37度教
今年のゴールデンウィーク。後半に熱を出して寝込んだ。去年、インフルエンザで倒れて以来だ。
まず、すさまじい水っぱなが出たので、最初は花粉症が出たかと思った。私の花粉症はカモガヤであり、毎年4月の半ばからが本番なのだ。だから薬も花粉症のものを飲んだ。
ところが、翌日、体がだるくなり頭が重くなった。ここで初めて花粉症ではなく風邪だと気がついた。会社の決算期+各種雑用で忙しく、へばっていたところを気温差でやられたようだ。
結局、私は楽しみにしていたコミティアも諦め、寝て過ごすことにした。こんな時に一人暮らしはつらい。
何よりもつらいのが、寝込んだのが休日であることだ。どうして平日ではなかったのか。どうして仕事のある日ではなかったのか。せっかくの休みがもったいない。
祝日が日曜と重なった場合、月曜日が休みになる。振替休日という奴だ。
病欠も同じように振り替え病欠が欲しい。休日に病気になったら、休日明けの1日は休めるというやつだ。表向きは「病み上がりに仕事をするより、しっかりと体を休めた方が良い」ということで。へたな残業規制なんかよりずっと良いと思う。
もちろん不正防止のため、証拠の提示を義務づける。休日だから病院も休みのところが多いだろうから、体温計と顔色がわかる本人の写真(自撮りも可)にする。読み取れるように体温計を構え、熱っぽい顔で弱々しく桃缶かゼリーを手に「熱ありまーす」とVサインで。
さて、熱が出たと先ほど書いたが、私の実家ではひとつのルールがあった。
「体温が37度を超えない限りは病気と認めない」
どんなに体がだるかろうが、頭が重かろうが、体温を測って37度を超えない限りは学校へも塾へも行かなければならない。私が使っているのは実家と同じ、デジタルではなく、昔からある仁丹平形体温計というやつ、細長い水銀式体温計だ。
体がだるく、熱っぽい。そんなとき、私は37度を超えますようにと祈りながら体温計を脇に挟んだものだ。どんなに具合が悪かろうが、37度を超えなければそれは「気のせい」「たいしたことはない」とされ、いつもと同じ生活をしなければならない。学校に行き、塾に行き、夏にはプールに入らなければならない。
だが、高すぎてもいけない。38度を越えると問答無用で医者に連れて行かれる上、熱冷ましと称して注射を打たれる。もっとも、これぐらいになるとさすがに自分でも「本気で治さなきゃダメだ」と思い、抵抗はしない。
献血のエッセイでも書いたが、私は注射が苦手だ。いい大人になっても苦手なのだから、子供の頃はもっと苦手だった。
幼児の頃は飲み薬だった。いつから注射に切り替わったのはハッキリしないが、大きくなると言うことは、痛くないことが痛い事へと変わり、しかもそれを我慢しなければならないことらしい。
一番好ましいのは37度前半だ。家で寝ていられる上、大抵昼頃には体調が戻る。親公認で半日休んでいるようなものだ。さすがに外に遊びには行けなかったが、寝っ転がりながら漫画を読み、テレビを見、桃缶、プリン、アイスを食べる。不謹慎だがバカンス気分だった。
37度。それは体調を崩した時に特別な意味を持つ。健康と病気を分ける境目と皆が信じる。
人が神に祈るように、体温計を挟みながら私は37度に祈る。
この時、私は37度教の信者となる。37度よ。我を導き給え。理想は37度3分だ。学校は休んでおこう、でも医者に行くほどではない。そういう熱だ。
なぜここまで37度にこだわるのか?
見たことがある人はご存じだろうが、水銀式体温計は37の表記だけが赤になっている。まさにここを超えると危険ですよと言っているようだ。いや、実際、我が家では危険の目安として使われていた。
きっとメーカーもそういうつもりで赤にしたのだろう。
……と思っていたら違った。
一応裏付けを取るかとネットで調べてみたら、あれは発熱の目安ではなく「平均体温」だそうである。
平均体温?!
何でも日本人の体温というのは、世界の平均から見て低いそうで。私が見たデータでは36.89度となっていた。白人などは普段から37度越えは当たり前、38度以上になってやっと発熱と言われるらしい。
平均を超えると病気と認識してしまう。私たちは常に平均以下の存在でなければならない。平均以下が普通なのだ。
なんだろうか、この意味のない敗北感は……。日本人がいかに控えめとはいえ、これはやり過ぎである。
……と私は最初思った。
今は認識を改めている。
発熱というのは、平時からどれぐらい体温が上がっているかが問題なのだ。
平時36度の人が37度を出すのと、平時36度8分の人が37度を出すのとでは全然違う。
そう悟ってからは、私は毎日とまではいかないが、ちょくちょく体温を測るようになった。
ちなみに私は脇に挟んで体温を測る。漫画だと口で測ることが多いが、あれは絵にしやすいからだろう。ちょっと変態的だとお尻の穴で測る。お尻で測るのが一番正確だと聞いた覚えがあるが、絵にはしづらい。特に女性の場合は。
漫画にしろ小説にしろ、時には正確さよりわかりやすさが優先されるのだ。
そうして計った私の普段の体温は36度程度だ。36度いかないときもある。いつのまにこんなに低体温になったのだろう。昔の記憶だと36度6分ぐらいだった。
ちなみに、冒頭で私が熱を出して寝込んだというのは、36度9分である。37度教の信者としては「病気ではない」といつもの生活をすべきなのだが、体がだるい。頭が火照る。鼻水が止まらない。
そもそも平時より1度上がっているのだ。37度に満たなくても体が異常なのはわかる。
37度教に背を向ける時期が来たのかも知れない。
37度なくても休もう。
けれど、なぜだろう。37度ないのに休むことに対するこの罪悪感は。37度さえ超えたら堂々と「私は病気です」と胸を張って休めるのに。
体調が悪くて体温計を挟む時、密かに「37度超えてくれ」と祈る自分がいる。
37度教の呪いは私が思っているよりずっと深いのかも知れない。