嫌がらせ10.「『死ね』の暴言、咳払いによる注意喚起」
『死ね』の暴言、咳払いによる注意喚起。一言で言えば「うざい」という奴です。
だいたい「死ね」とは何でしょうか。私は幼少時の万引きは別として、何らの犯罪、何らの悪さもしたことがありません。常に法を遵守して、暴力を振るわず、正しいものの味方でした。この点、やましいことはありません。「死ね」などと罵られ、集団ストーカーに攻撃されねばならない非などないのです。
しかしそれでも、集団ストーカーは私につきまとい、数々の嫌がらせで私を自殺に追い込もうとします。「俺たちが殺したいから殺すんだ」という勝手極まる理屈で。臭い人間を作り上げ、掲示板でネットでボロクソに扱い、気が済んだら「死ね」。滅茶苦茶です。しかし、一度でも標的にしたなら必ず仕留めるんだという決意は全く揺らがないのです。妄執とさえ言っていい。
「なぜ確信したか」
……言われたからです。
まず最初は掲示板の書き込みです。既に詳述しましたが、ネットでつきまとわれた際、私のよく行くスレッドに「氏ね」「市ね」などと書かれるようになりました。
現実で彼らが言い始めたのは、最初の引っ越し先、幕張のアパートで生活していた頃でした。運輸会社の倉庫作業、その派遣先となる外国系スーパーマーケット。そこでお客さんの購入品を段ボール箱に詰め込む梱包作業に従事して数日後、いきなり大声が聞こえてきました。
「死ね!」
従業員控え室隣のスペースで作業をしていた私はビックリし、聞き間違いかと思いました。誰が発したかと言えば、控え室に入って行く従業員の女性です。彼女は私の作業する側を通る際、必ず吐き捨てるように「死ね!」と言いました。そしてどうやらそれは、私に向けられたもののようです。というのは、同じスペースで受付と梱包を行なっていた従業員の若者らが、私の近くに来た時に「死ね」と言うようになったからです。こちらは時々、ぽつりと控えめにつぶやく程度でしたが。
一方、控え室と店内を目まぐるしく行き来する他の従業員達の方も、次第に「死ね!」と叫ぶ男女が続々と増えてきます。
臭いからなんだろうな、私はそう思いました。思い当たるのは自分の悪臭です。しかし何もしていない人間に「死ね」とは何て人間性だろう、と私は心を痛めました。
やがてさすがに客の前で「死ね!」と吐き捨てるのはまずいと思ったのか、彼らは今度は咳払いにモデルチェンジしました。これまた聞こえよがしに、「死ね」の代わりだとばかりにゲホゲホ言います。そして、この咳払いは街中を歩いている時にも耳にするようになりました。彼らの本格的なストーキングが始まったのです。
私はたまりかね、耳栓をして梱包をするようになりました。酷い心痛でした。何でそんな酷いことができるのだろう? 私の心は張り裂けそうでした。思わず涙ぐむこともしょっちゅうでした。
やがて運輸会社本体から荷物を取りに来ている人にさえ、耳栓越しに楽しそうに「死ね〜」と呟かれました。皆んな楽しそうに咳払いと「死ね」を私に繰り出し、私の憂鬱は一層深まっていきました。少し気楽だったのは、梱包の派遣は週に2日しかなかったことでした。その他の日の倉庫作業の方では言われることはなく、あくまでその外国系スーパーマーケットの内部だけでした。
と思っていたら……。休憩時間に外で休んでいた私は、時間が来たので店内に戻ろうとしました。すると停まっていた車から、またしても「死ね!」との声が。
これは集団ストーキングの最初の表れだと、後に分かります。
さて前述の通り、ある日よりアパート真上の部屋から「死ね」等の罵詈雑言が私の部屋に降ってくるようになりました。
ほっとできる空間のはずの家でまで、何でストレスを抱えなきゃならないんだ。私が人生で初めて警察署に行って生活安全課でこの暴言の数々を相談すると、何故か帰ってから全く声がしなくなりました。しかししばらく経つとまた再開してきます。で、結局高い家賃と罵倒へのうんざりとで安価なアパートへの引っ越しを検討し始めました。
契約完了の日、私はコロコロローラーで4年間住んできた部屋を綺麗に清めていました。この時、また真上からポツリと「死ね」と言われました。私はムカつきながら掃除を終えました。
そして引っ越し後。私は新しいアパートで、いきなり複数の男女の「死ね!」という声、咳払いに出くわします。集団ストーカーのつきまとい表明のようなものでした。私は「狙われている」と思い知らされてゾッとしました。
それから、街中で知らない人間に「死ね」と通りすがりざま言われたり、わざとらしい咳払いで注意を喚起させられるようになりました。集団ストーカーが私に街中でもつきまとってきているのだと分かりました。
それで気づいたのは、外国系スーパーマーケットで働く咳払いの従業員も、彼らの一味ではないかということです。ここで私はようやく気が楽になりました。彼らの手引きによって、一般の店員や運輸会社の社員が、ノリのようなもので「死ね」と言ってきたことが理解されてきたからです。
最低の人間たちである集団ストーカーが、恐らく掲示板を使って率先して「死ね」と咳払いを私に浴びせかけてきている。ようやく私は全体像に思い至りました。体が臭いのも集団ストーカーの仕掛けた薬物ガスによるものだと判明し、私は彼らから逃れることを何より望むようになっていったのです。
しかしその後も彼らは私に執拗につきまとって、「私を自殺に追い込む」べく全力を傾けてきました。船橋市の団地(実家)でも帰宅早々真上の部屋から男女の声で「死ね!」と言われます。この頃には倉庫業でも「死ね!」とバイト仲間に仕事中言われ、彼らが現場に浸透してきた集団ストーカーたちだと知れました。とにかく行く先々でも自宅でも「死ね」と咳払いで辛い現実に引き戻されます。
やがて私は運輸会社の倉庫業を辞めようと決意しました。梱包の派遣も終了となります。私は残ったお金で3度目の引っ越し先、千葉市のアパートに移り住み、電撃・電磁波による叩き起こしに苦労することとなります。
「死ね」と咳払いによる私の注意喚起はその後も継続されました。強制入院と強制退去で千葉市のアパートでの生活が唐突に終わり、私は再び船橋市の団地(実家)に戻ります。何度かバイトはしましたが、交通の番が悪いのと臭い体、相変わらずの安眠妨害で私はほとんど働かず10年を母親と過ごします。
ここでも咳払いです。毎朝毎朝、早い時は深夜から、遅くとも朝8時頃には私のいる部屋の窓の外から「ゲホッゲホッ」と男女の聞こえよがしの咳払いが響いてくるのです。それはしばらく続いた後、大体朝10時頃に終わりました。これが毎日毎日、ほとんど欠かされることなく繰り返され、ある日唐突に途絶えるまで約8年もの間延々と行なわれました。はっきり言って異常です。
動かない私に、集団ストーカーも薬物ガスと安眠妨害、そしてこの咳払い以外してきませんでした。かといってもちろん諦めてくれることはありません。それは今の愛媛県の田舎までついてきて、変わらず隣家から電撃・電磁波を浴びせてくることからも分かります。
そして現在彼らは、強引な幕引きを図っています。最後まで彼らは私を見逃したりはしてくれませんでした。愛媛では両隣の家にそれぞれ潜んでいる彼ら。「死ね」と咳払いが終わってほっとしていましたが、それは彼らが長年の宿願である「私を自殺に追い込む」を「とにかく殺す」に切り替える前触れに過ぎなかったのです。