最後の始まり
その日は気持ちよく晴れたピクニック日和だった。空の高いところまで抜けるように青く、そこを鳥が飛んでいくのが見える。それを眺めるのに気を取られてぼーっとしていると、後ろからメグナの声がした。
「ショウゴ、敷物広げるの手伝って!」
街の一番高台にあるこの丘は、今日は風が強かった。昨日の準備の段階で、明日の天気の具合だと少し厳しくないかという話だったのだが、メグナとシャールが頑として譲らなかった。まったく女ってやつは、とはカッサムのぼやきだ。
とにかく敷物を敷いて重しを置き、腰を落ち着けると、シャールがふよふよと漂ってきてぼんやりとうめいた。
「うーん、いまいちぱっとしない眺めだよねえ」
ここからは街が一望できる。省吾には特に問題なくいい眺めなのだが、シャールはいつも通り何かが気に入らないらしい。
「何? また変なこと言ってる?」
メグナのうんざりした声が飛んだ。
「違うよ違うよ、言ってないよ変なことなんてー」
「今さらやめてよ? わたしたち共犯なんだし」
「あたしなんも悪いことしてないよ? メグナなんかしたの?」
「わたしだってしてないよ。ピクニックはわたしたちがいいだしっぺってことよ」
「じゃあショウゴが悪い」
「いやなんでさ。僕が一番無罪じゃないか」
顔をしかめて否定するのだが、後ろからの声に否定された。
「ハッ! 自分が一番潔白だと信じてる奴ほど真っ黒いって、このガキは知らねえんだろうかね」
振り返るとカッサムがなにやら瓶の中身を飲み干して脇に転がしているところだった。そして、おいボウズ、と膝を打った。
「いいかボウズ。世の中の大抵のことってのはな、逃げようとすれば追ってくるもんなんだよ」
「……それと僕の罪と何の関係が」
眉を寄せると、カッサムはギャハハと品のない笑い声を上げた。
「逃げようとしてる奴は悪党! そういうこった!」
……酔っぱらっているらしい。彼の飲んでいるのは省吾のいた世界でいうノンアルコールビールレベルに低アルコール度数のはずなのだけれど案外下戸なのか。
酔いどれに言い返すことは諦めて再び街の全景を眺める。相変わらずに強い風が服や髪を引っ張るようにして吹きすぎていった。
「班長、遅いねえ」
隣に来たメグナがつぶやく。
このピクニックは、主にアガタの回復を目的とした特務班の息抜きだ。彼が来ないことにはその目的の半分も達成できない。まあ一応建前上はそうなる。
とはいえ、このピクニックに来たところでアガタが元気になるとは思えないし、もしかしたら彼はすっぽかすつもりなのかもしれない。
「まあ班長が来ないなら来ないでいいけどね」
「そう?」
「こんなに騒がしいんじゃ静養にはならないもん」
後ろから聞こえてくるたった二人の馬鹿騒ぎの気配を示して彼女は苦笑した。
「それよりか、わたしはショウゴとここにこれてよかったよ」
「え?」
メグナはちらと笑ってそこから見える景色を示した。
「ここ。わたしが好きな場所。高いところからの景色は見慣れてるけど、ここからの眺めが一番いい! ショウゴには絶対見せてあげようって決めてたんだ」
そこで彼女は少し間を置いた。
「……あとどれくらい一緒にいられるのか、わからないし」
「……そっか」
確かにその通りかもしれない。唐突にこの世界に来たのだから、唐突に離別することにならないとも限らない。
「だから……思い出はしっかり作っておかないとね」
先ほどからの強い風とは違う、弱くてどこか寂しげな風が吹いた。メグナの髪を揺らして、省吾の背中にパラパラと当たった。
日差しはあるのに少し寒かった。襟元を押さえていると、肩に軽く重みがのしかかった。
「……メグナ?」
「ごめん。ちょっとだけこのまま……」
横目で見るメグナの顔は紅潮していた。表情は柔らかくゆるみ、目元は潤んでいる。
「ショウゴ……」
「メグナ」
省吾は半眼で言った。
「ねえメグナ、もしかして酔ってる?」
脇に小さな空瓶が一本、ぽつんと転がっていた。
「あれれーあたし特製のうっとりねっとり薬がないよー」
そんな妖精の声が聞こえてきたりもしたが。
(まあいいか)
