としては、手持ち無沙汰すぎるのも困りものかもしれない。ロイクさんが気を利かせて運んでくれた朝食をありがたく頂戴し、お皿まで下げてもらってしまった。


 することもなくぼんやりとベッドに腰かけていると、扉がノックされる音。


「失礼いたします」


 丁寧に一礼したのは若いメイドさんだ。

 着替えにお化粧に髪を梳かしにと、昨夜から目まぐるしく色々なメイドさんや使用人さんが訪れるものだから、申し訳ないことに名前も顔も覚えていないけど……。


「フィオレ様、シルヴィ殿下がお会いしたいと。ご案内してもよろしいでしょうか?」


 おっと、朝食を済ませていて良かった。

 今が何時かはわからないが、ほぼ初対面の男性に寝惚け顔をさらすのは恥ずかしい。部屋を散らかす暇はなかったし、見られて困るようなものもない。


「ええ、構いません」

「かしこまりました。……あの」

「はい?」


 彼女は周囲を確認する素振りを見せてから、小声で囁いてきた。


「殿下がパーティーでどなたかと仲良くなられるなんて、私どもも驚いております。御礼をお伝えしたくって」

「は、はあ……」

「複雑なお立場であらせられますけど、お優しい方なんです。どうか殿下のこと、よろしくお願いいたしますね!」


 どうにか頷けば、「応援しておりますので!」と小さなガッツポーズを返される。な、なんだろう?

 しかしエルーシアも敵ばかりではなさそうだ。彼は全員が味方とは限らないだなんて言っていたけど、もしかすると、自分で思うよりも慕われているんじゃないのかな。



 程無くして黒衣の皇子様が訪ねてきた。

 ほんと、作中イラストそのままに美しい。さぞおモテになることだろう……この近寄り難い空気さえなければ。


「眠れたか」

「あの、はい。少しだけ」


 どうやら、シルヴィ皇子の素はこちらのようだ。

 二人の時は一人称も『俺』だったし、ややぶっきらぼうで口数も多くない。社交モードとでもいうべきものがあるのだろう。切り替えの見事さは、さすが高貴な身分というか。


「ええと、わざわざすみません。来ていただいて……」

「ついでだ。これから処刑の立ち会いをする予定がある」


 何でもないことのように告げられた単語に、内蔵がきゅっとなる。相変わらず帯剣しているのが目に入った。


「まさかその、く、首をはねたり……?」

「随分とはっきり言うな」


 片眉を上げた彼は視線に気付き、剣の柄を上着の内側へと少しだけずらす。


「窃盗団への鞭打ちを数度。無論、やるのは執行人だ。捕らえたのが俺達だから同行するだけで」

「捕らえた、ですか?」

「ふん、罪人に情をかける余地はない。……ああいや、そんな話をしに来たんじゃ」


 心なしか早口に自分の台詞を打ち消すと、咳払いを一つ。


「その……放り出して悪かったな」


 ばつが悪そうに頬を掻く。

 確かに、陛下と話すと言って出ていったきり戻らなかったけど。素直な謝罪に驚きながらも、慌てて否定を返した。


「いえ! お忙しいことは承知しているので……むしろ良かったんですか? 殿下にわざわざ、こんな、ご足労いただいて」


 返答はなく眉根を寄せられる。……あっ。


「あちらに座ります?」


 皇子様を立たせっぱなしだなんて、失礼なことをしてしまった。ちょうどテーブルと椅子が二脚、窓際に用意されている。

 お茶を淹れた方が良いだろうか? 生前はいつもパックのお茶を飲んでいたから、きちんと葉っぱから淹れたことなんてないんだけど……

 そわそわしていると彼は小さく嘆息した。


「長居するつもりはない」


 それはそれで助かるが。じゃあどうして不機嫌なのだろう?

 戸惑い見上げると、更に眉間の皺が深くなる。

 ひたりと見返してくる、海を思わせる青の瞳。うっとりするくらい綺麗だった。深く澄んだ光に睨まれてしまうと、何もかもを見透かされそうで緊張する。


「お前……フィオレ」

「はい」

「昨日の言葉を取り消す気は本当にないのか」


 これは……怒っているのではなくて、戸惑っている?

 ここまで慎重に念押しされるとは思いもしなかった。逆に、こちらが確認したいくらいだというのに。


「それはその、つまり、取り消したほうが良いということでしょうか?」

「そうは言ってないだろう」


 なんだ、言いたいことがあるのならはっきり言ってほしい。

 腕組みをしたまま、ほんの少しの間。なぜか彼の側も固い表情で口を開く。


「その証……と言ったらなんだが。俺の名を呼んでみせろ」

「え、っと。シルヴィ様?」

「違う」


 いや、まさか、呼び捨てにしろと仰るのか。

 ぱちぱちと目瞬きを繰り返す。


「少なくとも俺は、お前と対等でありたい。他人の後頭部はもう見飽きた。陰で嘲笑うために飾り立てられた言葉にも、うんざりだ」


 どうやらそのまさか、らしい。

 淡々と連ねられる言葉の意味はわかる。権謀術数が渦巻く城内で、ただでさえ他者の機微に聡ければそれは生きづらいだろう。

 でもここで下手をしたら、悪逆無道の皇帝ルートに入ったりしないだろうか?

 どうしよう、正解の選択肢がわからない。

 ゲームのシナリオを思い出し、たぶんフィオレなら選ぶであろう言葉を必死で探す。


「……いえ、殿下に対しそのような不敬な真似なんてできません」


 捻り出した答えに、彼はわずかに傷ついたような顔をした。心がチクリと痛む。


「そう思うのならこれ以上は言わないが。……なんとなく、本心でない気がする」

「……」

「所詮はお前も貴族というわけだ」


 皮肉げに紡がれたのは失望の証。

 試したのか。

 心が痛んだのは、それが本心でないことをわたし自身が一番よく知っているから。

 自分で自分が恥ずかしくなる。皇子だとかそれ以前に、今わたしは彼を『ゲームのキャラ』として扱った。無意識の甘えで一人の人間を侮辱したのだ。


 唇を噛む。

 ……何がルートだ。何が選択肢だ。

 彼はこうして目の前に生きているというのに。あの時に差し伸べてくれた手も、傷ついた表情も、本物だった。シルヴィ・エルーシアは個として、人として、存在しているのに。


「し……シルヴィ」


 小さく声に出してみる。カッと顔が熱くなった。

 も、もうどうにでもなれ!


「シルヴィ! ……どうですか?」


 わたしの大声に驚き固まっていた青年は、思わずといった風に瞳をぱちぱちと瞬いた。それからゆっくりと、形の良い唇が弧を描く。


「敬語が抜けてない。減点」


 厳しい!


 満足げな様子がおかしいのと気恥ずかしさとで曖昧に笑むと、目が合った途端にサファイアが細められる。


「お前はやっぱり、馬鹿みたいに素直だな」


 その声音に羨望が滲んでいたのは気のせいだったろうか。

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