第12話 狼男とエルフ
サラ「鍵なんか持ちだしてどうするか、だって?」
サラは顔を上げることができなかった。凄まじい殺気の風が吹き付け、肌にピリピリと微かな痛みを感じる。熟練の戦士でさえも凍らせるほどの殺気だ。発している相手は人間にあらず、魔族に違いない。灰色の毛むくじゃらな物体が視界の隅に入った。傍らには白いワンピースを着たエルフ族の少女がぴったりと付き添っている。毛むくじゃらがハードボイルドな声でサラに言った。
ジーク「このジーク様が、お前がどう死ぬかを『約束』してやろう」
ルーミア「ねぇねぇジークさん、『約束』って何ですがらったよ?」
ジーク「オレに聞くな。ここの奴らは決まって『約束』ってのをしたがるんだよ。ルーミアは余計なこと言わずに引っ込んでろ!」
ルーミア「はいですがらった!」
意味不明な語尾の少女は、肩まで伸びた金髪を揺らしてベッドに飛び込むとそのまま毛布にくるまった。ルーミアがベッドに潜ったのを確かめると、ジークは鍵を掴んだままのサラに向き直った。小麦色の拳で毛に覆われた胸をドンと叩く。
ジーク「女、今からお前をオレのモフ毛で窒息死させる。いいな!?」
サラ「モフ毛だと……!? 何だいそれは!」
ジーク「オレの胸に生えているモフモフした灰色の毛のことだ。こいつに顔を押し付けられた者は100%息ができずにもがき死ぬ!!」
サラ「ハッ、くだらんね。殺気だけは一人前だが、言っていることは青臭い」
殺意が薄れた瞬間を狙い、サラは体勢を立て直し侵入者を認めた。狼の耳と尻尾が特徴的な少年魔族だ。傷だらけのジーパンで隠れてはいるが、脚も狼のものらしい。獣人は舌なめずりをすると邪悪な笑みを浮かべた。
ジーク「そして殺した後はフランベルジュで体を切り刻み、ステーキにして食ってやる! 芽玉のシリアルも添えてなァ!!!」
ルーミア「双剣あるなら、最初からそれ使えばいいですがらったよ」
ジーク「だからお前は口挟むなっつうの! 寝てろや!」
ジークの言動を眺める内に、サラの精神は研ぎ澄まされた狩人のそれに変化していた。遭遇した当初は殺意の暴風に翻弄されてばかりだったが、今は違う。よくよく考えれば狼の耳がついているだけの子供ではないか。何ぞ恐れる必要がある。サラの表情に余裕を垣間見たジークは、咄嗟に壁にかけてあったフランベルジュを横に振り抜いた。しかし動きを見切っていたサラは華麗なバク宙で斬撃をかわす。その後も紅色の剣光が幾度なくサラに襲い掛かったが、全て虚空を斬るだけに終わった。息切れした狼男を放っておき、サラはドアへと向かう。
サラ「ははは、もう少し剣術の修行をしてから出直して来るんだね」
ジーク「甘いな女。オレが剣の技量のみに頼るとでも思っているのか?」
ジークの両眼がワインレッド色に光る。
鍵を差し込もうとしたサラの背中に、重い衝撃が走った。
サラ「がはッ……!?」
みしり、と肋骨にヒビの入る音がする。セレスの体当たりでも壊れなかった頑丈な扉に、蜘蛛の巣状の亀裂が入った。何をされたかなど振り返らずとも分かっている。飛び蹴りだ! 敵の脚力を甘く見ていた。室内にロープは一切見当たらなかった、つまり敵は窓を石で割り5mの高さを跳躍してきたことになる。
サラ「そういうことか、狼男!」
ジーク「ご明察痛み入るぜ。だがしかし! お前はここで空しく死んじまうんだよなァ~!」
圧力に耐えかねたドアが乾いた音と共に、バラバラに崩壊した。死の板挟みから解放された赤髪の女戦士は、反対側の壁に叩き付けられた。
セレス「きゃっサラさんが!」
ハルシャ「背骨が折れているけど、命に別状はないみたいだ。俺達は早く敵を片付けよう!」
セレス「え!? 本当に背骨折れてるの!? 嘘でしょ!?」
サラ「坊や、そいつと闘うんなら絶対に背中を敵に見せるんじゃないよ! あんたみたいなヒョロガリ、蹴られたらひとたまりも無いんだからね!」
呻く様な声でサラは叫び、自身の吐いた血の池に顔を埋めた。歴戦の狩人も屈服させる、必殺の蹴撃。ハルシャはサラの部屋に駆け込み、刀身が水晶でできた長剣を持ってきた。うつ伏せで気絶している女戦士にお辞儀をすると、剣を抜き放った。
ハルシャ「サラ……さんでしたっけ、すみませんが武器を借ります。弓が無いのが心許ないけど……」
セレス「あっ何してるんですか! 他人の武器を勝手に!」
ハルシャ「セレスもナイフあるなら加勢してくれ。魔族が人に危害を加えたんだぞ、大事になる前にきっちり殲滅するんだ!」
