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ハルシャ=ナーマ  作者: 菩薩
嚆矢の章
17/32

第17話 『約束』

ハゲスルメマン「簡単な挨拶も済んだところで本題に入ろうか」


ハゲスルメマンの表情が真剣そのものとなり、つられて場にも緊張が走る。彼は床に倒れていたクラリスを抱きかかえ、セレスに差し出した。左腕が根元から消えているのを見て、セレスは肩を震わせハルシャの背後へ回った。蚊の鳴く様な弱々しい声で問う。


セレス「それ死体ですか?」


ハゲスルメマン「限りなく死体に近い。この教会には傷なら何でも治してくれる超人がいると聞いた。ま、その調子じゃ君ではないだろうが……」


セレス「ちょ、超人……」


超人という言葉を聞き戸惑いを隠せないセレスに、横から猫娘が助け船を出した。


フレイア「ハインリヒ神父は今どこにいるニャ。それだけ教えてニャ」


セレス「神父様ですか? あの人なら村役場に……」


その時、宿舎の扉が軋む音を立てて開いた。暗い室内に暖かな太陽の光が差し込む。逆光のせいで、男の全体像がシルエット化しており、どの様な表情で佇んでいるのかハルシャには分からない。しかし、それはまさしく超人にだけ許された登場の仕方でもあった。長身の男は間延びした声で言った。


ハインリヒ「おやおやまぁまぁ、これだけ沢山の方がお祈りに来て下さるとは」


ミラ「セレス~ちゃんとお留守番しないと神罰が下るよーん」


セレス「ミラ。あなたの方こそ、いつまでも神父様の腰巾着で満足しているんですか」


ミラ「満足してるよ? 偉大な神父様の傍にいられるし、掃除よりかはマシだもの」


小柄な影がひょこりと覗く。人を小馬鹿にした様な態度が憎たらしい。もしかするセレスとミラはライバル関係にあって、小柄な影の方が神父から良くしてもらっているのかもしれぬ。すると、ハインリヒはハルシャの邪推を否定するかの如くセレスの前に進み出て、優しく微笑んだ。


ハインリヒ「いつもお留守番ありがとうございます。会議は済みました。これから食事とゆきたいのですが、皆様もご一緒にいかがでしょう?」


ゆったりと両手を広げ、一同を見渡す。中性的で整った顔つきだが、寄る年波には勝てないらしい。目元に皺がくっきり浮かんでいる。右目を隠す長い白髪を無造作に流し、余計な飾り立ての無い修道服の黒さを際立てていた。


ハゲスルメマン「食事の招待はありがたいのだが、先に済ませたいことがあるのだよ」


ハインリヒ「フム、聞きましょう」


神父はハゲスルメマンの話を促す様に、顎をしゃくった。


ハゲスルメマン「この子の傷が治るか否か、診察して頂きたい」


ハインリヒに瀕死の魔女を見せる。柳の様に華奢なクラリスの身体を受け取った初老の神父はまぶたを閉じて額から左腕の傷口、足へと手を滑らせた。同じ教会に勤めている修道女のセレスやミラさえも、初めてハインリヒの診察に立ち会うかの様に固唾を飲んで見守っている。暫しの静寂が、場を支配した。診察を終えるとハインリヒは、訥々と結果を述べた。


ハインリヒ「完治を約束できますね」


ハインリヒ「ただ、この子は身体が少々弱過ぎます。治療後は三日ほどベッドで安静にして頂かなければなりません」


張り詰めた空気が少し緩んだ。ジークとルーミアは遠巻きに様子を窺っていたが、最悪の事態に至らなかったことを知り安堵のため息をついた。


足利義輝「とにかく、治るのだな?」


ハインリヒ「勿論。……そうそう、足利義輝さんでしたっけ」


部屋の隅で刀の手入れをしている武士に、ハインリヒは黄ばんだ和紙を渡した。


ハインリヒ「極東から義輝さん宛にお手紙が届いていますよ」


手紙の送り主は『禿頭髪死はげこうべ・かみじに』とある。禿頭という苗字に義輝は聞き覚えがあった。ハゲスルメマンに殺意を抱いているLunaticの闇騎士、禿頭毛亡しゅうず・もうぼうの一族なのか、それとも否か。どちらにせよ、手紙をスルメ倶楽部でなく義輝一人に宛てたことが引っかかる。慎重に長方形の書簡を開くと、細々とした楷書でたった一文記されていた。


『五月雨は 露か 涙か不如帰 我が名を上げよ 雲の上まで』


足利義輝「……まさか」


義輝の目が見開かれ、書簡は真っ二つに破れた。


ハインリヒ「さて、始めましょうか」


手紙の内容に衝撃を受ける義輝をよそに、ハインリヒは抱えているクラリスの治療に取り掛かった。抱えていると言っても、魔力を使いハインリヒの腕とクラリスの身体に僅かな隙間を作っているので、重さは感じない。注ぐ魔力を維持しながら、両腕を離す。宿舎の中央に横倒しの魔女が浮遊し、ハルシャ達が周りを囲む構図となった。腕を組み、神秘的な光景を眺めていたハルシャの隣に小柄な修道女が立つ。髪はセレスと同じく流しているが、あちらがラピスラズリを思わせる紺色なのに対してミラは光さえも吸い込まれそうな漆黒の闇だ。


