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スクールトワイライト上

私はあなたが好きです

しかし、あなたには私を好きになって欲しくはありません

あなたの全てが好きです

しかし、私の全てがあなたの手に入るわけではありません

ピアノの音が聞こえてくる。

知らない曲だった。

明るい曲調ではあったが、閑散とした廊下ではどうにも不気味に聞こえてしまう。

学校の校舎の一番奥、ろくに防音もされていない音楽室から、いつも夕方になると誰かがピアノを弾いているのだ。

それから遠ざかるように、カツカツと踵の音が混じる。

教師から言われた資料を職員室に運ぶ。

紙の束は重なれば生意気にもとても重く、腰が曲がってしまいそうになる。

鍛えていない背筋がプルプルと震えた。


「重っ…」


手伝ってくれる生徒なんていない。

この学校はそろそろ廃校になるだろうと言われている。

全学年で生徒数は七人。三年である自分だけは別の教室で授業を受けている。

体育だけは、みんな一緒だった。

誰もいない廊下にピアノの音が響く。

音楽の授業は無くなってしまった。一人では意味がないからだろう。三年の授業プログラムには、元々ないのだから仕方ない。

木の床がギシギシと軋む。それすらもリズムを取っているようで、どこか心地がいい。

パシーン、と何か弾くような音が聞こえた。横目で外を見れば、二人の影が立っているのが見える。

資料を運ぶように言っていた女の教師が、別の教師の頬を叩いたらしかった。


「……」


結果だけを見せられても、理解することはできない。あの二人の間にあるのだろう感情も、それまでの過去もわからない。

だから、見ているからといってなにも感じない。

ただ少し居心地が悪い気がした。良い気持ちにならないテレビ番組を見せられている気分だった。

なお悪いのは、これがテレビ番組ではなく知り合いの間で起こっているということだ。

二人はこちらに気づいていないようで、泣いているような、怒っているような言葉を交わしていた。

距離にしてはそんなに離れていない、それでも確実に仕切られた空間を通り過ぎて、職員室に向かう。

職員室に書類を置き、そのまま教師の椅子に座る。

生徒のそれよりかなり大きい机には、いつくかの書類やファイルが置かれている。

生徒名簿はない。自分の名前しか書かれていないからだった。


「あら、待たせちゃったかしら」


しばらくして、慌てて教師が顔を出した。

目元が腫れていることを、バレていないとでも思っているかのように。


「いえ。ここは涼しいからいいです」


この学校で空調がついている部屋はこの職員室だけだった。そのため、暇さえあればそこそこの割合で生徒がいる。

教師の席から立ち上がって、書類の確認をしてもらう。暇になって外を見る。

今日は快晴だ。こんな日に頬を叩かれる道理もないだろうに。


「ありがとう。ごめんなさいね、運ばせちゃって」


「私が手伝うと言ったんですから、構いませんよ」


軽く会釈をして、教室に戻る。

ピアノの音は、もう止んでいた。



学校のすぐ前は、だだっ広い田んぼが広がっている。視界の端にも家が見えていないくらいには、周りにはなにもない。

田んぼの黄緑と、山の緑しか存在していないと言っても過言ではないだろう。

田舎に辟易するのはもうすでに過ぎていて、この状況が変わってしまう方が、今はなんとなくわからない。


「ごめんなさい、遅れたわね」


後ろから、女教師の声がする。

周りには誰もいない。先ほどの男の教師も、もう帰ってしまったらしい。


「…いいよ。今日はどこかに寄るの?」


この質問は、帰り道に店によるという話ではない。

山の真ん中にある展望台に行くとか、親戚の家に向かうとか、そういう話だ。


「今日は帰るわ。疲れちゃったし」


「そう」


そりゃ昼間から男と喧嘩していたら疲れるだろうな、ということは言わないでおく。ただ、どうせ後で聞くことになるだろうと、なんとなく思った。

女教師は、実の姉であった。

都会の大学を出て、教師として戻ってきた姉は、なんのまぐれか三年のクラスの担当になってしまった。

これなら家で習っていても、大して変わらない気がする。

姉の白い車に乗って、帰路に着く。部活動なんて存在しているわけもなく、放課後の学校は無法地帯だった。グラウンドで遊びたい生徒は遊び、空き放題の教室は使いたい生徒が勝手に使っている。

なんとなく、誰がどこの教室を使っているのかは察しているように思う。だからピアノがある音楽室は、ピアノを弾いている誰かの部屋のようなもので、他の人は入らない。


「今日は暑いね」


「そうね」


車を運転しながら、姉はそっけない返事をした。小さな村であるから、学校のみんなこの教師が姉であることを知っているけれど、学校内ではキチンと生徒として過ごすようにしている。

