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ハルシャ=ナーマ  作者: 菩薩
砂塵の章
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第27話 取引

タイガーと別れたクナラズ達は砂漠を進むこと3日、ついに終着点と思われる寒村に辿り着いた。粘土と石灰を固めて作られた不格好な家は、経済環境があまり芳しくないことを。至る所に宿屋の看板が立っているのは、貧しい村でも憩いの場として利用する旅人の存在を。そして見かける村人全員が腰に剣を佩いているのは、ここが油断できぬ危険地帯であることを示していた。

ラクダの歩を進めながら、後ろに続くレムラスとアグサにささやく。


クナラズ「気をつけろ。白蟻の手がここまで届いているかもしれん。実際、トハラに斥候が潜んでいたからな」


アグサ「素性も明かさない方がいいかも。砂漠で沢山の仲間を失った隊商と偽っておこうよ」


レムラス「仮にもハーゲル王国の皇子様なのに、こそこそ動くのかい? 性に合わんと思うね」


アグサ「ちょっとあんたね……」


クナラズ「そう無碍に突き放すな。彼女の言う通り、皇子という身分は隠すべきだ。俺は格闘家になろう。お前達も別の職業を探しておけ。そうだな……レムラスは家出した没落貴族の息子。アグサは氷の魔法で場を沸かせる大道芸人ってのはどうかな」


レムラス「皇子! 変な冗談はやめてください!」


アグサ「その流れなら、クナラズは変態ハゲゴリラね」


クナラズ「むむ? 何か言ったかな?」


アグサ「言ってませんー! ほら、速く行きなさいよ。武闘家のおっさん」


ラクダから降りたクナラズは身にまとっていたマントを腰に巻き付け、あくまで平民に成りすまして宿の戸を叩いた。虫食い穴だらけの板戸がきしみつつもゆっくりと開き、やせ細った顔色の悪い男が現れた。


クナラズ「夜分遅く申し訳ない。一夜の宿を借りたいのだが、寝る場所はあるか。厩でもいい」


宿の主人「ヘッ残念ですがね。この村に厩はありませんよ。ラクダの便所ならあります」


アグサ「ラクダの便所ですって!? イヤ! 絶対イヤ! ウチにクソにまみれて寝ろって言うの!?」


宿の主人「まぁまぁ、そう騒ぎなさるな。他のお客様もいることです。あなたがた、運が良かったですね。居間の隅でなら多少汚れていますが、お貸しすることができます」


クナラズ「ありがたい。さっそく、使わせてもらおう。大義であった」


レムラス(ちょっと皇子様! 自分が武闘家だってこと、完全に忘れてますって!)


真夜中。アグサは扉を開けて宿屋の外に出た。とにかく部屋が蒸し暑い。両脇を見知らぬ男に挟まれて、いつ襲われるか知れたものでない。居間に入った時、無精髭を生やした先客達から受けた好奇の視線。顔だけでなく、主に胸や尻などをジロジロと舐めるように見られた。クナラズとレムラスが庇うように歩いてくれたが、あの不快感は宿を出ても忘れられない。


アグサ「はーぁ、どうしてこうなっちゃったんだろ……」


あのままトハラに残っていれば、平坦ながらも堅実な生活が送れたかもしれない。しかし、今さら嘆いても致し方のないことである。鬱憤を晴らすように、アグサは目をつむって両手を広げた。深呼吸。まるで満天の星空を吸い込んでいるかのようだ。近くの井戸に腰かけ、トハラでの生活を想う。1人暮らしだが、彼女にも父があり母がある。娘からの便りが途絶えて、2人は心配していないだろうか。


アグサ「手紙のひとつでも、書いてあげようかな」


レムラス「そうだ。それがいいとも」


アグサ「ひゃんッ」


全身の肌が粟立つのをアグサは感じた。ぎこちない動きで振り向くと、砂塵を含んだ風に茶色の髪をなびかせながら立つ少年がいた。この男は旅に出てから、いつも自分のそばにいる。1人にさせてくれる時間がない。呆れかえるアグサの内心などお構いなく、彼は隣まで来ると、彼女の肩に手を置いた。


