第15話 弔い合戦
ハゲスルメマン「盾に隠れていては正々堂々闘えないではないか! ちょっとそこの御仁、恥ずかしがらずに出てき給えよ!」
隙間無く編み込まれた蔓を掴みちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返す。ようやく内側が見えてきたところで、ユグドラシルを囲んでいたライフルツリーが蒼炎の燭台と化した。身を捩らせ消火を試みるも、動きが遅く速度に追いつかない。黒煙が狼煙の様に濛々と立ち昇る。内部を目指すことだけに専念していたハゲスルメマンは、死角より頭を狙うライフルツリーの存在に気づいていなかった。もしや、と思い首を巡らせる。
ハゲスルメマン「ク、クラリスくん……やはり君だったのか」
蒼炎を放ったのはユグドラシルに左腕を飛ばされ、更にライフルツリーの弾撃を受け瀕死に陥っていたクラリスだった。全身を駆け巡る激痛に耐え、残る右手に勝利を託し、捨て身の上級魔法を唱えたのだ。駆け寄ろうとするハゲスルメマンをうつ伏せのまま見上げ、弱々しく微笑む。
クラリス「仲間も呼ばずに一人で……新種に立ち向かうなんて……最後まで……ダメなおっさんだなぁ……この……クソハゲ」
赤黒い塊を口から吐き、クラリスは自らの作った血だまりに倒れた。
ハゲスルメマン「クラリス!? おい待て、まだ死ぬ許可は出していないぞ!」
ハゲスルメマン「君はスルメ倶楽部の副GMだ、吾輩が不在の時にギルドを引っ張って行かなきゃならん存在だ、最初の任務でくたばってどうするのだ!」
ギルマスの悲痛な叫びに答えたのはディグノーの金切り声のみ。崩れた壁を風が通り、魔女の死を悼むかの様に細くもの寂しい鎮魂歌を奏でる。それはスルメ倶楽部による武闘曲の始まりでもあった。樹洞に落ち葉を敷き詰め、クラリスを優しく横たえる。まだほんのりと温かく、死後硬直の兆しも見られないが、今に彼女は棺桶でよく見る死人と同じ状態になるのだろう。艶やかな薔薇色の唇もじきに黒ずみ、枯れた花の様に萎んでいくのだろう。少し前まで自分に憎まれ口を叩いていたクラリスが、明日からいなくなる。生物学の観点からすれば、死など生命の循環過程の一部に過ぎぬ。毎日人は死に、その分産まれる者がいる。実に簡単なことだ。それなのに、ハゲスルメマンの心に空いた虚無の穴は大きかった。丁度冷えた夜空の一点を、場違いなほど煌々と輝く満月が抉り取る様に。声を挙げず、歯をぐっと噛みしめ、ハゲスルメマンは泣いた。
ディグノー「キエエエ!」
樹上から飛び降りたディグノーが三度首を振り、胃の内容物を吐き出した。ジーパンと下着が強酸で溶け、筋骨隆々な身体からも白い煙が昇るものの、ハゲスルメマンは動かない。とうとう竜が背後にまで迫った時、哀しみを知ったハゲの鉄拳がディグノーの前歯をしたたかに殴り、粉砕した。のけぞり後退するディグノーに、勢いまま後ろ回し蹴りを炸裂させる。鈍い音はディグノーの顎骨が砕けた音か。咄嗟に大樹を見やると、ユグドラシルの姿はすでに消えていた。粘液と血の入り混じった液体を垂らしながら、ディグノーは手を伸ばし襲いかかる。その手をどこからともなく飛来した、対竜専用の太い矢が貫いた。
ハゲスルメマン「き、君は……!」
アーシャ「間にあって良かった! 狼煙が上がってるのをフレイアさんが見つけて、飛んで来たんですよ!」
ハゲスルメマン「フレイアくんが見つけてくれたのか……」
フレイア「やったニャ! ボク、バズーカの召喚に成功したニャ! あ、義輝ちょっと手伝ってニャね」
猫娘の言葉が終わらないうちに、アーシャの背後から四発のミサイルが白い尾を引いて向かってきた。自動追尾機能がついているらしく、ミサイルは全弾ディグノーへと吸い込まれていく。衝撃で鱗が吹き飛び、ピンク色の筋肉組織が露わとなる。金髪の弓使いに続いて、両手にバズーカ砲を持った猫耳の召喚士と長髪の武将が現れた。クラリスのおかげで、ここにスルメ倶楽部の全メンバーが集結したのだ。
ハゲスルメマン「さぁて、反撃開始と洒落込むかな。諸君!」
各々が得物を掲げて鬨の声を挙げる。だがディグノーも新種の端くれ、ただで殺られるタマではない。
一瞬の油断をついてアーシャに胃に残った吐瀉物をかき集めて浴びせかけた。どうなるか、など容易に予想がつくだろう。ボロボロの弓と衣服、下着がアーシャの足元に落ちた。
アーシャ「ひいい! 何これッ! わ、私の服が溶けていく~!」
フレイア「ほうほう、これは面白い技ニャンねぇ。義輝も食い入るように見てるニャ」
アーシャ「ジロジロ見ないでください、バカ! 変態!」
胸を押さえてしゃがみ込む彼女の傍らに全裸のハゲが歩み寄り、肩を叩いた。
顔を上げてハゲマッチョの全裸体を目にすると、頬を林檎の様に赤らめて再び俯いてしまった。
純粋なアーシャにとって、ディグノーの必殺技はちと刺激が強すぎたようである。
アーシャ「この世界には変態しかいないんですか!? もうなんとかしてくださいよッ!!!」
