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集団ストーカーと私の歴史3

・母の助言

 私は多数につきまとわれて「死ね」や咳払いを繰り返される毎日に突入しました。部屋では何故か眠ってもすぐ目がさめるようになります。壁越し床越し天井越しの電撃叩き起こしの始まりですが、まだ電撃だとは分かっていませんでした。ある時は全く眠れずバイト先に向かい、電車内で聞こえよがしに「不眠不休かよ」と呟かれました。室内盗撮のほのめかしです。私はまた集団ストーカーかよと腹立ちました。

 私の第2の引っ越し先での生活は、集団ストーカーたちによってすぐさま居心地の悪いものにされました。私はそんな時、母に会いました。

 私がつきまといに困っていて引っ越したい、と打ち明けると、母は「引っ越し貧乏ね。実家に戻ってきたら」と勧めてくれました。私は多分彼らはついてくるんだろうな、と諦めながら、そうすることにしました。

 そして実家に戻った直後、真上の部屋から男女の声で「死ね!」、「むかつくー」と罵声を受けました。私は室内が盗撮されていることなどもあり、「母を巻き添えにしてはいけない」と考え、2週間と経たずにまた引っ越しを考えます。母は反対しましたが、私は頑強でした。千葉の不動産屋で格安の物件を契約すると、そのビルの外へ出ようという時に、見知らぬ女から「いい加減にしろ」と呟かれました。

 そうして私は千葉市の風呂なしアパート2階7号室に移り住みます(第3の引っ越し先)。思った通りまた空き部屋が真下にありました。このアパートでもまた先回りされて、集団ストーカーが「死ね!」や咳払いを繰り返します。


・電撃による安眠妨害への対策

 電撃で撃って私を叩き起こし、真下の部屋から「キモッ!」と罵倒する――そんなあからさまなやり方をしてきたことで、私は「電流を撃たれて眠りを妨げられている」と知りました。電撃を認識したのです。

 このアパートでは派遣のバイトに複数登録して、毎日違う場所へ日雇いに出かけるという生活をしました。電撃叩き起こしは執拗で、私はいつ睡眠不足に陥れられるか分かりません。それを考えると、好きな時に働ける派遣は「せざるを得ない」選択でした。私はなるべく高収入となるよう深夜の作業も行ない、生活ダイヤは乱れに乱れました。

 その一方で、私は何とか電撃を食い止められないかと試行錯誤しました。部屋にベッドを持ち込んで、普段はその上で寝ていた私は、試しに100円ショップで買った金網を下に置いて、電撃叩き起こしを防げないかと試してみました。もちろん全く無意味でした。

 私は諦めず、何とか防ぎたいと、せっかく稼いだバイト代を対策に注ぎ込んでいきます。ホームセンターで発泡スチロールの長い板を買い、家に持ち込んで、背中に当てて寝てみました。無駄でした。でも私は挑戦を続け、発泡スチロールを増やし続けます。遂には広い角度からの電撃に対応できるよう、板で棺桶を作ってその中に収まって寝るようになります。更に横からの電撃に耐えられるよう、ブルーシートで蓋をしました。どちらもやはり効果はありませんでした。

 また、ホームセンターでゴムのシートに財布をはたき、それを背中に当てて寝てもみました。他にも透明ビニールのテーブルクロスも試しました。私はとにかく、何としてでもまともな安眠を手にしたかったのです。


・薬物ガスによる臭い体への対策

 安眠と同じぐらい、「臭くない体」も切実に欲しました。家にいる時は、薬物ガス対策で窓もドアも開け放って換気を良くして過ごすのが普通でした。

 ある時私は思い切ってポリバケツを買い、それをブルーシートで補強したものに頭を突っ込んで、更にくしゃくしゃにしたブルーシートを詰め物にして寝てみました。前述のように、これは当たって私は薬物ガスからその身を遠ざけることに成功します。正常な大便も出るようになって私は安堵しました。

 この面ではしばらく安心な生活を過ごせましたが、集団ストーカーが黙っているはずもありません。今度は電磁波を浴びせてきて、ポリバケツから呼吸困難でいぶり出そうとしてきたのです。これにはたまらず、私は隣接する部屋に潜む襲撃者を「人殺し」と罵りました。ポリバケツは役立たずにされてしまいました。


・唐突な終焉

 ある日、父から携帯にメールが届きます。『苦情電話が出ている、実家に帰ってこい」というものでした。私は取り合いませんでしたが、後日不動産屋に呼び出されます。行ってみると、何故か父と母の姿が。アパートの大家の老人も同席していました。

 話によると、「裸の男がうろついている」「部屋の前で男が寝ていて出られない」といった苦情の電話が来ていて、それが私の仕業であるとのことでした。もちろん私はそんなことをした覚えはありませんのでそう言いました。すると不動産屋の店長は「そういう電話が来ていることそのものが問題なんですよ」とか訳の分からないことを返して来ます。

 私が「それを言うなら私もストーカーにつきまとわれている」と発言すると、父と母は「それは気のせい」と取り合いません。どうも話の流れからいくと、私は精神がおかしくなっている、もうアパートから出て行ってくれ、ということになるようです。私は当然精神など問題なく、不満タラタラでした。しかし大家も不動産屋も父母も頑強で、私はアパートから一週間以内に立ち去ることを渋々認めさせられます。

 集団ストーカーが電話の主であり、この会談の黒幕であることは、容易に想像がつきます。彼らは全く自殺せず延々と抵抗を続ける私を退けようとしたに違いありません。


・精神病院への強制入院

 幕切れは準備されていました。数日後、父と母が私の帰りをアパートの前で待っていました。2人を部屋に上げると、常人には異様にしか見えないポリバケツやゴムシートなどにしかめっ面をしています。「よなぷーは精神がおかしい」という不動産屋側の主張を、いよいよ痛感している風に見えました。

 と、その時です。突然の来訪者がありました。病院の職員を名乗る彼らは、何やら緊張しながら3人で私に同行を求めて来ました。何のことやらと思っていると、父が「俺が呼んだ」とややバツが悪そうに説明します。何やら分かりませんが、断固たる雰囲気に私は半ば強引に救急車に家族共々乗せられました。「船橋市の病院に行く」と告げられ、車が走り出します。

 長い時が過ぎ、目的地に到着しました。そこは巨大な精神病院でした。私は、父が恐らく集団ストーカー側から「息子さんを精神病院に連れて行った方がいい」と吹き込まれたと睨みました。

 来てしまった以上、医者には会わねばなりません。私は診察を受けました。私は「集団ストーカーにつきまとわれている。電撃・電磁波で叩き起こされ、薬物ガスで臭い体にさせられている」と正直に話しました。医者は「こりゃ重症だわ」と一言ポツリと呟き、何やら合図を出します。

 突如10人以上の看護師らが室内に入ってきて、私を取り囲みました。医者は「治療を受けてもらう。おとなしくして」と告げ、私は抵抗不可能な人数ににじり寄られました。追い詰められ、ヤケになった私は「入院しますよ、すればいいんでしょう!」と腹立ち紛れに叫びます。緊張する現場で、私はベッドに寝かされ、腕に注射されました。意識が、ふっと消えて何も分からなくなりました。

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