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ハルシャ=ナーマ  作者: 菩薩
砂塵の章
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第23話 方眼上の猛虎

近くにいた他の観光客が手伝ってくれたこともあって、黄金の塔はゆっくりではあるものの少しずつ動いた。夢を叶えることは苦難に満ちた茨の道で、たった一人ではどうにもならないかもしれない。他者との交流や協力を経て、やっと偉業を成すことができる。神などに頼るのではなく、結局は自分自身で這い上らねばならぬ。この塔の本意は、回した者だけしか知らない。地面に座り息を整えているレムラスに、ハゲが握手を求めてきた。


クナラズ「力を貸してくれてありがとう。俺の名はクナラズ・D・ハーゲル。ハーゲル王国の第三王子だ」


レムラス「なっ……王子!?」


差し出された手を握ったレムラスは、自身の小さな手を包み込む重厚な暖かい感触とクナラズの身長に圧倒されていた。王になるべき人物は、器量だけでなく体躯も大きいのか。クナラズの言葉が真であることを悟ったレムラスは、同時に気になることがあった。王位継承者ともあろうお方が伴の者も連れず、こんな僻地へ一体何用でお越しになったのだろう。服装も赤いパンツひとつにマントのみと、どう見ても格式高い王族とは信じられない。レムラスの疑念を、翼を消した少女が代弁した。


アグサ「クナラズは王族なのにどうして王都ではなくトハラにいるの? 国王の付き添いって感じでも無さそうだし。もしや亡命中とか? 私達が敵だったらどうするの?」


クナラズ「俺は、エグバート故地に古くから住まうモール族の悩みを解決せよ、という任務についている。任務というより、継承者争いを少しでも楽にしようという長兄の企みであろうが」


クナラズ「とにかく全裸を強制する王宮がもとから嫌だった俺は、任務を受けた1時間後にすぐ発った。追手は全員道中で斬り殺したから、よもやここまで手が伸びていることもあるまい。それに」


クナラズ「このクナラズは国を盗る身だ。刺客がどうだの細かい事に構っている暇はない。お前達、歴史を変えたくばどうか俺と共に来てくれるか。どちらも、手練れの戦士とお見受けしたのだが」


語り終えたクナラズの姿は威厳に満ち溢れ、いくら奇妙な恰好をしていようともレムラスの心を奪うには十分であった。鼻息荒く、アグサを両肩を掴み強く揺さぶる。


レムラス「王子様と共に剣を振るえるなんて光栄の至りです! な、アグサ! 君もそうだろう!」


アグサは眉をひそめ、腕組みをした。どうやら、レムラスの反応に不満を抱いているらしい。揺さぶってくる茶髪の剣士を振り払い、真正面から見据える。


アグサ「王族かどうかも分からない怪しいオッサンについてこいと言われて、ウチが二つ返事で承諾すると思う?」


アグサ「話は分かった。あのハゲが何者かも。でも、こっちまで付き合わされるのはごめんよ。大体学校の方はどうするの? 出席日数が足りてないと留年なんだよ? うち、普通にトハラ学院を卒業したいんですけど」


彼女の理屈は通っている。そもそも、アグサの側からすればレムラスと共に願いの車がある丘まで来る必要は無かったのだ。葡萄畑を荒らしている盗人として、無言で鉄拳制裁をしていればこんな面倒事に巻き込まれはしなかった。もしハゲの『お遊戯』が長く続き、そのまま試験の日を迎えてしまったら自分は単位を落とすことになる。現役でトハラ学院を卒業し、魔法剣士になりたい彼女にとってそれは最悪を超えてもはや悪夢だ。アグサの渋い顔つきに気付いたクナラズが、一歩近寄り彼女の不安をほぐすように優しく語りかけた。


クナラズ「お前の考えていることは分かる。当たり前と思っていた日常が崩壊するのは誰でも抵抗があろう。だが、このクナラズに着いてくるならば悪いようにはしない。俺が国を取り戻した暁には、お前らを二大将軍に任命し、ハーゲル軍の全権を任せよう」