フレイア「そう言えばクラリスの姿が見えないニャ。一緒に行動してたんじゃなかったのかニャ?」
ハゲスルメマン「あぁ……クラリスくんは……」
苦虫を噛み潰した様な表情で後の言葉を紡ごうとするが、どうしても喉元で引っかかり外に出てこようとしない。
ハゲスルメマン「クラリスは大樹に……」
断腸の思いで語り始めると、横から抜き身の日本刀が遮る様に突き出された。義輝が静かに首を振っている。十分伝わったからもうこれ以上言うな、とのことだろう。栄光への一歩として開幕した狩猟は結果として、弔合戦の意味を持つものとなった。ハゲスルメマンも、フレイアも、アーシャも、そして足利義輝もある一つの思いを胸にユグドラシルの大樹を見据えた。クラリスの死を無駄にしてはならない。
足利義輝「この戦い、拙者が終わらせる。手出しは無用ぞ」
涙に濡れた手で刀の柄を握り直す。ギルドマスターから前に知識として聞いていたので、義輝はライフルツリーを操るユグドラシルの存在を知っていた。魔族と戦う以上、犠牲者が出ることは想定内であったが、こんなにも早く身近な存在が露のごとく消えてしまうとは。下段に構えた瞬間、義輝の瞳に実力派ギルドの副リーダーとして自分達と戦場を笑顔で駆けるクラリスの姿が映った。魔族が彼女の未来を奪ったのだ。足利義輝は鬼となった。
足利義輝「貴様に死に場所は与えん。身体が粉々になるまで斬りつ尽くしてやろう」
陽炎の様に揺らめく闘気を身に纏い、力強く足を踏み出す。雑草と土が突然の大地震に驚き飛び跳ねるも、義輝は意に介さず駆け抜ける。憤怒の火を燃やす義輝の瞳は、ディグノーを透かして後方の大樹を捉えていた。まさかあの男、ディグノーでは飽き足らずユグドラシルまで斬るつもりか。仲間を喪ったと言え、森全体に生命エネルギーを送るユグドラシルを斬れば魔族だけでない、普通の生態系にも影響が及ぶ。他ギルドの狩場を奪うことは、極刑も覚悟せねばならぬ程の大罪だ。事態の深刻さを悟ったハゲスルメマンが、弱いエネルギー弾を練り始める。風を切って疾駆する義輝の周囲に、刀剣の形を模した霊気がドリルの如く高速回転しながら漂う。霊剣が矢継ぎ早に飛び、瀕死のディグノーを更に追いつめていく。そして、憎しみと怒りと闘気を凝縮した日本刀を義輝は横一線に振り抜いた。迷彩柄の顔面に一文字の赤い線が刻まれ、ディグノーは身体ごと上下に分断された。竜の死体を踏みつけ、手首を翻し大樹へ斬りかかる義輝を、暗褐色の光弾が吹き飛ばす。身を起こした足利義輝の前に、全裸のハゲが両手を広げ立ちはだかった。
ハゲスルメマン「待て、義輝! ユグドラシルを斬ってはいかん!」
足利義輝「ハゲスルメ殿、何故今止めなさるか。余はもう我慢ならぬ」
ハゲスルメマン「吾輩も君と同じ気持ちだ。だが、ユグドラシルは北の森にとって親のような存在。ひいては我々戦士が活動するための狩り場の提供者でもある」
足利義輝「だがしかし!」
ハゲスルメマン「剣を退け、義輝。いつか、吾輩が歪んだ義憤に駆られて過ちを犯そうとした時、君は同じことを言ったろう」
ハゲスルメマン「今度は吾輩が君を止める番だ」
フレイア「お取り込み中ごめんだけど、とびきりのニュースニャ。クラリスが息してる! 弱い鼓動を感じるニャ!」
ハゲスルメマンからクラリスの居場所を聞き、樹のうろで魔女の胸に耳を当てていたフレイアが喜びを隠し切れない調子で声を張り上げた。視線が猫娘へ一斉に集中する。
足利義輝「それは真か。フレイア殿」
アーシャ「クラリスさんが生きてるなんて、すぐには信じられないです」
フレイア「クラリスはまだ生きてるニャ。でも油断は禁物。虫の息だから、夜までに強力な治癒魔法で回復しないと死ぬニャね」
ハゲスルメマン「治癒魔法? スルメ倶楽部で彼女の傷を完治できるほどの魔力を扱える者はいないだろう」
フレイア「サンバドル村の教会に一人いるニャ。みんなもよく知ってる人ニャン。そいつに頼めば何とかしてもらえるかも」
アーシャ「待って下さい、北の森からサンバドル村まで最低2日はかかりますよ? 絶対間に合わないですって」
ハゲスルメマン「万策尽きたか……」
皆が諦めかけた中で、フレイアだけが自信に満ちた表情で地面に五芒星を描いていた。
フレイア「ここで、ボクの登場ニャンね」
足利義輝「解決策があると?」
フレイア「ボクは召喚師ニャンよ? 物が召喚できるなら、物の移動も可能なはずニャ」
アーシャ「そんな! もし変な場所に送り込まれたりでもしたら……」
フレイア「アーシャは心配性が過ぎるニャ。ボクがしくじるとでも?」
無茶苦茶な理屈であったが、今はフレイアのテレポートより他に得策はなかった。五芒星の中に、クラリスを中心に据えて四人が立ち並ぶ。フレイアは目を瞑り、サンバドル村の教会を思い浮かべた。召喚時とは異なり、空色の光柱が五人を底から照らし出す。両手を前に伸ばした猫娘が合図するかの様に呟いた。
フレイア「みんな、跳ぶニャよ」