レムラス「誰にだって望郷の心はある。それを唯一満たしてくれるのが手紙さ。誰宛てなのかは知らんがね。ひょっとして、僕に隠れてボーイフレンドと文通したりとか?」


アグサ「あんたこそ、何しにきたのよ」


レムラス「ちょっと喉が渇いてね。どいてくれよ、水汲むから。それとも、君が何か飲ませてくれるのかい? そのみずみずしい身体でさ……」


アグサ「死んどけ!」


アグサに脳天を殴られたレムラスは、すごすご桶を引き上げた。桶の中に水はなかった。普通なら、新鮮な地下水がなみなみと入っているはずである。もしや、それはトハラの常識でこのような寒村では水は滅多に手に入らぬ貴重品なのではないか。一瞬そんな思いがよぎったが、井戸のある説明がつかない。


レムラス「残念、他の井戸を見てくるよ」


石垣をひらりと飛び越え、隣の民家の敷地に踏み込む。井戸にしがみつき、急いで桶を引き上げた。一滴の水もない。からからに乾いてしまっている。


レムラス「あはは、2回連続でハズレか。今宵はツいてない」


膝をかかえて塞ぎ込んだレムラスは、地面に何か青く光る破片を見つけた。表面には古代トハラ語で呪文らしき言葉がつづられているが、その意味はまったく分からない。断片しかないので、文章の総意を読み取ることができないのだ。追って来たアグサに、彼は青銅器の破片を見せた。


レムラス「これ、何かわかる? 古代トハラ語の文があるってことは、きっと神聖な儀式に使われた物なのだろうけど」


アグサ「ウチに聞かれても。地元の人に聞いてみれば?」


レムラス「それがいいかもしれないな。明日、クナラズ皇子にも見せよう。三人寄れば文殊の知恵さ」


アグサ「王宮にこもってばかりの皇子に見せても、何が変わるわけでもなさそうね」


レムラス「まぁそう文句を垂れずに。僕はこれから夜の散歩に出かけるけど、一緒に来るかい?」


アグサ「遠慮しとく。気分転換しに来ただけだし。宿に戻って寝るよ」


レムラス「すぐ帰るから僕が寝る場所は残しておいてくれよ?」


アグサ「やーだ! いない人のスペースは保証できませんー!」


レムラス「この鳥女め、すっかり良い気になりやがって。じゃあ、どうぞご勝手にするといいさ!」


アグサ「うしし、悪いねー」


背伸びをして体をほぐすと、アグサは石垣を乗り越えて宿の敷地に降り立った。扉を開いて、月の光が届かない暗い寝室に足を踏み入れる。スゴォ、スゴォと耳障りな皇子のイビキに眉を顰めながら、両腕を頭へ回して冷えた床に横たわる。

2人分の寝床を占領できるのは、これまで男に挟まれて寝ていた身として喜ばしい。まるで、トハラの自宅に戻ってきたような解放感だ。アグサは目を閉じてうつらうつらしていたが、ふと、何かの気配をそばで感じて目を開けた。


アグサ「あっ」


人型の黒い影が、彼女の寝顔をじっと動かずに覗き込んでいるのである。


アグサ「魔族!?」


反射的に身を起こし、影に向けて氷の槍を放った。槍は惜しくも対象の首元をかすめ、奥の壁に突き刺さる。飛び退いた不審者に休む暇を与えず、瞬時に生成した氷剣で斬りかかる。暗闇に水色の軌跡が輝き、続いて硬い物同士がぶつかった甲高い音が響く。またも影は彼女の攻撃をかわしたのだ。刃は壁に刺さった氷槍の柄を斬り落とすのみに終わった。