しばらくはこのままにしとこう。そう思った。メグナの言葉を借りるなら、あとどのくらい一緒にいられるのかわからないのだから。
やはり少しばかり肌寒い。上空で鳥が細く高い一声を上げた。
それを合図にしたわけではないのだろうが。その瞬間地を揺らす爆発音が響き――最後の戦いが始まった。
◆
前々からの予定通りピクニックをすっぽかしていたアガタは、風が吹きすさぶ中、椅子から立ち上がった。見上げる先に天井はない。風が強いのはそこから吹き込んでいるからだ。
「来たか」
囁くように言うと、視線の先の少年は面白そうにうなずいた。
「とりあえずの準備は整ったからね」
ということはだ、とアガタは計算を巡らした。今回のクリューブスは、いつものように逃げる方に重心を置く戦い方は取らない。
(殺し時だ)
自然、視線が鋭くなるのを感じる。クリューブスはひるむことなく尊大に笑って見せた。
「そういうこと。頑張ってね」
アガタが床を蹴るのと、クリューブスの背後から影が染み出すのとは同時だった。
◆
守護隊庁舎のあたりから煙が上がっているのが見えた。それと同時、省吾の横を風が吹き抜けた。
「カッサムさん!」
先ほどまでは完全に酔っぱらっていたはずなのだが、一番に動き始めたのはやはりというか彼だった。すぐに背中が見えなくなる。
「メグナ、シャール、追おう!」
「でもこれなんとかしないとー」
「うにゃあー……」
「ああそうだった!」
立ち上がろうとする省吾にまとわりつくメグナは、カッサムと違って全く正気ではないようだった。
「シャール、これどうすれば元に戻る!?」
「さあ……時間置けば大抵我に返るけど」
「そんな曖昧な!」
何とかメグナを立たせて丘を下りるコースをたどる。あまりにのろい歩みにじりじりとした焦りが積もった。
「メグナ! しっかりしてよメグナ!」
「えへへー……」
その時さらに地響きが轟いた。見ると図書塔跡地の工事現場から土煙が上がっていた。資材か何かが倒壊しているのも見える。
「まさかあっちも……」
つぶやくのと同時に体が宙に浮いた。
「メグナ?」
「あーもーうー。頭がぐるぐるする……。シャール、あなたのせい?」
「人聞き悪いよ。勝手に飲んだのメグナじゃん」
「だってジュースにしか見えなかったんだもの」
「じゃあ今度からはこれジュースに見えますが本当にジュースですかって聞くべきだね」
「シャールは握り潰していいように見えますが駄目ですか?」
「僕に聞かれても……」
言っている間にもメグナの力によって工事現場は近づいていた。
最近ようやく残骸が取り除かれきるかどうかといったところだったようだ。そのあたりの土地がきれいになっていて、今は地盤調査か何かをしていたらしい。もちろん図書塔の根元の部分も残っていて、煙が上がっているのはそこだ。
「守護隊庁舎の方は大丈夫かな」
「カッサムさんと班長がいればなんとかなると思う。それよりこっちをなんとかしないと」
メグナは図書塔の周りに組みあがっていた鉄骨のあたりに視線を注いだ。何かを待つように上空に留まる。
「メグナ?」
「……来る!」
その声と同時に鉄骨の一部が崩落した。そして、攻撃が襲ってきたのはその反対方向だった。
「くっ……」
死角から飛んできた鉄骨を、メグナは何とか受け止めた。展開した防御壁が嫌な音を立てた。
「メグナ!」
省吾はさらに反対側、つまり最初に鉄骨の崩落が起きた方向を指さした。そちらからもいくつも風を切って迫るものがある。
メグナが息を詰める気配がした。
防御壁はいくつかを受け止め、いくつかをいなし……それからいくつかに破られた。体のすぐそばをかすめる殺人的な気配に、省吾は肝を冷やした。
鉄骨はまだまだ飛んでくる。
「このままじゃ……いったん降りるよ!」
攻撃をかいくぐって大きなコンテナの陰に降りる。図書塔の跡からは距離があり、何とか身は守れそうだ。
「わたしは飛び込んで敵をおびき出す! 二人は身を守ることを優先して!」
「分かった!」
「あいあーい」
呼吸を計って飛び出していく彼女を見送って、省吾はコンテナに背中を預けた。
その肩にシャールが腰を下ろしてため息をつく。
「あーあ、ピクニックが台無しじゃん」
「まあ仕方ないと思うよ」