そういう約束だった。


「ねぇ…放課後、何話してたの」


「…聞いてたの」


「いや、内容は。ちょっと見ただけ、ごめん」


「…いいわよ、謝らなくても。そんなに大した話はしてないし」


大した話ではないのに頬を叩いたのだろうか。それは相手が可哀想な気がする。

姉は続きを話したりはしなかった。

聞いて欲しくないのだ。話をすぐはぐらかす癖は、小さい頃から相変わらずだった。

姉に関しての話なのだろうということは理解できる。姉はなぜか縁談を断っているらしいことも、それとなしに聞いている。理由はよく知らない。

姉妹だとしても、知らないことは多かった。なんでもわかるなんて、そんな自惚れはしない。そんなことなんて、恐らくはないのだ。

血の繋がった姉妹だからといって、近いとは思わなかった。

父親似、母親似という話ではない。すぐ前にいる人間だとしても、それが近いということにはならないのだろう。

右手を、近くにある左手に重ねてみる。


「…どうしたの?」


「なんでもないよ」


そう、なんでもない。


「手、あったかいね。私は冷たいや」


「運動したらあったかくなるんじゃない?」


それでは、多分意味がない。

繋がる方法が、それでは間違っているのだ。


「…同じになってほしい。合わせるんじゃなくて、合ってて欲しい」


わがままだということは理解している。


「最初から合ってたら、悩まなくて済むのに」


同じ道のりの上にいたら、辿るだけで済むのに。

見失わなくて良かったのに。



姉が着替えている間に、夜ご飯の準備をする。朝は一緒に作って、昼は姉が作って。だから夜は自分が作っていた。

姉とは年が離れていた。

だから、気軽に接しているようで実際にはそうでもない感触が拭えない。

姉と自分の一番大きな違いは、恐らく年ではない。それは、親の記憶だ。姉がくれる愛情が偽物だとは言わないけれど、姉が自分にしていることは、親の真似事なのだろう。どこかぎこちない仕草も、距離を感じる口調も、そういうものなのだと思ってしまう。


「……」


口から漏れそうになったため息を、左手で抑える。


「何、眠いの?変わろうか?」


「…いや、大丈夫」


冷蔵庫を開けに来た姉に心配されてしまった。ラフな格好に、前髪を上げている姿。夏はいつもこのスタイルだった。外で見ているような服装の方が見慣れない。これでも人がくれば着替えるのだから、本当によくわからない。

見られたところで誰も不思議がらないだろうに。

テレビの中で、よく見かける歌手が歌っていた。ラジオでもよく流れているから耳に残っている。大して興味があるわけでもないのに、繰り返し聴かされていれば覚えてしまうものだった。その割に、勉強のことは中々覚えられないのだからタチが悪い。


「あの人、よく見るね」


「いやー、若いねぇほんと。少し前まではテレビの人ってみんな大人だと思ってたけど。年下が出てくる時代にいつの間にかなってるし。びっくりびっくり」


コップに注いだ水を飲みながら、姉はテレビを見ていた。自分だって若いはずなのに、随分と大人びてしまった彼女は感性がひどくおばさん臭かった。

そして、思い出してしまう。

ほんの数時間前のことを。

ピアノの音の中で見た、姉の顔を。


「…そうだね」


意識が何処かに行っていても、体は勝手に料理を作った。自分の体を操作しているのは本当は自分ではないのかもしれないと思うほどに、目の前で起きている行動は身勝手だ。

皿を出して、盛り付けて。

テーブルに置いて、手を合わせる。

毎日繰り返してきた行動は、その動機を失って自動化されて行く。


「美味しい。腕あげたね」


「そうかな、ありがと」


曖昧な頷きに、適当な礼を付け足した。上部だけの言葉でも、姉は満足そうに目を細めた。それがなんだかむず痒くて、顔をテレビの方に向けた。


「ね、好きな食べ物って何?」


「急にどうしたの」


「なんとなく、知りたいから」


「ふーん?」


顔を背けたままの質問にも、姉は答えてくれる。顎に人差し指を立てて、まるで探偵が考え事をする時のようなわざとらしい仕草で悩んで、魚を一口食べてから答えた。


「わかんない。目の前にないと美味しそうなのかとか、わかんなくない?」


「その時々で変わるってこと?」


「そうかもね。心はいつでも変わるもんだよ。好き嫌いもきっと同じ」


「なにそれ」


「誰かのいい言葉」


「ふーん」


明日には忘れそうないい言葉だった。それは、姉が口にしているからではないと思う。

好きとか嫌いとか、心変わりとか。そういうものに関心がないだけだった。そういうことが起こるような心境に、今までなったことがないから。

魚を摘もうとして、カチリと皿にぶつかった。なんとなく虚しくなって、箸を置く。


「ごちそうさま」


皿をキッチンに片付けてしまえば、今日の自分の仕事は終わりだ。風呂に入っている間に姉が食器を洗ってくれる。その後は宿題をする時間だった。

風呂の時間は嫌いだった。昔からずっとこうだったからもはやなんとも思わない。

いや、それはない。

体の中に罪悪感が残る。

自分の汚れを吐き出して、体を綺麗にしたなら、残っているものは罪悪感だけなのだ。

押し付けたものが大きいとか小さいとかでは、多分ない。どんなに小さなことでも気にかかる。

実は怒っているんじゃないかとか、仕事の邪魔になっているんじゃないかとか。

姉に聞いたら、そんなことないと首を振ってくれるだろう。

そんなことはわかる。ただ、その時姉が思っていることがわからないだけで。


「何か、無いもんかねぇ…」


相手の気持ちを理解したいとは思わない。そんなことは無理だと知っているから。

ただ、もしこの世界にそんなことができる機会ができたとしたら、それはそれはとても良いことなのだと思う。

人間にとっては、悪かもしれないけれど。

相手に聞くことは有効ではない。

姉はきっと嘘をつく。自分にとって優しい嘘を。この先もずっと変わらない日常を過ごせるように、暖かな揺りかごに包むようにはぐらかされる。

だから姉との会話は嫌だった。

だから熱さえあっていればと思った。


「なーんにも一緒じゃ無いなんて」


それでは虚しい。

きっとその熱の差がもどかしい。

同じ場所にいることも、同じ歳になることも、何も何も。

永遠に同じにはならない。

自分の体温よりも高い風呂の湯に体を沈めて、詰まりそうに息をした。

大きな気泡が、おおよそ女子がするようなものでは無い音を立てて消えた。

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