レムラス「将軍に!? 決めた、僕は王子様についていきます。トハラ学院戦士部剣士科のレムラス・アクエリアです!」


クナラズ「まぁそうかたくなるな、レムラス。その豪奢な鎧がただの飾りものでないことを王都の輩に教えてやれ。よろしく頼むぞ」


分かりやすい嘘に騙されるなんて、この少年はなんと愚直なのか。怪しさ全開のほぼ全裸ハゲが、広大な領地を築き上げたかの偉大なるレイギャン王の御子息なわけがない。やはり今帰るべきだ。アグサが翼を広げて飛び立とうとした瞬間、彼女の股下を何かの影が目にも留まらぬ速さで潜り抜けていった。足に焼けるような激痛を感じたアグサが確認すると、太ももがズタズタに切り裂かれ、血を流している。鳥人族の娘に起こった悲劇は、すぐに近くにいた茶髪の少年戦士へと襲いかかった。レムラスの場合は帷子で斬撃が軽減されたためか、アグサの様に四つん這いにはならずに済んだ。しかし、また同じ部位に攻撃を食らえば軽傷どころではないので、必ずしも安心できる状況ではない。


クナラズ「2人とも、願いの車に背をぴったりとつけろ! 所詮気休めだが、いくらかゆっくり敵の動きを分析できるだろう」


レムラス「王子はあれが何か知っているのか!?」


クナラズ「王都付近では鈍重な魔族しか生息していない。敏捷性の高い魔族に関しては管轄外だ」


不意にクナラズの前を先の影が過ぎ去る。彼の厚い胸板に赤い線が一本走った。傷は浅くないらしい、巨漢のハゲ王子は吐血しながら言った。


クナラズ「この感じは爪や牙などではない……まるで剣に斬られた様な感覚だ……。レムラス、敵は剣あるいはそれに相当する何かを装備している。それほどの知性を持った魔族を俺は知らん……。くれぐれも気をつけるんだ」


それだけ言うとクナラズは再び吐血し、地面に座りこんだ。剣を抜き、臨戦態勢を取るレムラス。彼の愛刀はやや湾曲した形状で、彼がトハラに来た隊商から高値で買い取った掘り出し物だ。刃こぼれも滅多にしないので剣を扱う本人の実力さえあれば、かなりの殺傷力を誇る。


レムラス「どこからでもこいよ、相手してやる!」


豪語した直後、彼は内心密かに後悔した。トハラ学院戦士部剣士科でのレムラスの順位は150人中73位と、悪くなければ優秀でもない微妙な成績だったからだ。屈強な王子さえも全く手出しできなかった相手に、自分の剣技が通用するか心配になったのだ。背後に気配を感じたレムラスは体を捻じ曲げ、思い切り振りぬく。だが、刃は空を斬った。同時に鎧と金属が接触する音が、衝撃と共に耳に入る。


レムラス「防具を身に着けていなかったら、やられていた……」


急いで前に向き直ると瑠璃色の氷槍が三本、レムラスの頬を掠めて襲撃者へと飛んでいった。おそらく、空中からアグサが放ったものだろう。襲撃者は願いの車を利用して氷槍を回避すると再び現れ、今度は剣を抜いていないアグサへと躍りかかる。その速度にレムラスはおろか、動体視力にいくらか自信のあるアグサでさえも対処しきれなかった。


アグサ「うッ……!」


攻撃が胸へ届く直前、アグサは敵の全容をはっきりと捉えた。右手に剣、左手に盾を構えた一匹の白蟻兵士。乳白色の顔についた夜空を思わせる円らな瞳が殺戮の色に煌めき、ナイフの様な顎から唾液が汚らしく飛び散る。魔族の右手を掴み抵抗を試みた時、視界が突如歪み次の瞬間には、白蟻兵士は目の前から消え失せていた。敵がどこへ行ったかアグサが見回すと、地面に『白蟻兵士だった肉塊』が緑色の体液を周囲にまき散らして乱雑に落ちている。いつの間に現れたのか、細長い双刀を肩に乗せている虎の姿をした獣人が侮蔑を含んだ目で肉塊を見下ろしていた。


