羨ましくなんてない
「――ゴ、ショウゴ!」
あまりに現実が遠すぎて、肩をゆすられているのだと気づいたのはしばらく経ってからだった。多少気を失っていたのかもしれない。
「大丈夫、ショウゴ?」
メグナは泣きそうな表情でこちらの顔を覗き込んでいた。
「メグナ……僕……」
「怪我してるじゃない、手当てしないと」
「メグナ……」
「……泣いてるの?」
涙はこぼれていなかった。それでも何か感じるところはあったのだろう、メグナは優しく頬を撫でてくれた。
「メグナ、僕は、僕の能力は……!」
言葉が堰を切ったかのようにあふれ出した。話し続ける間中、メグナは静かに聞いていてくれた。
「そっか……そんなことが」
「メグナ……」
「何も言わないで」
額に、メグナの額がこつんと当たった。
「まずはあれをなんとかしないと」
彼女は顔を上げて、それを見据えた。上空、遠くに人影があった。おそらくはクリューブスだろう。
「ここで待ってて。ぎゃふんといわせてくる」
「でも」
「それで、後でピクニックの続きしよ。約束だよ!」
メグナはそれだけを言うと、一直線に敵へと向かっていった。たった一人で。
省吾は言葉もなく座り込んでいるしかなかった。もう自分に力は残されていない。だから、できることは何もなかった。
ここまで何とかやってきたのに。やるせない思いが胸を押しつぶす。せっかくみんなの役に立てるようになって、できることも増えてきたのに。逆戻りだ。それどころかむしろもっと悪い方向に行ってしまった。心がぽっきりと折れていた。
もうできることは何もない……
「そう、かな……」
どこからか、かすれた声がした。
ゆっくりと顔を上げて見回すと、アガタが半ば砂に埋まるように倒れていた。
「アガタさん……」
彼は瞑目し、死が間近に迫った者の顔だったが、最後に言葉を残す力はあるようだった。
「本当にできることは、何もない……?」
「……僕の能力はなくなりました。というよりもともと敵から与えられたものでした。僕には何の力も残ってないし、あったとしても何かする資格はない……」
「君が、本当にそう思うなら……そうなんだろう」
彼は乾いた咳をしてから、でも、と言葉を続けた。
「でも違うはずだ」
「違う……?」
「メグナは今、心細いだろうね」
アガタは目を薄く開いて上空を見た。その虚ろな視界に彼女が映っているかは怪しかったけれど、彼は言葉を続けた。
「今までみんなで向かっていた強大な敵に、一人で立ち向かわなきゃいけないなんて、怖いだろうね……」
「何が言いたいんです?」
「はは……もう一回聞くよ。君にできることは、本当の、本当に、何もない?」
心に一つの答えが浮かんだ。
「もし君にその気があるのなら、力を託すよ。ほんの小さな力だ。多分それだけじゃ何の役にも立たない。でも、託すよ」
ウィローヌ市の魔人は、そう言い残して、息を引き取った。
◆
単純なことだった。メグナのいるところに向かって、アガタに託された力で飛びながら、省吾はうなずいた。考えていたより、物事はもっと単純だった。
自分にはもう力がない? 関係ない。
敵の力を使い、敵に益してしまった自分には一緒に戦う資格はない? そんなことはどうでもいい。
今、何よりも大事なのは。
「メグナ!」
大声で呼びかけて隣に滑り込んだ。力が尽きるすんでのところで彼女の手にしがみついて、体勢を維持する。
「ショウゴ?」
メグナは当然だが驚いたようだった。
「どうしてここに……」
「メグナ」
省吾はしっかりと彼女の目を見て、言った。
「僕も一緒にいるよ」
メグナは戸惑ったようだ。瞳が揺れるのが見て取れた。
省吾は言葉を続けた。
「もちろん邪魔だったら下がって見てる。足手まといは僕も嫌だ。でも……メグナの手、震えてる」
そして冷たくこわばっている。
「もう僕には力はないけど、最後まで一緒にいることはできる。だから、一緒にあいつを止めよう。ぶっ潰してやろうよ」
その時省吾は、メグナが泣いたように思った。けれど彼女は一滴も涙をこぼさなかった。ただ、軽く、ほんの一瞬、省吾を抱きしめて、それから瞳の光を強くしてうなずいた。
「うん!」
◆
メグナと一緒に高度を上げていくと、クリューブスとの距離が詰まっていった。だが、見える距離まで来て、それ以上は近づけない。
「不思議かい? 別に大したことじゃないさ。絶対的な孤独とはこういうことだ」
クリューブスの言葉に省吾は問い返した。
「孤独?」
「そうだ。この街の特殊性、宝玉とそれに伴う結界とは、すなわち拒絶と孤独だ。リッカーは孤独への抵抗などと唱えていたようだが……この街の本質と全く矛盾していたといってもいい」
「……」
「そして孤独とは唯一なる絶対だ。それを手に入れ取り込んだ僕は、完璧なる絶対者だ。もう誰も、何も僕を邪魔できない」
愉悦の混じった目で笑ってから、彼はふと思い出したかのように言葉を続けた。
「そういえば、どこかの異世界人もその世界で孤立した人間だったらしいな」
「みたいだね」
「僕の孤高が羨ましいか?」
「いいや」
「そうか」
クリューブスは興ざめしたように言った。
「じゃあ、さよならだ」
強大なプレッシャーが上から降ってきた。
◆
轟音と強風と激震と閃光と。
何が何やら全くわからない。だが右手にはメグナの手の感触があった。彼女は戦っている。それがわかるだけで勇気がわいてきた。
『僕の孤高が羨ましいか?』
そう聞かれて否定した時、あれは間違いなく強がりではなかった。省吾は彼のいう絶対者としての孤高が全く羨ましくなかった。
確かに力のない孤独は惨めだ。自分のは孤高などではなく世界につまはじきにされた末の孤独だ。だがそれでも孤独ではないということを知ってしまったのだ。
言葉の乱暴な、でも面倒見のいい獣人がいた。やることなすこと訳の分からない、それでも楽しい妖精がいた。何を考えているのかいまいちわからない、いまでもやっぱりわからない魔人がいた。そして優しい少女がいた。
でも何より、省吾にはわかっていた。彼は、クリューブスは――
(どう見ても死にそうなほど一人ぼっちなんだ……)
羨ましいと思えるはずもない。
メグナの手を握ると、彼女は魔法を防御から攻撃へと変えたようだった。
上空からの圧迫感を、白い光が切り裂いた。