レムラス「おい、やめろって! 僕だよ、寝ぼけてるのか!?」


影がアグサの細い両腕を掴み、ぐいっと顔の前まで引き寄せる。よく見ると、正体はレムラスだった。アグサはさっきまで自分が敵だと信じていた相手が味方だと気づき、羞恥心で桃のように顔を赤らめた。彼女の腕を放し、壁に立てかけてある剣を取りにいくレムラス。


レムラス「暗闇の中で死ぬかと思ったよ。いきなり襲いかかってくるんだもの」


アグサ「あんたね……散歩するんじゃなかったの?」


レムラス「剣を忘れた」


アグサ「そんなくだらない理由で、ウチを驚かせたってわけ!?」


レムラス「ごめんごめん、もう出るから。おやすみ」


レムラスは噛みつく鳥人族の娘を、脇に押しやった。鎧は身に着けず、深緑色のチュニックのまま扉を開ける。最後に振り返って、まだ立っているアグサを見た。


レムラス「じゃ、行ってくる。夜明けまでには戻るから、僕が寝るスペース残しておいてね」


アグサ「寒村といっても、夜は魔族の活動時間。油断してると死角から餌にされるよ」


レムラス「心配してくれたの? 大好きだよ、僕のアグサ」


アグサ「そのむず痒くなるようなセリフはやめろ! あんたなんか魔族に喰われちゃえ!」


レムラス「黙っていれば可愛いのにねぇ」


閑散とした夜の村を、レムラスはゆるゆると練り歩く。片手に青銅色の欠片をもてあそびながら、何を考えるわけでなく、ただゆるゆると足の行く先に任せて練り歩く。トハラを旅立ってから、こうして1人で行動する機会が減った。もちろん主であるクナラズや気に入っているアグサと旅をするのは楽しいけれど、それとこれとは話が違う。

誰にも邪魔されない自分だけの時間というのは、集団行動をする者にとって、万の金塊よりも価値がある。井戸の水が一気に枯れたり、畑が水浸しになっていたり、このような異常事態の時こそ、冷静な判断力が必要だ。つまり、混乱した脳内を鎮めるためにレムラスは誰も連れず、たった1人のナイトウォークへ繰り出したのである。


レムラス「お、あの塔よさそうだな」


村のはずれにある、小ぢんまりとしたミナレットの最上階まで登り、夜空をたゆたう月に右手をかざす。

指の隙間を通り抜けた蒼白い光は、冷たい気を放ちながらレムラスの顔を滑り落ちて、背後のレンガ壁に濃い影を映し出した。


レムラス「綺麗な景色だ……。まったく、心まで洗われるような感じだよ」


右手を下したレムラスは深く溜息をついて、ミナレットの窓から首だけ出して、下界の様子をうかがった。土づくりの家々は呼吸を止め、大通りには人っ子ひとり見えぬ。アグサが夜を『魔族の時間』と呼んだのも、納得できる気がした。

そんな凍りついた時の中を、悠々と歩いてゆく影がある。レムラスは目を大きく見開き、身を乗り出してその不可解な物体を見つめた。虎の獣人だ。それも、白のランニングシャツを着て、ステテコパンツの両脇に長刀を佩くという珍妙な格好。弾かれたように走りだしたレムラスは、巨大な柱を軸とする螺旋階段を駆け下り、虎男の前に踊り出た。