タイガー「ふむふむ、トハラにまで斥候を送りだしていたとはな。このタイガーの目を盗めると思ったか? ……劣等種ごときが、調子に乗るな」


レムラス「き、君は一体……」


レムラスは自分の声が、か細く震えているのを感じた。自分が苦戦していた魔族を、白のランニングにステテコパンツといった珍妙な恰好をしたこの虎男が一瞬で屠ってしまったのだ。それも、原型をとどめぬ程までに叩き潰して。よく見れば、肉塊には銃創の様な傷跡も多数見受けられる。虎男の装備は双刀のみであったはずなのに、なぜ。タイガーは双刀を鞘に収めると、口をあんぐりと開けて固まっているレムラスを品定めするかの如く眺めた。


タイガー「ふむふむ、貴様は戦士を目指す学生のようだが、バイバルス所属と言えば納得してもらえるか? ちなみに、このタイガーは刀だけでなく拳銃も使う」


トハラ人で、バイバルスと聞き首をかしげる者はいない。サンバドル村でLunaticとHarmoniaを知らない者がいないのと同じように、メンバーが全て獣人で構成されている実力派ギルド・バイバルスは、トハラ人にとって武の象徴であった。レムラスはバイバルスに関して、ギルドマスターがやけに自傷をしたがる変人ということしか知らない。それでも、タイガーの放つ静かな覇気にレムラスの背筋は図らずもしゃんとしていた。


どうしてバイバルスのメンバーがここにいるのか、レムラスの隣に舞い降りたアグサが問おうとすると、タイガーは一歩踏み出し刀の柄に手をかけた。視線は真下に広がる霧の濃い黒曜石の広場へと向けられている。知恵のある魔族が、斥候をたった1匹しか送らぬはずがない。案の定、先程タイガーが倒した白蟻と同じ種類の魔族が数十匹わらわらと姿を現した。1人あたり何匹相手取れば良いのか。狼狽える2人をよそに、タイガーは涼しい顔で口を開いた。


タイガー「……フルウェポン・コンビネーション」


虎男が呟いた瞬間、彼の足元から方眼紙の様にマス目で区切られた空白の世界が急速に世界を包み込み、黒曜石の広場も蓮の花を模した土台も、背後に聳える願いの車さえも一切見えなくなった。幾何学的なマス目の世界に、モノクロに変化したタイガーと白蟻の群れがいるばかりである。時の進む速さが極端に遅いこの空間では、白蟻らは自らの意思で行動することができない。彼らを生かすも殺すも、空間の支配者であるタイガー次第だ。もちろん、答えはとうに決まっている。


タイガー「貴様らごときに2度も使うのはもったいないのだが……」


ボンッと光の弾ける低音と共に、マシンガンが次々と召喚され魔族の群れを時計回りに取り囲んだ。あらゆる武器を駆使して、敵を完膚なきまで殲滅する。これがタイガーの必殺技、『フルウェポン・コンビネーション』であった。


タイガー「掃射開始」


淡々とした号令の後、魔族の周囲に浮かぶ全てのマシンガンが火を噴き、白蟻兵士は忽ち造形すらあやふやな物体へと姿を変えた。その間、追撃としてタイガーは彗星となり全弾回避しつつ敵を四方八方から斬り刻む。処刑が完了すると、奇妙な空間は収束し虎男の足元に消えた。まさに最強の必殺技であるが、これは体に大きく負担がかかる。多数の敵を一度に片付けたのが悪かったらしい。タイガーの口から血泡がこぼれ出た。


