バンブーエルフ談話 異世界の植物の里
「私」はエルフ。里を出てとある人間たちとパーティを汲み冒険者をしている。
ある時、私は仲間と共に依頼を受けて迷宮に立て籠もる邪悪な魔導士を討伐に向かった。
その魔導士は異世界の植物を召喚しこの世を覆い尽くそうとしていた。自然と共に生きるエルフとして到底許すことはできない。
そしてとうとう私はその魔導士を追い詰めた。前衛の戦士が倒れ、前線を務める私の曲刀が奴を斬る。
だがその瞬間、魔導士は最後の魔力を振り絞って異世界の植物を呼び出すためのゲートを造り出し、私はその中へと落ちてしまった。
気が付いた時、私は一人、異世界の植物が生い茂る林の中に取り残されていた……。
異世界に迷い込んで三日。
携帯食料が尽きた私はこの奇妙な植物の茂る林を彷徨っていた。幸運にも湧き水の出る窪みを見つけ、そこを仮のねぐらとした。
林の中は静かで、尋常な森林ならいるはずの鳥や小動物、あるいはそれらを狙う大型肉食獣の気配などが一切なかった。
その林は周囲一面に生える、まっすぐで、奇妙な節をもつ緑色の植物だけの世界だった。
私は曲刀で目の前の植物を斬り、それを調べることとした。切り倒れた植物は中が空洞で、節ごとに中が仕切られた構造になっていた。実に奇妙で、不気味な植物だった。葉は短剣のように鋭い形をしており、先に触れると指が切れそうなほど薄い。
そして根を探るべく掘り返してみたのだが、どこまでもどこまでも根元が四方へとのび広がり、周囲の植物と一体化していることがわかった。
どうやらこの植物は一本一本が独立しているのではなく、全てが一つに繋がっているらしい。
夜になり、私はこの植物の幹を火にくべてみた。大変に火に強いことがわかったため、空洞の部分を切り欠き、湧き水を入れて火にかけてみた。
中の水が沸騰するほど火にかけても僅かに煤けるだけだった。その日はなけなしの薬草を煎じて食事の代わりにし、眠りについた。
迷い込み7日が経った。
空腹に悩まされながらの眠りの中で、横になっていた私の背中に何かが突き上げてきた。起きて地面を調べてみるとそこには円錐形をした植物の若芽があった。
ふと思い立った私はその若芽を切り取り、表皮を剥き、芯の部分を沸かした湯の中でしっかりと煮こぼして口に運んだ。
それはかなりの渋みがあったが、柔らかく、そして芳醇な香りをもって私を癒す見事な食糧だった。
あれから半月が経った。
植物の若芽が食べられると分かった私は食糧の調達に精を出す一方、この林の調査に乗り出した。
この林は緩やかな起伏のある小丘の上に発生しているが、とても深く、そして迷いやすい。どこを見渡しても同じに見えるほど植物が密生している。
ここから脱出する見込みはたたないが、仲間たちは果たして無事だろうか……
迷い込んで一か月が経った。
林を探索する中で、起伏の影に屋根のようなものが見えた。
回り込んでみるとそこには小屋があった。しかもそれは壁も床も屋根も、すべてここに自生している植物で出来ているのだ!