レムラス「待て、そこの虎男! タイガー!」


タイガー「ふむぅ……? なんだ貴様は、また会ったな。話があるならば、まず名乗れ」


レムラス「レムラス・アクエリア。ハーゲル王国第42代マハーラージャ・クナラズの家臣!」


タイガー「はて? 今ボルドノープルの実権を握っているのはキラメロでなかったか。……まぁ良しとしよう。で、クナラズの家臣がタイガーに何の用か?」


レムラス「どうしてこんな真夜中に、外をほっつき歩いているんだ。ミナレットから見ていて、とても異様だったぞ」


タイガー「それなら貴様も、家臣であるのに主君のもとを離れて良いのか?」


レムラス「す、少し散歩をしているだけだ。最近、世間が騒々しいからな」


タイガー「ふふん。このタイガーも同じよ。単に空気が重苦しくなったから、散歩をしているまでのこと」


レムラス「トハラの最強戦士様ってのは、ただの散歩ですらガッチリ武装しているんだな。まったく、勉強になったよ」


タイガー「いついかなる時も、敵の襲撃に備えて刃を近くに置いておく。タイガーだけでなく、戦士一般の教養だ。貴様は今まで何を学んできたのだ。それに、早くこの村を出立せねば、存亡の危殆に瀕している、モール族を救えなくなってしまう」


レムラスは、虎男の発言に隙が生まれたのを聞き取った。


レムラス「なるほどね、やっぱりただの散歩じゃなかったじゃない」


タイガーはこの村を今夜中に引き払うつもりだったのだ。以前、トハラの巨塔で初めて出会った時、彼はエグバート王国の故地に行くと言い残していた。彼の目的は自分の主君であるクナラズと同じ、巨大白蟻デビルタームの討伐だ。

なら、話が早い。

もう一度、彼に仕官の話を持ちかけてみよう。行きつく場所が同じなら、絶対に協力してくれるはずだ。


タイガー「いくら言っても無駄だ。タイガーは誰ともつるまない。仕官する気もない」


彼の心を見透かしたようなタイガーの返答に、レムラスはギクリと体をこわばらせた。しかし、今ここで臆してはクナラズ軍にとって大きな鯛を逃すこととなる。トハラ学院の地下図書館で知った、タイガーの過去を引き合いに出して違う角度から攻めてみる。


レムラス「タイガー。君、ずっと昔から生きているんだってね。それも気が遠くなるほど前から」


タイガー「それがどうした」


レムラス「タイガーは許されざる裏切り者……文献にはこう書いてあったよ。昔の君は、一体何をしでかしたのだろうね」


タイガー「なんだと」


レムラス「確かに、仕官してほしい気持ちがあったことは嘘じゃない。けど、それは半分だ。残りの半分は謎に包まれた君の正体を知りたい、凡人によくある知的好奇心だよ。過去に何かやらかしたから、許されざる裏切り者なんて不名誉な異名を与えられるんだろう?」


タイガーが双刀の柄に手をかける。話の内容次第では、レムラスを斬るのも厭わない、断固とした意志表明だ。むしろ、レムラスはこの時を待っていた。やはり、タイガーは他人に触れてほしくない過去がある。裏切り者という言葉に反応したことから、自分の行動は正しかったと信じているのだろう。


レムラス「いいや、君がそこまで話したくないなら、無理に聞くまい。けどね、今のままじゃ君は永遠に過去の汚名を払拭できない」


タイガー「払拭する気などない。タイガーは部族に異邦人を招きこんだ、掟破りの卑劣漢でいい。ミズハを守れるのなら」


レムラス「やっと本来の目的を言うようになったな。君がかつて裏切り者と言われたのは、異邦人であるミズハさんとやらを集落に招きいれ、部族の純潔なる血を汚した」


レムラス「つまり掟を破ったからだね?」


タイガーの頬がピクリと動く。強く歯を噛みしめ、瞳に強烈な光が宿る。


レムラス「君はたぶん、たった1人でミズハさんのために戦ったんだろう。けど、結果はどうだ? ミズハさんを守ることはできたのか?」


レムラスの問いに、タイガーはうなだれて呟く。


タイガー「守ることはできなかった。だから今、こうしてタイガーだけ生き永らえているのだ。タイガーはダムドラに会わねばならぬ。会って、全ての記憶を取り戻さねばならぬ。貴様らと戦争ごっこに興じる暇などないのだ。では、失礼する」


レムラス「僕がダムドラの居場所を知っている、と言ったら?」


タイガー「なに?」

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