タイガー「ゴホッ、ふむふむ……今日はこの辺までにしておくか。戦士の卵達よ、このタイガーはエグバート王国故地へと行く」


タイガー「ついて来たければ、勝手にするといい」


クナラズ達は、アグサの家にひとまず位置することにした。胸に傷を負ったクナラズの治療と、これからのことについて3人で議論するためである。部屋のつくりは簡素で木の机がひとつ置かれているだけであったが、曼荼羅の描かれた絨毯や葡萄畑に面した縁側が独特の異国情緒や清涼感を醸し出させ、クナラズの心を高ぶらせた。王宮では、いつもバナナやパキラなど熱帯特産の観葉植物しか周りに植えられていなかった。クナラズにとって、アグサの家は新鮮そのものなのだ。柔らかい絨毯に仰向けに横たわると、様々な疑問や思いが彼の脳内を駆け巡った。タイガーは去る直前、エグバート王国故地へ行くと言っていた。もしモール族がざわめく理由を調査する目的ならば、是非ともクナラズ軍の将軍として迎えたいところである。あの虎男がどの様な技を使用したか予想もつかぬが、自分らが苦戦した白蟻軍団を単独で仕留めてしまったのだ。あれだけの実力者なら、ザルブやガルガの働きでトハラだけでなく王都にも情報が届いていてもおかしくないはず。戦士の間で話題にすら上っていないということは、よほどの機密事項なのか口にしてはならぬ理由があるのか。太ももに包帯を巻いたアグサが、薬草をすり潰し作成した湯を鍋から器に移し替えて持ってきた。


アグサ「万年草は煎じると傷口を塞ぐ特効薬となる。あかぎれとかリウマチにも効くわよ」


クナラズ「恩に着るぞ。これで一緒に来てさえくれれば、王子の地位をかけてお前の名声をハーゲル全土に広めてやろう」


アグサ「別にそこまでしてもらわなくても。どっちみち、ウチはトハラに残りますし」


レムラスが絨毯に腰を下ろし、抗議の声を挙げた。

まるで、彼女が折れない限りその場を絶対に動かない決意表明のようにも見える。


レムラス「納得いかないね。普段お目にかかれない王子様が直々に、それも対等な目線で頼んできているのに断るなんて」


アグサ「ウチは現実主義者なの。王子だか知らないけど、叶いもしない夢物語につきあって身を滅ぼすよりトハラで平凡に天寿を全うする方が、よっぽど理想的だと思う」


レムラス「叶わぬ夢などない。達成できないのは、人が最初から諦めているからだ。あれこれ理由をつけて逃げようとするからだ。あの巨塔だって、3人で協力したら動いたじゃないか」


レムラス「彼の右肩を見てようやく確信したよ。その鷹の刺青はハーゲル王国の王族にしかつけられぬもの。小さい頃、王宮に勤めていた両親からみっちり教育されていてね。王族やしきたり関係については誰よりも知識人であるのさ」


レムラス「アグサ、君は勇気が無いだけだ。確かに、僕も平和な学園から戦場に生活拠点が変わるのは怖い。常に死の危険が背後につきまとうのだもの。でも、僕達が目指す職業だって同じだろう? 実戦が遅いか早いかの違いだけさ。恐れることはないよ。王子様と僕が君の背中を守るから」


熱弁が響いたかどうかはアグサ自身も分からなかったが、彼女は終始レムラスの瞳を見つめていた。そして、彼が心の底からアグサの協力を欲していることを知った。トハラ学院を捨ててまで、戦士としての輝かしい未来を捨ててまで、この少年は怪しいハゲについていくつもりなのか。アグサは参加を渋っている自分が急に恥ずかしく思えた。羞恥心を隠すように2、3回咳払いすると、クナラズの方を向きやや語気を強めて言った。


アグサ「教えてもらえますか。王子様が夢を叶えた暁には、ウチらに何を約束してくれるのか」


クナラズ「……トハラの近くに大きな別荘を建てる。それを書斎として使うといい。それにお前が放っていたアイスランスは魔法剣士専用の氷属性魔法だ。ハーゲル国の軍を編成する際にお前を魔法剣士軍の、隣の少年を剣士軍の将軍として任命しよう。そこらの戦士より払いも良いし名誉もある。我が槍に誓って約束しよう」


クナラズはハーゲル王国でも指折りの槍使いだ。現在彼の槍は、宿で商売する研磨職人のもとに預けてある。クナラズが手を伸ばすと、アグサはそれをしっかりと握った。たった3人であるが、後々強大な勢力となるクナラズ軍の前身が成立したのである。


アグサ「アグサ・シュテルツェはクナラズ王子への永遠の忠誠を、ここに誓います」


クナラズ「あぁ……期待しているぞ、アグサ」

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