「仕方なくないよー。ピクニック、大事なのに」
「そうかな」
「もう戻らないかもしれない時間、大事にしないと後悔するよ?」
「……その瓶、何?」
聞かれてシャールはにやりと笑った。いつの間にやら抱えていたその瓶を開けて、彼女は省都の足元にぶちまけた。
「うわ!」
途端、その場所から透明な針がいくつも飛び出し、省吾の顔をかすめて頭上を貫いた。見上げるとその先に何かが串刺しになっている。土を粗雑に人型にまとめたような外見。
「……傀儡!」
シャールがどこからか取り出したハンマーで透明針を砕くと、傀儡は支えを失って落ちてきた。
省吾がそれに触れ、敵はぼろりと崩れて力を失った。
「……まあこんな感じでさ、もしかしたら今死んでたかもしれないし。その瞬間瞬間を大事にした方がいいよねって、そういうこと」
「……」
省吾は少し黙ってから。
「……それ誰の受け売り?」
「メグナがよく言ってる」
へへ、と笑ってシャールはさらに瓶を取り出した。今度は二本。
「行くよ、ショウゴ!」
その声を合図にコンテナから飛び出すと、敵の姿が視界に映った。茶色い人型が三体。どれも鉄骨なり鉄の棒なりの資材を武器として持っている。傀儡たちは、省吾の姿を認めると、一斉に動き出した。互いに邪魔にならない位置取りで、一気に殴りかかってくる。
(くっ……)
後ろに跳びながら焦りを覚える。こちらが退く速度より相手のそれの方が上だ。
眼前に迫った鉄の凶器が――省吾の頭をかち割る寸前でそのコースを逸れた。
「え?」
見ると、その足元をスライムのような粘性の何かがからめとって封じている。
シャールの方に目をやると、彼女が得意げに空の瓶を振っているのが見えた。
「吸着合体べっとり君だよ。研究室に余ってるけど、いらない?」
とりあえずそれは無視して敵に向き直った。無力化するためには近づく必要があるが、相手は武器を持っている。
と、その武器も、さらにもう一体現れたべっとり君とやらが巻き上げた。
「どやー!」
得意げなシャールに苦笑いしてから、図書塔の方に目をやると、ちょうどメグナが歩いてくるところだった。
「こっちも終わったよ。ショウゴ、傀儡の処理をお願い」
◆
守護隊庁舎に飛ぶと、建物はかなり損壊していた。完全に崩れ落ちた箇所もあり、砕片の埃がもうもうとたっている。今のところ被害は敷地の中だけにおさまっているようだが、隊員の避難はまだ済んでいないらしい。
「シャールはあっちの手伝いに行って!」
「りょーかい!」
飛び去る妖精を横目に、いまだ轟音の響く方向を向く。おそらくそちらで戦闘は続いているのだろう。
訓練場まで来たところでその様子が明らかになった。
巨大な傀儡がその腕を振り下ろす。アガタはすんでのところでそれをかわした。あまり余裕はないらしく、反応は鈍いように思えた。
「アガタさん!」
省吾が叫ぶと、彼は肩越しに振り返った。ちらと笑って手を挙げて見せる。
「やあ、よい日和で」
「あいつは?」
メグナが聞くとアガタは肩をすくめた。
「まあ見ての通りさ。前に見た巨人型とほぼ一緒だね。ただ厄介なのはあれは妙な鎧を身につけていることだ」
「カッサムさんは?」
「さっきやられた。多分そこらに落ちてるよ」
傀儡が突進の構えを見せた。メグナが衝撃波を放って牽制するが、全く効かない。体当たりをなんとか避けるとアガタが言葉を継いだ。
「あの鎧は傀儡の身体とは別の何かでできているらしい。僕の時空魔法も通じないしその他の攻撃も効果がない」
「そんなのどうすれば……」
「こうする」
アガタは懐に手を入れると、色鮮やかな蛇を取り出した。ぎょっとして見やると、何か記憶に引っかかるものがある。
「錠解き蛇……?」
「当たり!」
錠解き蛇が敵に向かって一直線に跳んだ。封してあるものを何でもかんでも開けたがる蛇だ。敵の鎧に触れた途端、その錠を解いて鎧を剥いだ。
今だ、と思った。攻撃のチャンスだ。が、同時に背筋に冷たいものが走った。
目を潰さんばかりの光が敵の鎧の下から放たれ、こちらに向かって飛んでくる。かろうじてメグナは回避に成功してくれたが、威力に振り回されて目が回った。
(なんだ!?)
