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集団ストーカーと私の歴史4

・入院生活

 気がつくと私は、病院の個室内ベッドの上で、白い拘束具で縛られた状態で寝ていました。病衣に着替えさせられています。まるで身動きが取れず、辛うじて寝返りを打てる程度です。

 看護師は薬と食事の際にやって来て、「何かあったら大声を出せば駆けつけますので」と告げました。私のペニスには管が差し込まれていて、尿は自動で排出されます。大便は看護師が器具を私の尻の下に差し込んで行ないます。時折例の医者、私の主治医となる人が見にきました。私はせいぜい大人しく対応しました。不満たらたらでしたが。

 私はこうした状態で日々を過ごしました。「暴れなければ少しずつ自由にする」との説明を受け、そもそも暴れていないのに何でそんなこと言われなくちゃならないんだ、と不満に思いながら、時間が経つのを待ちました。

 ある日、父母が様子を見に来ました。少し不安そうでしたが、元より精神異常などない私に、とりあえず安堵していました。

 そうして拘束具は徐々に解かれていきます。最後まで残った胴と、尿用の管も外され、私は閉じ込められた室内だけとはいえ、久しぶりの身体的自由を得られました。

 が……

 ある日の昼、寝ていた私の体に、あの電撃の痛みが走ったのです。私はもう間違えることなくそうだと気付きました。集団ストーカーがこの病院内の、隣だから上だか分かりませんが、壁越しに撃ってきた、と。病院にも浸透できるらしくて、私は自分がまだつきまとわれていることを思い知らされました。彼らは私を病院内でさえ撃つことで、私を絶望の淵に追い込もうとしたのです。自殺させるために。異様なまでの執念でした。

 それでも私はもちろん死ぬことはなく、「何ヶ月か経って様子を見て退院させる」との言葉にすがって入院生活を送りました。やがて4人部屋に移ります。電撃は散発的に昼間に感じます。私は膨れっ面で差し入れの本を読んで過ごしました。

 本来無用の長物である精神薬も、定期的に飲まされました。私はまた拘束具生活に戻されてはかなわんと、従順に服用しました。

 ある日、そういえばと思い回診に来た主治医に尋ねたところ、私の病名は「統合失調症」だと雑に言われました。

 集団ストーカーはこうして、私に精神病患者というレッテルを貼り付けたのです。もちろん私は統合失調症などではありません。いたってまともです。ただ、これで何かしてもすぐ「精神病患者だから」と陰口を叩かれる最悪の環境に、私は追い込まれたのです。


・退院、再び実家へ

 何ヶ月か過ぎて、私は退院する運びとなりました。病院で何かトラブルになることはありませんでした。迎えに来た母と共にまた外の土を踏めて、やっと私は人心地を回復したのです。実家が既に集団ストーカーによって監視されていることは重々承知、しかしもはやそこに住むしかありません。実家は交通の便に乏しく、最寄りの船橋駅までバスで25分ほどかかります。

 帰った私は早速アルバイトを探し、少々遠かったのですが、働き始めました。

 が……

 直後に集団ストーカーの安眠妨害に出くわしたのです。やっぱり「私を自殺に追い込む」という妄執は、衰えるどころか健在でした。私は全く眠らせてもらえないまま数日間働くことになり、極度の疲労にたちまちギブアップ、仕事を辞めてしまいました。

 この経験は大きく、私は「働かせてもらえない」という状況で、手も足も出せなくなりました。また働けばまた叩き起こされるに決まっています。よく世間の人は「仕事をしろ」とおっしゃいますが、私としては「一睡もできずにか?」と反論したくなります。

 そんな訳で、私は引きこもり状態に入らざるを得ませんでした。外出はほとんど、月に一度の精神病院の時ぐらい。後は部屋に引っ込んで何もできず。こうして失意の10年が始まります。


・失意の10年

 集団ストーカーも私が外出しないので攻めあぐね、結局留守時の家宅侵入と盗撮・盗聴、それから8年間毎日毎日続けられた、毎朝の聞こえよがしの咳払い連発(他の部屋からなんですが、上か下か隣かはわかりませんでした)。男女の咳払いだったので複数人です。まあ上の階が抑えられていることはとっくに明らかになっていますし、包囲網は相変わらずの強い浸透力でガチガチに固められています。これは本当にうざかった。一応ICレコーダーで録音したりしてみましたが、結局その証拠を使うことはありませんでした。

 外に出なくなった私を料理しかねて、迷惑メール大量送付もやってみた集団ストーカー。私がそれも防御すると、いよいよもって時間だけが無為に過ぎていきます。

 私は、これは集団ストーカーに狙われる前からですが、漫画を描いて出版社に持ち込んだりしていました。つきまとわれ電撃・電磁波で安眠妨害されるようになってからは、「在宅で出来る仕事なら寝不足でも何とかこなせるはず」と考え、また漫画を描いて持ち込みをしてみました。しかし私の漫画力は低く、まるで手応えなしでした。私は早々に諦めます。

 続いて小説執筆に着手しました。一つ採用されたものの、それだけでした。それでも他に生きる妙案もないので、引き続き自宅のノートパソコンと睨めっこする日々が続きます。

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