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罠の中に輝く希望

 クリューブス。強力無比な魔法使い。結界を生み出す宝玉を狙って、ウィローヌ市に傀儡と呼ばれる怪物をたびたび送り込んできた人物。特務班の大敵。そんな奴が――


「なんでここに……?」


 慌てて立ち上がりながらうめく。身構える省吾に対して、クリューブスはゆったりと腰かけたままだった。


「手持ちの道具の様子を見にきた」

「……?」


 何のことだかわからない。


「お前の事だよ、竹内省吾」

「僕……?」


 クリューブスはそれ以上は言わなかった。もう何も言わないのかと思ったほどさらにたっぷり間を置いてから、彼は話の向きを変えた。


「水鏡メグナは元気かな」

「いいや」


 視線を鋭くして省吾は答えた。そして同時に確信した。クリューブスはメグナの現在を知っている。彼女の異常はきっとこいつが、こいつの傀儡が原因だ。


「彼女に何をした。答えろ」


 そして彼に詰め寄ろうとするが、手で制された。妙に逆らいがたい身振りだった。


「説明する。そう急かさないでくれ」


 ため息を一つついてからクリューブスは背もたれから身体を起こした。頬杖をついて、中庭の片隅にある池にすい、と視線を移した。


「君たちを襲った傀儡。あの傀儡はね、細かい、本当に小さな虫の集まりのようなものなんだ。どんな防御も通り抜ける小ささで、相手に忍び寄り、体内に浸透し侵入する」

「体内に、侵入……」

「そうなったら後は生かすも殺すも自由だ。脳の一部を壊すのもいい。心臓の血管をちぎってしまうのもいい。そうして殺された犠牲者のことは知っているだろう? 君たちが変死だと思っている彼ら彼女らだ。大した戦闘力を持っているわけではないけれど、そういう意味で恐ろしい一体だよ」


 それを聞いて省吾は頭から血の気が引くのを感じた。もし本当ならば省吾の能力が届かない。脳や心臓に手を突っ込むわけにはいかないからだ。


「そう、体内に触れるのは容易ではない。切り開いて突っ込むにしろ、傀儡の位置もわからないのに彼女にむやみな負担をかけるわけにもいかない」

「ぐ……」

「さあどうする?」


 池に目をやったままクリューブスが笑った。馬鹿にした含み笑いだった。


 かっ、と頭が熱くなった。省吾は相手が何者かも忘れて思わず殴りかかった。たとえ不可能だろうと、殺すつもりで拳を叩きつけようとした。しかし。


 強く突き飛ばされるような感触の後、省吾は地面を転がっていた。あちこちをすりむき打ちつけようやく止まる。痛みでしばらくは顔を上げることすらできなかった。


「道具が使い手に逆らっちゃいけないよ」


 足音が近づいていた。見上げると、クリューブスがゆっくり歩み寄ってくるところだった。

 だから道具って、どういう意味なんだよ。そう問いたくても口は震えるだけで動いてくれなかった。


「いいことを教えてあげよう」


 クリューブスは膝をつき、省吾にかがみこんだ。


「ラゥル・イ・アガタに助力を乞え。僕が言ったことを伝えて、何とかしてもらうんだ。彼ならメグナを救えるよ。僕が保証する」


 そして立ち上がり、踵を返した。


「それじゃあ頑張って。応援してる」


 どこかへと歩き去っていく背中に省吾は短くうめいた。


「何が、狙いなんだ……?」


 その問いへの答えはなかった。



 長い間考え込んでいたアガタがようやく顔を上げた。


「どうにも、奇妙だな」

「だよな」


 カッサムがうなずく。その顔には不可解の色がありありと浮かんでいた。

 メグナの病室だった。広い部屋だが特務班の全員がそろうとさすがに手狭に思えた。


 メグナの額に何個ミカンを積み上げられるか試しているシャールから目を離し(さっきのことがあったのであまり強くやめるように言うことはできなかった)、省吾はアガタの方に目をやった。


