第20話 襲撃の目的
メリーシャ「狂戦士族? あれはもう魔族の侵攻で滅ぼされたのでは?」
Harmoniaの次期ギルドマスターとして英才教育を受けてきた彼女に、これまで興亡した部族で知らぬ名はなかった。狂戦士族は、たしかエグバート王国の遥か南、絶海の孤島で文明とは断絶した生活を送っていた小民族ではなかったか。基本的に温厚な性格だが、魔族侵攻時には暴虐の限りを尽くしあのテングリカガンでさえも、一度退却せざるを得なかったとか。それを何故、この機会に持ち出すのだろう。メリーシャの疑問を見透かしたかのように、武琉はニヤリと口角を上げた。
武琉「運良く助かった狂戦士族が3人おってな。イーフィはその内の1人なんじゃ」
前方で呻き声が上がった。テングリカガンが苦悶に顔を歪め、脛からとめどなく流れ出す自分の血を睨みながら、片膝をついている。踏み潰されたはずのイーフィの遺体は忽然と姿を消し、廊下には巨大な山羊が彫像の様に固まった状態で耳を澄ませているばかり。俄かにテングリカガンの目前にある大理石の床が、不自然な盛り上がりを見せた。
テングリカガン「そこか、小娘!」
亀裂に殴りつけた拳は動かない。手加減をしたつもりは毛頭なかった。まさかこの女は、この女は……!
テングリカガン「馬鹿な、狂戦士族は全員残らず目を抉り鼻を削ぎ、手足を縛り上げ海へ落としたはずだ! 」
山羊の拳がゆっくりと押し上がり、下から茶髪の少女が現れた。黒目は猫の様に細くなり、鋭い犬歯が垣間見える。調子の外れた笑いが漏れた時、魔将軍は天性の勘で飛び退いていた。純白の胸板に赤い線が一本走る。血に飢えた野獣が山羊の脇腹に噛みつき、そのまま勢いに任せて食い破った。草食動物特有の長い腸が垂れ下がり、イーフィはそれを強引に引きちぎると、さらなる血を求めて山羊の脇腹に頭を突っ込んだ。
メリーシャ「……地獄絵図ですわ」
武琉「狂戦士族は、一度化けるとそれまで喰らってきた傷は全て治り、加えて心臓を破壊されなければ死なぬ。味方ならば心強いが、敵に回すと厄介な相手じゃ」
武琉「まぁ、イーフィ1人の存在で奴が敗北を喫するとは到底思えぬがな」
無我夢中で臓物を食い荒らすイーフィの頭を、テングリカガンの手が掴んだ。相当なダメージを負っているはずなのに、まだ闘う体力が残っているのか。赤児ほどの大きさの臓器が、床に吐き出され回転しながら滑ってゆく。その様子を横目で流し、テングリカガンは脇腹から引き抜いた少女を近くの防音ガラスへ思い切り叩きつけた。同時に双角より蒼い雷光を迸らせ、イーフィの両腕を焼き切る。幾重にも重なった強化ガラスが悲鳴をあげて砕け散り、破片によってイーフィの額はパックリと割れた。狂戦士化した時に痛覚の神経が吹き飛んでしまったのか、重傷を負いながらも山羊の束縛から逃れようと牙を剥いて残った足をばたつかせている。テングリカガンの表情には余裕があった。
テングリカガン「一瞬驚かされたが、所詮子供の力などこの程度か。我の敵ではない」
テングリカガン「この娘は我が直々に嬲り殺すとしよう。バルド、汝は任を遂行せよ」
バルド「……御意」
衣装室の方から、光速の速さで廊下を走る黒い影があった。羽織っているコートがなびき、メリーシャには接近者が翼を持つ悪魔のように見える。悪魔は白手袋をはめた両腕を伸ばし、腰にさしている剣を引き抜いた。柄の部分しかない剣を、玩具の使い方を知らぬ幼児の如く無造作に振り回す。メイドが細剣に軽く手を添えながら、武琉に囁いた。
グラン「マスター、あの者は」
武琉「テングリカガンの懐刀じゃろう。なに焦ることはない。こちらにはHarmoniaのギルドマスターがおるのだから」
メリーシャ「そ、そうですわ! 武琉様の仰る通り、わたくしは頼りになる乙女ですの! Harmoniaの誇りにかけて、いざ出陣ですわ!」
本当は断りたかったのだが、武琉の静かな威圧がメリーシャを突き動かしていた。どうしてこんなことになってしまったのか。北の森で新種の竜を討っているはずが、西に流れ流れてクリム山。フリルだらけのドレスを身にまとい、Lunaticの客員戦士として魔族軍と刃を交えている。そんな奇妙な状況下にあっても、令嬢戦士の心は清冽な水を湛えた湖畔の様に穏やかであった。全神経が鋭敏に研ぎ澄まされ、対峙する敵を打ち倒すことのみに意識が向いている。瞬間移動を駆使して攻撃を回避し、一気にカタをつけてしまおう。