ハルシャの言葉に、ジークも両手に取ったフランベルジュを打ち鳴らして応じた。人間と魔族、相対する2人の間に静かな覇気の応酬が行われた。ジークの鋭い瞳がハルシャを見据え、ハルシャも負けじと睨み返す。再び丸眼鏡を落としそうになっていた修道女も、闘いの予感を本格的に感じたのか、今までの狼狽が嘘の様に動きをピタリと止めた。
ジーク「お前の肉は、どんな味付けで喰ってやろうか。そうだ、サンバドル村近辺の洞窟で採れる岩塩はどうだね?」
ハルシャ「フム、中々良いチョイスだ。岩塩が肉汁に溶け、塩辛さとコクの魅惑のハーモニーが生まれるだろうよ」
ジーク「……たわけた事を! 死ねィ!」
ジークが先に、自慢の脚力を活かしハルシャに風を切って肉薄した。振り下ろされた揺らめく炎の如き形状の刃を難なく受け止め、後方へ流す。蒼い火花と金属のぶつかり合う音が、戦場の熱気を更に高める。
ハルシャ「隙だらけだよ、きみ」
がら空きの脇腹に水晶剣を叩き込もうとしたが、下から迫るもう一本の長剣に阻まれた。狭い空間を物ともせず、踊り子の様に舞いながらジークは剣撃を巧みに繰り出す。急所を狙った技に気を取られ、決定打となる攻撃が出せない。僅かな焦りを覚えていたハルシャの脳裏に、ある妙案が思い浮かんだ。
ハルシャ「そうだ、俺には火属性の能力があったんだ。こいつの体毛はモフモフしているし、火焔魔法を応用して斬りつけてみるか」
ジーク「闘っている最中に独り言をぶつぶつ言うな! 気持ちが悪い!」
ハルシャは目を閉じ、その場で深呼吸した。かつて山羊に放った火焔の矢の感覚を取り戻すためだ。手に集めた炎の魔力を剣へと伝わせる。火の粉が弾ける音が、次々と折り重なって響いていく。気が付けば、ハルシャの周囲に渦巻く等身大の炎の柱が四本立っていた。柱から細い熱線が水晶剣の先端に伸び、龍の頭の様な形となる。異様な光景に狼少年は一瞬たじろいだが、すぐに双剣を逆手に持ち直した。
ジーク「ここで負けるわけにはいかねぇ。俺を斃した後、奴らはルーミアに手を出す。ルーミアだけは、ルーミアだけは何としても護らなきゃならねぇんだ」
ハルシャ「試し撃ちだ、ブレイズランス!!」
火竜が一直線にジークへと襲いかかる。想像を絶する速さに対処し切れず、ジークは防御姿勢を取ったが力で押し負けた。フランベルジュが車輪の様に回転し、床に突き刺さる。本人はサラ同様吹き飛ばされて部屋の壁に、身体をしたたかに打ちつけた。首を落とさんとハルシャが足を踏み出した時、彼の前に金髪のエルフが立ちはだかった。
ルーミア「やめて!」
懸命に両手を広げて嗚咽をあげながら訴えている。
ルーミア「ジークさんを殺さないでくださいですがらったよ……本当は良い人なんですがらったよ……」
ハルシャ「なんだって?」
ルーミア「部屋を占拠したのも森で行き倒れていた私を拾ってくれて、それで看病するために……」
ハルシャ「ああもういい、分かったよ。分かったから泣くな、こっちが悪者みたいじゃないか」
ハルシャは剣を鞘に収めると、緋色の髪をいじりつつセレスがどこにいるか探した。
ハルシャ「……セレス?」
ハルシャ「うわっ」
セレスはルーミアを抱きしめ、紅色に染まった頬をすりつけていた。
丸眼鏡が三たびずり落ちそうになっている。
セレス「ハルシャさん、この子すっごく可愛い~! 聖像にしましょう、聖像にして布教のお手伝いをさせましょう!」
ルーミア「ぐむむ、苦しいのですがらったよ。放してぐだざいでずがらっだよ」
ハルシャ「お前なぁ……」
エルフは立派な魔族だ。聖像にしては逆効果ではないか。可愛い物ならお構いなしのセレスに、ハルシャが呆れた視線を送る。じたばた暴れていたルーミアも観念したのか、両腕と頭を力無く垂らした。詳しい話を聞くため、ルーミアを連れて行こうとすると背後からジークの叫びが降りかかった。
ジーク「ルーミアに触るな! オレはどうなってもいい、だが少しでもルーミアを傷つけてみろ。ただじゃおかねぇぞ!」
威勢は良いが、身体が動かないのでさほど脅威には感じない。ハルシャはサラを、セレスはルーミアをそれぞれ背負い階下に下りていった。駄目だ、やはり人間共は魔族であるルーミアを殺す。直感でそう悟ったジークは必死に身体を動かそうとした。しかし、思う通りに動くはずもなく。
ジーク「畜生! オレがもっとしっかりしていれば、あいつを死なせることはなかった!」
エルフを奪われた悔しさと、非力な自分への情けなさ。
感情を抑えきれなくなったジークの拳が、古びた床を叩いた。