「僕もそう思います。わざわざ僕に傀儡のことを教えるのはおかしいです」

「その通りだ。手の内を明かす理由が彼にはない」


 アガタは顎に手を当てた。


「嘘か、それとも何か狙いでもあるのか」

「これはボウズを疑って訊くわけじゃないんだけどよ」


 不意にカッサムが声を上げた。


「本当に疑うわけじゃないんだが。いやマジで」

「……早く言ってください」

「クリューブスの野郎と会ったっていうのは本当に本当なのか?」

「疑ってますよねそれ」


 かぶりを振ってため息をつく。


「本当ですよ。前に顔見ましたからわかります。人違いってことはないと思います」

「白昼夢とか……」

「とことん疑いますね!」


 やけくそになって言い返すが、カッサムの顔は大真面目だった。


「お前、最近疲れてたからよ、そういうなんつーか都合のいい夢でも見たか、都合のいい嘘を自分についたかとか思っちまってよ」


 どうやら心配させてしまっていたらしい。ばつが悪くなって省吾は頭を掻いた。


「……なんか、すみません」

「で、本当に本当なのか?」

「もういいでしょうが!」


 どっと疲れたような気がしてがっくりと頭を垂れた。

 と、考えこんでいたアガタが再び口を開いた。


「……クリューブスは僕に助けを乞えと言ったんだったね?」

「あ、はい。どういう意味かは分からなかったんですけど……」


 彼はふうむ、とうなった。


「もし、クリューブスの言った通り、メグナの体内に傀儡が入り込んでいるということなら、だけど。確かに打てる手はあるよ」


 省吾ははっと目を見張った。


「本当ですか……!」


 心に光が差した。ただ、表情を明るくする省吾をとは反対にアガタの表情は暗かった。

 怪訝に思って省吾が目で問うと、彼は気が進まないという口調で、


「あまり期待はさせたくないんだ。期待しすぎると余計に辛くなることもあるから」


 と言った。

 省吾は呆然としてアガタの顔を見上げ、それからメグナに目をやった。

 ちょうどシャールが、十個のミカンタワーをメグナの額に完成させたところだった。



 それから一時間後、病室には省吾とアガタが残っていた。メグナの枕元に立ちながら省吾はアガタに目をやった。ベッドを挟んで反対側に立つ特務班班長は、こんな時にも感情を動かしていないように見えた。

 彼が一時間前に言ったことを思い出す。


『メグナを救うためにできることは今のところ一つ。僕の魔法と君の能力を使って彼女の体内の傀儡を除去するんだ。今のところ一つというのはつまり、今の状況ではこれしかできないということになるけどね』


 そんなことができるんですかと驚く省吾に、彼は眉をしかめてただね、と続けた。


『十中八九これは罠だ。わざわざ知らせる必要のないことを知らせるのは、こちらがメグナを救うためにその方法を取ると踏んでるからだろう。メグナを殺さずに生かしているのもそのせいだ。僕たちがこの行動をとることであいつが間違いなく得をする。そしてこちらが不利になる』


 じゃ、じゃあ、と省吾は慌てた。メグナを助けないんですか?

 アガタはしばらく何も言わずにじっと省吾の目を見つめた。


『君は、どうしたい?』


 聞かれて、省吾は思わず他の二人の方に目をやった。近くで話を聞いていたカッサムはもちろんだが、シャールもイタズラの手を止めてこちらを見た。


 どうした方がいいか、どうすべきか。そんな問いが頭をよぎって消えていく。理性的な答えもいくつか浮かんで、それでも最後に浮かんだ思いは一つだった。


 僕はまだメグナに謝れてない。


『やります』


 省吾の口からぽつりと言葉が漏れた。


『やりましょう。お願いします。メグナは、友達なんだ』


 答えを聞いてもアガタはしばらく黙ったままだった。無表情に、こちらが不安になるほどの間を置いてから、彼は不意に小さく笑った。


『本当に友達? ただの?』

『え?』

『いや、別に』


 ぽかんとした省吾にひらひらと手を振って、それから彼は宣言した。


『ようし、じゃあ決定だ。ま、選択肢はなかったようなものだけどね。全力を尽くそう。よろしく』


 それから一時間だ。

 これからすることは特務班の独断行動になるらしい。そのための緊急特別コードもあるようだが、発令はしていないとアガタは言った。


「まあ出しても出さなくても恐怖の報告会は避けられないし。提出の手間が省けるならその方がいい。あ、これは部外秘で」


 言って、彼は瞑目した。


「ではさっそく始めよう」


 アガタの呼吸がひどくゆっくりになった。息苦しくないか心配になるほど長く細い。それに引っ張られるように省吾も緊張と集中を高めていった。


 ゆっくりと病室に無音が満ちていった。緩やかにすべてが停止していった。そこには何の気配もない。あるのは棺の内側のような静けさだけだった。


「ひとつ気になるのは」

「え?」


 不意にアガタが言った。


「クリューブスが君を、自分の道具だと言ったことだ。どういう意味だろう。妙なことにならなければいいが」


 そして。アガタの力が解き放たれた。

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