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愛する彼にはZ軸だけが足りない……と思っていたのだが

 青々とした柔らかな草と、たくさんの種類の花。『本当に』彼の足元に花が咲いている。


「あ……いや、これは……!」


 慌てふためく彼が立ち上がった拍子、一際強く香った匂いにはっとする。薔薇を押し付けて逃げる時に嗅いだのは、どうやらこれらの花の匂いだったらしい。

 つられてわたしも立ち上がるものの、どうしたら良いのか途方に暮れる。

 ついさっきまで悠然と座していた青年は、今やすっかり赤面してしまっており、その足元にはポコポコと色とりどりの花が咲いていく。

 な、なんだ? この光景は……


「くそっ……ロイク!」

「ここに」


 自棄気味に投げられた鋭い声に応じて唐突に執事のような老爺が現れ、咄嗟に悲鳴を呑み込んだ。一体どこに控えていたのか。老体に似合わぬ俊敏さ。瞬間移動のように見えたが気のせいだろう、きっと。


「彼女のために部屋を。城の中をひと通り案内してやれ。それからセオに郵便の用意をさせろ」

「かしこまりました」


 優雅に腰を折る老爺は、眼鏡の奥から一瞬こちらを確認する素振りを示した。ほんのりと悪戯っぽい光が見え、思わず身を強張らせる。


「フィオレ」

「はい!」


 反射で直立不動。

 皇子様はわかりやすく不機嫌だった。イケメンの険しい顔というのは本当に怖い。顔の傷痕のせいもあって余計に。


「求婚を取り消す気がないのなら、『お友達』だなんて呑気な立場があると思うな。城の全員が味方とは限らないんだからな」

「え……」

「陛下と話してくる」


 言うだけ言って、足音荒く出ていってしまう。

 花は、いつの間にか消えていた。室内には何の痕跡もない。


「す……素晴らしいですぞ、お嬢様!」

「え」

「このロイク、感激いたしました。ぜひお祝いをせねばなりませんな!」

「あの」


 彼が去って後。老人とは思えない力でがしりと両手を強く掴まれる。次々と訪れる予想外の展開に、さっきから単語しか発声できていない。


 皇子の婚約が決まったのだから、お祝いというのはわかる。

 それなら、あのパーティーの場での奇妙な空気は何だったのか。エルーシアの貴族達は誰もここまで喜んでいなかった。

 それに今だって、どうしてこの老人以外に人がいない? 中身が平民のわたしですら変だと思う。


 でも、もう道を決めてしまったのだし……

 完全にシナリオから外れた今、気にするべきは自分の生存とハッピーエンド。それだけのはずだ。





 皇子と対面した部屋は、やはり城の端にあったらしい。

 連れて来られた時は呆然としていて気にもならなかったが、中心部へ辿り着くには、それなりの距離の廊下を歩く必要があった。


「あの、ロイク様?」

「敬称は不要ですよ、お嬢様」

「え、わ、わかりました……ええと、随分と広いのですね」

「ええ、あのお部屋からですと余計にそう感じられますでしょう。こちらが騎士団の皆様のお部屋です。向こうに訓練場がございます」


 息一つ乱さず背筋を伸ばし歩く彼は、皇子が幼い頃から仕えているのだと言う。セオさんという息子がいて、彼もまた最近シルヴィ専属の使用人となったそうだ。


「こちらがフィオレ様のお部屋となる予定です。すぐご用意をいたしますので」

「あ、ありがとうございます……」


 早くもそこまで用意してくれるのか。今回はとりあえず挨拶だけ、と聞いていた気がしたが。


 石造りの堅牢な壁。灯されたランプの下を通ると少し油の匂い。シーツを台車に載せて運ぶメイドさん達。城の中は何もかもが珍しい。

 キョロキョロしながら行儀悪く歩いていると、急にロイクさんが立ち止まった。

 どうしたのか、と問おうとした声は言葉にならなかった。


「ああロイク、丁度よかった。さっきシルヴィが一人で父上のところに――おや」


 推し、三次元! 現実に推しが! 生きている!

 比喩でなく後光が見えた。自覚した時には手遅れで、わたしは思わず涙をぼろぼろ溢してしまっていたのだった。


「え、ちょっ、どうしたんだい? 具合でも悪い?」


 焦った顔もとても! カッコいい! 今この人はわたしのために焦ってくれているというのか? ああ神様ありがとうございます明日死ぬかも、あ、既に死んだのだった――


 みっともない泣き顔を晒しながら首を振ると、やや戸惑い気味にハンカチを差し出される。


「ぐすっ……あ、ありがとうございますぅ……」


 おっ、おお、推しの私物!