これはすごい、自然と共生して生きるエルフであっても、多少の金属製品を必要とするというのに。
植物を編んで作られた戸口を覗くが、中は空であった。そこで私はここを拠点にすることとした。
嘗ての住人は、果たしてどうなったのだろう……。
その日の夜、久しぶりに屋根のある場所で深い眠りを味わっていた私は外から伝わる振動で目が覚めた。
重たい足音で何かがこの小屋へと近づいているのだ。
驚きつつも私は曲刀を手に覗き窓の戸口を細く開き外を見た。まだ日の差さない夜だが、私はエルフだ。夜目が効く。
緊張の中で私が見たのは、巨大な獣が小屋の前をうろつく姿だった。あれは、熊だ。
この異世界の林で私は初めて自分以外の生物を見た!そいつは充分に人を襲える程に巨大な熊である。
熊は小屋の前に留まったまま朝を迎えた。息を殺して私は熊が立ち去るのを待ったが、熊は変わらず小屋の前に留まっていた。
私は熊を観察した。熊は驚くべきことに周囲に生えている植物を腕で引き倒すと、先に生えている枝葉をもぎ取り食べていた。
この熊は草食性なのか?であれば刺激せぬよう注意すればこの場を脱出できるかもしれない。
私は曲刀を納めてそっと小屋の戸口を開き、外に立った。熊は背中を向けて植物を食んでいる。固い幹を焼き菓子のように噛み砕いているのが見えて冷や汗が流れた。
息を殺して後ずさりに去ろうとした時、熊が振り向いて目が合った。その瞬間熊が腕に持っていた若枝を落とし、此方に吠え掛かった。
私は己の迂闊さを呪った。この熊は植物のみを食べているのではない。むしろ、他に食べるものがないから仕方なく食べているのだ。
この獣の前では私は久しぶりの御馳走でしかない。だが私もただでやられるつもりはない。曲刀を抜き、体内に宿る精霊を起こして魔法の準備をした。
涎を垂らして顎を開き、襲い掛かる熊に対し、私は曲刀を振るって応戦する。辛うじて攻撃を躱しながら精霊から力を引き出して作った波動を当てる。
熊は口から血を吐いて倒れるが、私も熊の爪で重傷を負って倒れた。倒れる瞬間、誰かの声が聞こえたような気がした……。
目が覚めた私の前で、謎のエルフ女が私の傷に癒しの魔法をかけていた。
飛び上がった私は驚きながら曲刀を拾い上げたが、エルフ女も驚いていた。私たちはそっと互いのことを確認し合った。
エルフ女は自分の事を『バンブーエルフの戦士 カグー』と名乗った。
カグーは里で管理している小屋の一つがパンダ(熊の事らしい)のテリトリーになっていると聞きつけ、追っ払いにやってきたところでパンダと倒れている私を見つけたらしい。
カグーは身心の疲労深い私を自分の里へ案内した。奥深いバンブー(この植物のこと)の林の中に埋められた秘密の印に沿って歩かなければたどり着かないその里に、全くの外から人が入るのは初めてだという。カグーは道すがら私を質問攻めにした。
私がここに至るまでの事情を話し終えた頃、里のテリトリーに入ることが出来た。
そこは里を囲む垣根から建物、そして住人の使う道具まで、全てバンブーを材料に作られたバンブーエルフの里だった!
運ばれた私は長老格のエルフが住む家に腰を下ろした。人の住む土地にたどり着いたことで安堵した私は気を失うように眠った。
目が覚めた私は長老格の高齢エルフたちの前に呼び出され、身の上の説明を求められた。
バンブーエルフたちは私にこの里の生い立ちについて説明してくれた。
今より二千年前、森の領有権を求めて人間と争っていたエルフたちは、ついに人間たちの大軍勢の前に里を焼かれ、滅びの時を迎えようとしていた。その時、古のエルフの魔導士たちがこの世界と重なっている別次元の扉を開き、そこへエルフたちを逃れさせたのだという。
そして元の次元に残ったエルフの魔導士は次元の扉を閉ざし、以来、エルフたちはこの異界の植物バンブーの恩恵の下で暮らし、閉ざされた世界の中今日まで生きているのだという。
私が現れたことで長老たちは異次元の扉が再び開き、人間たちが侵入してくるのではないかと恐れていた。私は扉を開こうとした魔導士は倒されたことを告げたが、一度開き始めた扉は容易には閉じないだろうと誰かが言った。
私には客人としての地位を保証され、そして将来的にバンブーの里に定住することを暗に求められた。