ちかちかする目を凝らすと、傀儡の肩のあたりに何者かが座っているのが見えた。
「いやあ、これだけ上手くいくと、ちょっと怖いくらいだね」
「クリューブス……」
赤い長衣の少年は、錠解き蛇の首根っこを押さえて優雅に笑っていた。
「しばらくぶり」
そして傀儡の肩から浮かび上がる。
「道具は手に入った。では失礼するよ」
彼が飛び去る方向には覚えがあった。確か、傀儡廃棄場だ。
「まさか……」
「傀儡の封印を解く気だ」
アガタはそう言うと、即座に状況に対応した。省吾の襟首をつかんでメグナから引き取ると、クリューブスを追う方向に進路を取った。
「メグナ、あの傀儡は任せた! 僕たちが戻るまでもたせてくれ」
「分かりました!」
声とともに、メグナは敵の目の前へと飛び出していった。
「おおおおおおお!!」
傀儡の背後からも雄叫びが上がり、ボロけた恰好ながらも勇ましくカッサムが跳びかかっていく。
省吾はそれだけを確認すると、行く手に視線を据えた。
◆
傀儡廃棄場は静かだった。守護隊庁舎の騒動の気配は遠く、ひっそりとした気配しかそこにはなかった。
隣のアガタに声をかけようとしたがそれは手で制された。黙って歩き出す彼に続く。周りは前と同じく砂山ばかりで、殺風景この上ない。が、進んでいくと、その中に一つだけ崩れて形が変わっているものがあった。
何かがその中から這い出した跡に見えた。
「あと一歩なんだ」
背後から声がして、省吾は振り返った。クリューブスは首をかしげるようにしてそこに立っていた。
「あと一ピースだけ揃えば全部が僕の思い描いた通りになる」
「揃いそうなのかい?」
アガタがつまらなそうに問うと、クリューブスは小さく首を振った。
「いや、まだ。でも、もうすぐ」
同時に右の方向からざわりと殺気が膨らんだ。
アガタが飛び出してそれを受け止めた。敵は節くれだった足を何本も生やした、虫のような外見をしていた。ただし大きい。蜘蛛のような胴体だけでも人間の頭以上の大きさがある。
「時断絶!」
敵の動きが止まる。同時に飛び出した省吾が触れると、傀儡は崩れて消え去った。
「次」
クリューブスの言葉とともに次々と傀儡は襲いかかってきた。
剣と槍の塊のようなもの、牙の生えたミミズのようなもの、植物型のもの。最初の一体と同じように対処していったが、アガタの顔色は目に見えて悪くなっていった。
荒い息をつくアガタの横につきながら、省吾は不安を膨らませていた。
(このままじゃまずい……)
猪のような形をした傀儡が飛び込んでくる。アガタが同じように時空魔法で動きを封じる。が、術が甘いのか完全には止まり切らない。省吾は敵に触れようと手を伸ばした。
同時、クリューブスが指を鳴らした。
(……!?)
省吾の手は敵の突進に弾かれた。油断していたアガタは、その牙に貫かれて鮮血をほとばしらせた。
「――アガタさん!」
倒れ伏したアガタを抱える。完全に土気色の顔をした彼は、ひゅうひゅうと細い息をついていた。
「なんで、能力が……」
「そりゃ僕が使うのを禁止したからね」
「そんなことできるわけ……!」
「あるよ。だって君は僕が異世界から召喚して能力を与えたんだから」
にわかには意味が呑み込めなかった。
「……え」
「僕はこの街の宝玉が欲しかった。でもそれを守っているアガタという魔人は強力だった。だから彼を油断させて排除するために君のような人間が必要だった」
「そんな……」
じゃあ、と省吾はつぶやいた。じゃあ、ぼくは一体なんだったんだ……?
「さあ? まあ役目はもう終えたんだから下がってるといいさ」
クリューブスが腕を振った途端、省吾は勢いよく吹き飛ばされた。柔らかい砂山に突っ込んで怪我はなかったものの、ショックは大きかった。
(僕は……僕は結局……)
「ウィローヌの宝玉は厳重に守られているということだったが、僕の出現以降はその守りはさらに厳戒を極めたという。その中心人物がラゥル・イ・アガタ。専門分野は時空魔法。ならばきっと宝玉もそれによって封じている。この弱った状態ならこの錠開け蛇でも開けられる」
言葉と共に光が溢れた。クリューブスの小さな歓声が上がったが、省吾はそれどころではなかった。何が何だかわからなくて……そして何もかもがどうでもいいような気がした。
クリューブスがいつの間にかいなくなってからも、省吾はぼんやりとまとまらない思考をかき混ぜていた。