 遠のきそうな意識を全力で繋ぎ止める。語彙力は家出しました、帰って来い。


「大丈夫?」

「ち、ちょっと、びっくり、してしまって……失礼しました……!」

「ううん、こちらこそ驚かせてごめんね? じゃあ、君が例のお嬢さんか」


 金髪は柔らかな猫っ毛で、シルヴィと似た色の目は晴れた真昼の空のよう。穏和な人柄とは裏腹に鋭い洞察力を持ち、とても心優しいエルーシアの第一皇子。

 ちょっと癖のある人物ではあるのだが、他のキャラに比べれば大したことはない。主人公の先輩的なポジションで、いつも優しく助言をしてくれた。

 抱くのは恋愛感情とはまた違う、ただ幸せになってくれと願ってやまない大好きな人。殺伐としたゲーム内での癒し要員。

 そして! わたしの推し!


「改めてはじめまして。僕はルシュカ。シルヴィの兄だ」


 存じ上げておりますううう!


 微かな『フィオレ』の理性が、スカートの端をつまみ、腰を折らせる。


「フィオレ・リースベルと申します。お会いできて光栄です、ルシュカ殿下」


 本当に光栄ですッ!


 一人勝手に百面相をしているわたしに、さすがのルシュカ様の表情も若干ひきつっている。

 ごほん、という咳払いはロイクさんのもの。


「ルシュカ様。シルヴィ様が――『花』を」

「本当かいっ?」


 その言葉を聞いた途端、彼の目の色が変わる。興奮に頬を赤らめ、きらきらと輝く眼差しでわたしを見つめてくる。

 花……というと、部屋で見たあの不思議な光景で間違いないだろう。シルヴィ皇子は相当焦っていたが、反応から推測するに悪いことではなかったようだ。


「なるほど、それでだったのか。たった今シルヴィとすれ違ったんだけどね、珍しく慌てていたから。気になって、君に会ってみたかったんだ」


 確かに、彼は別人のように大いに取り乱していた。

 パーティー会場の空気を一瞬で掌握した姿は、まさしく皇族そのものだった。が、突如として咲いた花に慌てている時は、若さ相応というか……無礼を承知で言えば親しみやすさもあったと思う。


「あの、ルシュカ殿下。シルヴィ殿下の足元にお花のようなものが咲いたのですが、何だったのでしょうか?」

「……いずれわかることだから言ってしまうけど。魔法だよ」

「え!」


 この世界の魔法は確か、医術というか、回復魔法だけだ。花を咲かせる魔法だなんて聞いたことがない。

 それはフィオレの知識でも同様らしかった。


「あんなに可愛い魔法があるのですか?」


 深く考えず発してしまった感想に、ルシュカ様は困ったように小さく笑った。


「可愛い、か。そうだね、僕もそう思う」


 ゲームの知識が正しいとすると、魔力は血筋に宿るはず。

 彼らは異母兄弟で、ルシュカ様が魔法を使えないのは確かだ。だとすれば、魔力を持つのはシルヴィ皇子の母親の家系ということになる。


「だけど、あの子は自分で魔法の力をよく思っていないから。城の中にも怖がる者はいるし、あまり詮索しないでくれると助かるかな」


 何となく、彼の部屋が遠いところにある理由も、パーティーでの周囲の反応の背景も想像がついた。それがあまり楽しいものでないことは察しがつく。

 実際に見れば恐ろしいことは何もなかった。本人も困らなさそうなのに、と疑問に感じる。花なんて、女々しくて嫌なのだろうか?


 まあどちらにせよ、だ。彼に魔法の話をする時は特に慎重になる必要がありそうだ。

 真剣に頷きを返すと、ルシュカ様は柔和な笑みを浮かべてくれた。


「ありがとう。君みたいに利発そうな子がシルヴィを好いてくれて嬉しいよ」


 彼の弟への愛を知るには、その言葉だけで充分だった。


 春のように微笑む眼前の青年、ルシュカ・エルーシア。彼が処刑される理由となる無実の罪とは、父である皇帝への謀反。

 とてもではないが『父殺し』をする人物には見えない、と思う。この世界の住人は一体彼の何を見ているのか、と憤る感情さえ沸いてくる。


 だが、プレイヤーの立場では無罪を主張する機会も許されず、かといってルシュカ様本人も言い訳をしないのだ、なぜか。

 毎回毎回、無実が分かる頃には刑は既に執行されており、新たな皇帝によって国が滅ぼされるのを、ただ見ていることしかできなかった。本当の下手人だってわからずじまいだ。


 この穏やかな笑顔を失いたくなんかない。きっと、わたしが生まれ変わったのはそのためだ。

 密かに拳を握りしめた。

 絶対に、あなたを助けてみせる!

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― 新着の感想 ―
[一言] 読みやすくて面白いです。 足元に花が咲いて、素早く現れる執事のあたりでくすっと笑えました。 特異体質のせいで、過去どんなことがあったのか知りたくなりました。 更新楽しみにしていますね!
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