バルド「……滅」
虫の羽音が突如、加速をつけようとしたメリーシャの前を横切る。瞬間、重い衝撃と共に火花が飛散し左手に持っていたレイピアが吹き飛んだ。乾いた金属音を奏でて彼女の手から解き放たれた剣は、壁にかけられている武琉の肖像画に突き刺さる。刺さってもなお振動の余韻を残し震え続ける様子が、斬撃の力強さを物語っていた。黒い影は立ち止まり、柄のみの剣を両手で持ちまるで祈りを捧げるかの様に立てて構えた。いや、柄だけの剣という表現には些か誤りがある。メリーシャの目に留まらぬほどの速さで剣を振っただけで、そこには確かに闇の粒子が棒状に放出されていた。バルドと呼ばれた者は黒い髪を肩まで伸ばした青年であったが、瞳に生気は宿っておらず黒コートと相まってますます悪魔らしさを漂わせていた。彼と同じように寡黙な戦士を、メリーシャは知っている。
メリーシャ「ふふふ、武琉様の隣にいるグラン様と立ち位置も雰囲気もそっくりですわね」
しかし、そう呑気はしていられない。漆黒の剣光が彼女の首元に容赦なく迫る。メリーシャは手首を反射的に翻し、残ったレイピアでバルドの斬撃を受け止める。肩越しに、魔将軍がイーフィの両足をもぎ取っている惨状が目に入った。バルドの腹をヒールで蹴り飛ばし、一旦距離を置く。
メリーシャ「ひとつよろしい? あなた、人間ですのにどうして魔族側についておりますの?」
バルド「……私は自分に相応しい主を選んだ、それだけだ。貴様のように地位や金を求めて主君を仰いでいるのではないわ」
メリーシャ「ふん、口だけは達者なようですわね」
彼女は不満げに鼻を鳴らし、不遜な青年へ向けて再び疾走を開始した。
禿頭毛亡「ええい、ちょこまかと動きおって!」
伝説の竜同士の決闘も苛烈さを増していた。小柄で軽い体重を活かし、素早くトリッキーな動きをするラグードに、禿頭毛亡は笑い種にもできるくらい翻弄されていたのだ。人間の時からそうであったが、自分は敵の攻撃を受けてカウンターとして重い一撃を見舞う戦法が得意だった。対して雷迅竜はいわゆるヒットアンドアウェイ戦法を取り、必要以上にこちらまで近寄ろうとしない。近接技の攻撃範囲が狭い彼にとっては、ラグードの姑息なやり方は迷惑千万なのである。加えて稲妻の様な形をした発電器官から時々放たれる強烈な雷撃や、身体を麻痺させる微電流も面倒だ。ラグードが尾の先端にある発電器官で禿頭毛亡の動きを封じようとすれば、こちらも電流を流させまいと炎を吐き抵抗する。2匹の竜は空中で咬み合い、きりもみ回転をしながら近くの崖に激突した。幸運にも叩きつけられたのは、ラグードの方であったらしい。怯んだ隙をついて、黒色の竜がその柔らかい喉に牙を立てた。両翼を力一杯羽ばたかせ、敵の喉を咥えたまま力任せに横移動する。自分の血と砕かれた小石が目に入り、雷迅竜は苦しげに首を振るが、禿頭毛亡の圧倒的な顎力には到底太刀打ちできなかった。
禿頭毛亡「貴様の名は知っている。魔将軍の眷属であるラグードだろう。たかが眷属1匹に討たれるほどヤワではないわ」
聳え立つ岩壁に太い一文字が刻まれる頃、やっと解放されたラグードは霞む視界の中でテングリカガンのいる屋敷を探した。平衡感覚を失い、酔っ払ったかの如く右へ左へ行ったり来たりする生ける伝説を眺めながら、禿頭毛亡は傲然と言い放つ。ラグードが、屋敷の方向へ徐々に軌道修正してゆく。飛び方こそびっこをひいており情けないが、同時にそれはなんとしても主人の元へたどり着くという決意の表れにも見えた。血相を変え岩壁より飛び立つ黒竜。
禿頭毛亡「いかん、ラグードが刺し違え覚悟で屋敷に墜落でもしたら、館内にいる我がマスターの命が危ない!」
禿頭毛亡が必死でラグードに追いすがる一方、屋敷内では誰もが息を飲むような緊迫した状況が展開されていた。首筋に冷光の刃を当てられ、動けないメリーシャとバルドの横顔に、剣を真っ直ぐ突きつけるグラン。もしバルドがメリーシャの首を刎れば、グランがすかさず黒髪の青年を斬り伏せるだろう。膠着状態にある3人を、Lunaticの頭領と魔族の頭領がそれぞれ腕を組み見守っている。
テングリカガン「任務は果たせぬか、バルド・シュヴァルツヴァルト」
