第11話 朝陽照らす教会
ーサンバドル村教会ー
空腹で目が覚めた。
思えば昨日、木の実すら口にしていなかった気がする。
ハルシャ「そうだ、俺は胸に傷を負ってここに運ばれてきたんだっけ……」
閉められていたカーテンを開き、暖かい陽光を全身に浴びる。肺の中の空気を窓から吹き込む新鮮な風と入れ替え、ハルシャは部屋を出た。あの眼鏡女に会えば話が進むかもしれない。裏庭では修道女・セレスが井戸の水を汲み、桶に移していた。木製の桶をみたす水が朝陽を受けて煌き、まるで大量の宝石が湖面をたゆたっている様にも見える。
セレス「あら、ハルシャさんもう起きてらしたんですか」
声をかけるとセレスは水を汲む手を止め、指で丸眼鏡を押し上げながら淡々と答えた。一般的に優しい、慈悲深いと思われている修道女には凡そ考えられない態度である。食べ物の代わりに強烈な眼光を食らったハルシャは、気圧されたのか肩を竦めた。
ハルシャ「あ~大変言いにくいのだけど、俺の飼ってる虫が煩くてなぁ。グルグルグルグル、腹の中で羽を震わせるんだ。グルグルグルグル……」
セレス「ほぅ、だから鎮めてくれと?」
セレスが修道服の袖に小刀を閃かせたのをハルシャは目撃し、必死にかぶりを振った。
修道女はため息をつくと、紺色の髪をかき上げた。
セレス「朝食はまだ出来ていません。台所にハーブクッキーがあるのでそれでもつまんでいてください。それから、回りくどい言い方は控えるように」
重い桶を両手に、セレスはよたよたと千鳥足で教会の台所へ歩いていった。生まれたての子鹿の如き足取りだ。あの調子では転んでしまうのではないのだろうか。
ハルシャ「手伝おうか?」
セレス「病み上がりの人間に、重労働は、出来っこありませんよ! ぎゃっ!」
案の定ひっくり返った。
ハルシャ「ほうら、言わんこっちゃない」
桶を運び終えた後、食堂のテーブルに向かい合わせで座ったセレスとハルシャは、白いパンを魚のシチューにつけて頬張っていた。
セレス「そうそう、部屋の件ですがね。神父様から許可が下りましたよ。しっかり約束して頂けました」
ハルシャ「ありがとう、神父様によろしく伝えておいてくれ」
隣の皿に山積みになっているボンバーソーセージの蒸し焼きをわし掴み、皮を剥く。何かの目玉が大量に入ったシリアルをスプーンですくい、口に運ぶ。鯖缶を素手で強引にこじ開け、その中身を音を立てながら啜る。セレスの食欲は賞賛に値した。対してハルシャと言えば、食卓に並んだわりかしグロテスクな料理にどれから手を付けるか悩んでいる。
ハルシャ「しかし、不思議だなぁ」
修道女のセレスがずぶ濡れのまま卑しい食べ方をしていたりと突っ込みどころは多々あるが、特に奇妙だったのは異常なまでの人気の無さについてであった。結構な数の長テーブルが奥まで続いているにも関わらず、現在食堂には2人しかいない。神父もいないようだ。
セレス「みんな、今日は休みなんです。私はまだ下働きですから、こうしてあなたの相手をしなきゃならないんですけどね」
ハルシャ「神父様は?」
セレス「神父様なら今、村の首脳会議に出席中ですよ。各ギルドに割り当てる支給金のことで舌戦を繰り広げてる真っ最中かと」
セレス「さてと」
セレス「朝食も終えたしぼちぼちお部屋に案内しましょうかね」
ハルシャ「おう、よろしく頼む」
セレス「言っておきますが、素性の知れぬ異邦人に部屋を貸すなんて異例中の異例ですよ。神父様と私の慈悲に感謝しなさい」
ハルシャ「はいはい」
急な階段を上り、旅人を泊めるための客室フロアに到着した。天井や壁など至る所が苔むし、清潔な外装からは想像もつかないほど汚く、狭い廊下であった。その一番奥にある個室がハルシャにあてがわれた部屋だという。ドアノブを掴んだセレスが眉を顰めた。
セレス「ん……? この扉、全然開かない! 建て付けが悪いわけでもないのに!」
押しても引いてもびくともしない。どうやら内側から鍵がかけられている様だ。夜中の内に誰かが教会に侵入したのか。ハルシャの問いにセレスは血の気が失せた顔で答えた。
セレス「いいえ、教会の扉は夜間全て施錠すると神父様が『約束』されましたので外からは絶対入れないはずです。そう……」
セレス「窓を除いては」
地上からハルシャの部屋まで、見積もって5mほどある。鉤爪でロープを縁に引っ掛けるか、ジャンプして飛び込むか。前者ならタチの悪い盗賊、後者なら魔族だ。
ハルシャ「もし魔族だったら、大問題だよな。教会に魔族が巣食うなんて聞いた日にゃ、権威なんて瞬時に消し飛ぶぜ」
セレス「ひ、他人事だと思って余裕ぶっこくな!」
兎にも角にも、扉を開けねば意味がない。勇敢な修道女は、丸眼鏡が落ちるのも厭わずドアに体当たりをかましている。
セレス「開けてください! 教会の者です、勝手に客室を占拠なさらないで!」
セレスが声を張り上げ拳を振るっていると、隣の部屋からハルシャと同じ緋色の髪を持つ女性が顔だけ出して叱責してきた。
???「あぁもう朝から喧しいね! こっちは寝てるんだよ、シスターならもっとおしとやかに振る舞いな!」
セレス「さ、サラ様……! 申し訳ございません、仮にも聖職者である私が冷静さを欠いてしまいました……」
サラ「分かりゃいいんだよ。それよりさ」
サラはモズの巣の様に乱れた髪を軽く整え、寝巻きのまま姿を現した。ハルシャより頭一つ分くらい背が高い。女性の割に筋骨たくましく、いかに激しい死線を潜って来たかを示している。
サラ「何か困っていることでもあるのかい? あたしで良ければ相談に乗ってやるよ」
廊下に落ちていた丸眼鏡を拾い、セレスに渡す女戦士・サラ。開かずの扉の前に立つと、セレスと同様ドアノブを握りため息をつく。
サラ「こりゃまた災難だね、すぐに解決してやるから待ってな坊や」
坊やという言葉が自分に向けられたものだと悟りハルシャはむっとしたが、この状況ではサラに任せるしか他に方法がないので大人しく頭を下げた。
サラ「んじゃ、いっちょやりますか!」
サラは両手の拳を突き合わせ、目を閉じた後呪文を詠唱し始めた。するとなんということだろう。サラの足が、腰が、胸が、首が背景と同化し消えていくではないか。そしてとうとう彼女の全身が、ハルシャの目前から忽然と姿を消してしまった。
ハルシャ「サラさん、あんたの能力は透明化か。なるほどこれならドアをすり抜けることが可能だ。やりおるぜ……」
ハルシャがブツブツ独り言ちている間に、サラは部屋の中へ足を踏み入れた。粗末な寝台が一つ、壁際に横たわり日向ぼっこをしている。小さな丸テーブルの上に、鎖のついた鍵が置いてあった。物音をたてないように細心の注意を払い、手を伸ばす。
サラ(獲物はこれか……見た感じ誰もいないし、チョロいもんだね)
鍵を手にした瞬間、不機嫌な重々しい声と無邪気な少女の声が同時にサラの耳を貫いた。
???「そこの女、鍵から手を離せ。いることは分かっているんだぞ」
???「おばさん、鍵なんか持ちだして何するんですがらったよ?」