だが私は帰りを待っているだろう仲間たちがいるので、彼らの要求を呑むことは出来なかった。とはいえ、衣食住の世話を受けることにはなったので、表面上の友好関係は保つことにした。
数日して、与えられた一室に居た私をカグーが尋ね、見てもらいたいものがあると言って私を里の外へ案内した。
このバンブーの林はどこまでも続いているらしく、林の外を目指そうとした若いエルフが何人も亡くなっているという。以来、林の外は彼らのタブーであり、外から来た私は若者の注目の的なのだという。
カグーが案内したのは里から離れた先にある開けた土地で、そこだけバンブーが一切生えていなかった。そしてその地面には魔法陣と思しき図が焼き付いていた。
こんなものは前までなかった、とカグーは言う。長老に伝えたのか、と聞いたが、答えなかった。
私は、里に残っていた古のエルフの魔導士の記録を見せて貰った。
そこには魔導士が研究していたバンブーの性質について、詳細に記されていた。バンブーエルフたちはこの記録に基づきバンブーと共生していたから、快く見せてくれた。私が里に根を下ろす気になったと思ったのだろう。
私はその中に、バンブーの魔力が弱まる周期についての記載を見つける。バンブーは一本一本が単独で存在せず、全てが一本につながっている巨大な植物だが、二千年周期で一度だけ、他の個体との交配を求めて花を咲かせ、その強固な結界を緩めるのだという。
私は、誰も見ていない隙を突いてその記述のある部分を破り取った。
そして私はひそかに準備をした。破れた道具類を改め、バンブーエルフたちの武具を調達した。彼らは金属器を殆ど持っていなかったが、彼らの持つバンブーの弓は驚異的な飛距離と威力を持ち、バンブーの欠片を研いで作られたナイフはちゃちな銅剣よりはるかによく切れた。
細く切ったバンブーを編んで作られた鎧は軽くて丈夫で、風変わりな兜は持ち替えれば盾としても使えるものだった。
私はカグーと密かに連絡を取った。里の戦士である彼女は定期的に外を回り、林に異常がないか確認しているのだ。
カグーは、里の外に設けられた伐採小屋、炭焼き小屋などが飢えたパンダから守る役目があった。
彼女以外のバンブーエルフは決められた道から離れ、林を歩き回ることを禁止されていた。
段々と私を見る長老たちの目が厳しくなってきていた。私が密かに何かをしようとしていることを感じ始めているのだ。
そんな中、接触してきたカグーが、バンブーが見たこともない、白い粒のようなものを付け始めていると告げた。
それは魔導士の記録にあったバンブーの花に違いなかった。
私はカグーに、夜に里を出たいから案内して欲しいと告げた。カグーは了承した。
その日の夜、長老たちが休んでいる隙に落ち合った私たちは里を出て、例の空き地に向かった。
夜闇の中、道から離れるとバンブーたちがその白くて小さな花を枝先にたくさんつけていることに気付いた。今朝までこれほど多くはなかったとカグーは驚いていた。
仄光るバンブーの花は美しく、芳しい香りを放っていた。そんな中たどり着いた空き地では、地面に焼き付いた魔法陣が強烈な光を放っていた。
魔法陣はバンブーたちの開花に反応して、次元の扉を開こうとしているのだ。
これで帰れる、と私が告げると、カグーが帰ってしまうのか、と寂し気に言った。
カグーは、変わることのないバンブーエルフの日常に倦んでいたのだ。戦士として育てられ、里の生活を守り、時折パンダを追い払うだけの退屈な日常に。
それは体力と好奇心にあふれた、若いエルフ特有のものだった。だが同時に、彼女はバンブーのない世界を知らない。バンブーを使わない生活を知らないのだ。
私には、そんな彼女に一緒に行こう、とは言えなかった。
私が降り立ったのは森に埋もれた廃村と思しき場所だった。
きっとここが、バンブーエルフたちが捨てた古のエルフの里だったのだろう。
一緒に魔導士を討伐した仲間たちがどこにいるのか、皆目見当も付かない。そもそもあれから何日たっているのかもわからなかった。
だが森を出れば人の町にまで行けるだろう。そこまで行けば当面の生活は何とかなる。
私は森を出るべく歩き出した。ふと、廃村に生い茂る植物たちに目をやった。
そこには、あのバンブーの林で乱舞していた、白く小さい花を付けた細い枝草が生えていた。(了)