テングリカガン「我が汝を臣として認めたのは、それに見合う力があると思ったからだ」
ずっしりと腹の底に響くテングリカガンの催促に、バルドは額に脂汗を浮かべた。感情を失ったはずの黒い瞳に一瞬、恐怖の光が電流の如く走り消える。目の前にいるやけにドレスが似合っていない女は、既に太ももを携帯ナイフで貫いてあるのでいつでも命を奪うことができる。逆に、厄介なのは隣のメイドだ。少しの物音も立てずに接近する隠密能力や、最初に放っていた光線などただの戦士でないことが分かる。それに、背後の天井で何者かが禍々しい気を発していることもバルドは見抜いていた。おそらく主君が始末したはずのピエロが息を吹き返し、重力を移動させ舞い戻ってきたのだろう。下級の暗黒魔法程度ならバルドも跳ね返せるが、その隙に決着を付けられてしまう。歯痒さで強く下唇を噛みしめた時、テングリカガンが実にあっさりした調子で言った。
テングリカガン「退くぞ。ここに滞在する理由は今、消滅した」
バルド「何故。私はまだ任を達成しておりませぬ」
テングリカガン「事は成った。汝は機を逸したのだ。功を挙げたのはダリアよ」
バルド「ダリアですと?」
ちょうどその時、褐色の肌を持つ少女が扉の向こうでハイパーリーブの入った箱を片手に悪戯っぽく笑う姿がバルドの目に入った。テングリカガンやバルドに注意を向けていた武琉は、彼女の存在に全く気が付かなかったのだ。LunaticはHarmoniaに渡すはずのハイパーリーブ7個を、みすみす魔族軍に奪われてしまったのである。本来得るはずであった手柄を同僚に横取りされ、バルドの中に沸々と怒りが煮えたぎった。光の刃を消し、剣の柄を腰に吊る。人差し指と中指を眉間に当て、肺に溜まった邪気を吐き出すように嘆息した。バルドは憤怒の情を鎮める時に、いつもこの方法を使うのである。
バルド「……御意」
テングリカガン「よろしい、そろそろ竜も来る。目的は達した、これ以上死合う理由もなかろう」
魔将軍の言葉通り、強化ガラスを突き破って雷迅竜が飛び込んできた。グランの追撃も許さず、テングリカガンとバルドは竜の背に乗ると弾丸の如く東の空へ消えて行った。空はもう澱んだ黒雲でなく、あらゆるものが洗い流された様な快晴であった。
グラン「マスター。リーブの個数をご確認下さい」
メリーシャ「リーブですって? どうしてリーブの話が突然出てきますの?」
グランはメリーシャの問いに返答せず、武琉の傍まで寄ると囁いた。やっと屋敷に辿り着いた黒い竜が、割れたガラスの隙間から顔を覗かせる。
グラン「万が一魔族がハイパーリーブを狙って襲撃し、奪われたとあればLunaticの沽券に関わりますので」
武琉「ハイパーリーブは、奪われた。わしも今しがた気がついたところだ」
あまりにも自然に即答したので、グランは驚きの色を隠せなかった。口を開きかけるグランを押しとどめ、片手に持った杖の底を床へ打ち付ける。
武琉「奪われたが、まだ奴らの手に渡ったわけではない。リーブの入った箱にはある復活魔法をかけておいた」
グラン「復活魔法、ですか?」
武琉「このわしが無防備な状態で取引をすると思うか? 少なくともあの箱を手にした者は無事ではいられまい」
グラン「マスター……あなたという人は、何ということを……」
武琉「魔族を利用してこそ真の戦士というものじゃ。毒蛇の咬み合いが見物できずにまこと、残念じゃがな」
ベレー帽をかぶり直した老人は、若干マントを浮かせながら豪快に笑った。
田中「2人して一体全体何の話をしてるんスかねぇ、メリーシャさん」
彼女の隣に降り立ったのは、天井でバルドの動向を見張っていた暗黒武闘家・田中であった。戦闘が終わったため、仮面を外し鼻筋の通ったイラン系の顔を窓より吹きこむ風に晒している。あの不気味なピエロがここまで若く、精悍な若者であったことにメリーシャは思わず目を見開く。
田中「さ、イーフィさんをベッドに運ぶッスよ。あの人1回寝たら傷が完治してるんスから、マジで化け物ッスよね」
魔将軍テングリカガン、生ける伝説ラグード、そして自分を追いつめた魔族長の懐刀バルド。どれも今まで戦ってきた魔族と、比較にならない程の強敵だった。自分はまだまだ戦士として未熟な存在なのだと、メリーシャは悟った。