ミラ「あんね、あんね、神父様の魔力は凄いんだよ。約束したことはみんなやり遂げるの。死者も蘇生できるのよ」


ハインリヒ「法螺を吹くのはよしなさい、ミラ。人がいつ死ぬかは予め神により定められしもの。死者の蘇生は神の意に背きます」


ミラ「分かってますよ、ただこの人をびっくりさせてみたかっただけです~」


口を尖らせ不満そうにぼやくと、いきなりハルシャにしなだれかかってきた。口の間に見え隠れする八重歯が妖艶に光る。ハルシャはギクリとした。


ミラ「よく見たら、あなた結構格好良いじゃん。私の好みだよ、そーゆー顔」


初対面の、加えて名前も知らない人間にここまでスキンシップしてくるとは。対処に困り動けない少年戦士の首に、ミラは腕を回した。瑞々しい朱色の唇が迫る。


ミラ「あだぁッ!」


囁かれたのは愛ではなく、悲鳴だった。聖職者あるまじき行為に堪忍袋の尾が切れたセレスが、音もなく背後より接近し怒りの鉄拳をお見舞いしたのである。


セレス「ここは妓館ではありません。ご退出頂けますか?」


ミラ「むぅ~」


冷ややかな態度のセレスに、恨めしげな視線を送るミラなのであった。


ハインリヒ「約束しようッ! 死の淵に沈みゆく哀れな娘の魂は今、神との契約により救済されたと!」


ハインリヒが右手を掲げ、宣言する。喇叭の音が喨々と鳴り響き、天井から無数の羽毛がはらりはらりと舞い降りてきた。羽毛はクラリスに触れると即座に光となって、慈しむ様に全身へ満遍なく溶け込む。土気色の顔が徐々に血色を取り戻し、左腕もいつの間にか生え変わっている。神業と呼ぶに相応しいハインリヒの『約束』に、セレスは愕然としていた。噂には聞いていた、噂には。だが、下働きのセレスは最高権力者であるハインリヒ神父と共に行動することが許されず、『約束』の現場を目の当たりにはしていなかったのだ。こんなこと、私には絶対真似できない。ただ怯えるだけで終わった自分と、完治にまで至った神父。自分と神父の間に横たわる、この世のどんな海溝よりも深いであろう実力の溝をまざまざと見せつけられた瞬間だった。セレスの瞳に昏い絶望の光が宿ったのに気づいたハルシャは、どうにか慰めてやろうとそっと彼女の肩を引き寄せた。


セレス「どさくさに紛れて何やってるんですかこの変態!」


ハルシャ「あだぁッ!」


渾身の張り手を頬に喰らったハルシャは、そのまま床に尻餅をついてしまった。それを見たフレイアとミラが爆笑し、アーシャは苦笑を浮かべ、奥の方ではルーミアが忍び笑いを漏らす。和やかな雰囲気になったところで、初老の神父が右手を下ろした。


ハインリヒ「約束は完了しました。私はこの娘を二階の個室に運びます。食堂へはミラがご案内致しますので、どうぞごゆるりと」


フレイア「あんまりお腹減ってないニャ」


アーシャ「しっ! 神父様のお誘いですよ? 断ったら全裸を約束されちゃいます!」


ハゲスルメマン「そうだぞ。それに折角の会食だ、神父様や狼紳士の身辺についても伺ってみてはいかがかな?」


フレイア「えぇ、面倒臭いニャ~」


不満を垂れながらも、スルメ倶楽部とハルシャ達は食堂に足を運んだのであった。



サンバドル村のちょうど北西30kmの地点に位置するクリム山。広がる裾野にエルフ族の集落を数多く抱き、急峻な山道は地元民でも毎年二桁台の死者を出す魔の山である。そんなクリム山の中腹に、一軒の屋敷がひっそりと佇んでいた。もし遠景として使うならくっきりと映り込むくらいの豪邸で、庭には漆黒の背景に蒼白い三日月が刺繍された掲揚旗が2つ強風に煽られ、はためいていている。


イーフィ「申し訳ありません、私の不注意で禿頭毛亡に単独行動をさせてしまいました」


仄暗い屋敷の書斎にて、イーフィはひたすら平身低頭していた。緩やかな螺旋を巻く茶髪が垂れ下がり、白いうなじが現れる。膨大な数の書棚を背に、ソファに腰掛けイーフィの懺悔を聞いていた老人は、さも退屈そうにパイプをふかしていた。


イーフィ「武琉様、私に罰をお与え下さい」


一緒のギルドに加入すると誓った親友・アーシャを裏切り、Lunaticの尖兵として着々と任務を果たす日々。彼女は今の自分に全く疑問を感じなかった。サンバドル村随一のギルドという美酒は、親友と絶好してでも酔う価値がある。その代わり、失敗は許されない。


武琉「もうよい、あの闇騎士はここに戻る。客人を携えてな」


いつの間に遠見の術を使ったのか。

イーフィが顔を上げると、武琉は赤いベレー帽を取り、傍らに立つ少女に命令した。


武琉「グラン、もうすぐ客人が来る。茶と菓子の用意でもしておけ。重要人物ゆえ粗相のなきように」


グラン「了解しました、マスター……」


少女はお辞儀すると、浮遊感のある黒い短髪を揺らして台所に歩いていった。

少女が闇に溶けるのを確認した後、武琉は遠い目で窓の外を眺めた。


武琉「Harmoniaも遂に代替りしよったか。わしが利用するに値するか、じっくり見極めさせてもらおう」

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