焦燥
白い……と省吾はつぶやいた。闇に沈む病院は、それでもやはり神経質な白さを暗がりに隠し持っているようだった。異世界でも変わらない、どこか窮屈な清潔さ。
廊下の長椅子でぼうっと床を眺めていると、頭も体もからっぽになって自分がどこにもいなくなったような気がした。そのせいかは分からなかったが、一緒にいたシャールもカッサムも声をかけてはこなかった。
ショウゴ、と最後のメグナの声だけが頭の中をぐるぐると回っている。遠ざかり近づき、片時も頭を離れてくれなかった。
「検査が終わったよ」
アガタの声がして省吾は顔を上げた。多分酷い顔だったのだろう、アガタは少し眉をしかめてから言葉を続けた。
「ざっくり言って、メグナに異常はなかったそうだ。体温や血圧、脈拍なども安定している。外傷もないし何らかの病にかかったというわけでもないらしい」
「なら……無事なんですか?」
省吾の声は震えた。
アガタは答えるのに少しだけ間を置いた。とてつもなく長い沈黙に思えた。
「彼女の意識は戻っていない」
その言葉が頭に染み渡って理解が追いついた後。省吾は身体から急に力が抜けるのを感じ、それから意識を失った。
目が覚めるとベッドの上だった。夢を見ていた気がするがはっきりとは覚えていない。ただ、うなされていたんだろうなということは喉のうずきでわかった。
「よう。元気か」
声のした方に顔を向けると、カッサムがベッド脇の椅子に座っていた。
彼の顔をしばらくぼうっと眺めてから省吾は口を開いた。
「……アガタさんとシャールは?」
「シャールがお前の顔に落書きしようとしたからな。旦那が外につまみ出してたぜ」
そう言った彼の顔は、どこかいつもより優しく見えた。多分気を遣われている。そう思うとやるせない気分になった。
「あまり気にするな」
そんなこちらの胸中を察したのか、カッサムが言った。
「再発防止以外で過ぎたことにくよくよ悩むのは無駄だぜ。疲れるだけだからな」
「でも、メグナは」
喉がひきつって、泣きそうになりながら省吾は続けた。
「メグナは、僕をかばって……」
「だから考えすぎるなって。大袈裟なんだよ、メグナは意識を失ってるだけだろ? まるで死んじまうみてえな顔しやがって」
「でもこのまま意識が戻らなかったら……」
「それはまあ、そうなんだけどよ」
気まずく黙り込む。それでも鼻先を掻いてから言葉をつないだ。
「状態は安定してるんだ。怪我もないし異常もない。まだ目が覚めてないのがおかしいくらいだっていうんだから、少しくらい楽観的にいってもバチはあたらねえよ」
さすがにそれに同意するだけの図太さはなかったけれど。それでも少しだけ考える余裕はできた。というより、考えなければならないのだった。
体を起こして省吾は訊いた。
「僕たちにできることは?」
「お前が見た人影の調査、捕縛だ。おそらくは連続変死事件の犯人だろう。昨晩も一人犠牲者が出た。悲鳴は聞いたらしいな?」
「分かりました、僕も探します」
「いや、お前はメグナについてやっていてくれって、旦那が言ってたよ」
省吾は数回瞬きした。
「え?」
「お前は留守番だ」
カッサムは少し面白そうににやりとした。
「で、でも、僕もいかないと」
「メグナの付き添いをするのが嫌なのか?」
「いいえ。でも僕はメグナの足を引っ張ってしまった償いがしたいんです」
「だったらなおさら付き添ってやらなきゃいかんだろ。あいつが寂しがる」
それから、「お前が一番適任なんだし」と付け加えた。
◆
それから四日間、省吾はずっとメグナを見守っていた。夜も昼も付きっきりだった。
やはり彼女はやはり目を覚まさない。ベッド脇から覗き込むその顔は、青白く、生気がなかった。
それでも綺麗だ。ぼんやりとそう思う。造り物のように綺麗で、そしてそのまま死んでしまいそうだ。
(というより……)
……死に顔と区別がつかない。このまま葬儀が執り行われると言われても誰も驚かないのではないかと思えた。もちろんそんなことは絶対許さないけれど。
少しやつれたようにも見える。体に異常はないとはいえ、点滴だけでまともな食事をとれてないのだから当たり前かもしれない。
「ねえメグナ、お腹空かない?」
どこか遠くに呼びかけるようにつぶやく。
「早く起きて、何かおいしいもの食べに行こうよ……」
うなだれて鼻をすする。もちろんメグナは目を覚まさない。気分はさらに落ち込んで、鬱々とした心は過去へとさかのぼった。
メグナと出会って助けてもらったあの日のこと。友達になった日のこと。一緒に戦った日のこと。一緒に錠解き蛇を追ったこと。
(メグナ……)
涙がこぼれた。つめたぁいと声が上がった。
「へ?」
目を開けると、小さいタオルでせっせと頭を拭いている妖精がいた。
「いんやつめたくない、むしろぬるい。それがさらにヤな感じ!」
「…………じゃあなんでそんなところにいたわけ?」
訊ねるとシャールはあっけらかんと答えた。
「悪質なイタズラしようと思って」
「イタズラな上にわざわざ言うほど悪質なんだ」
顔をしかめて涙をぬぐう。そして表情を引き締めてから再び訊ねた。
「ここにいるってことは、見つかったの?」
シャールは連絡役だ。あの人影を見つけたら彼女が省吾に伝えることになっていた。
「ううん、見つかってないよー」
「……なら何しに来たんだよ」
声にいらだちが混じるのは隠せなかった。
シャールはうーんと首を傾げてから言った。
「冷やかし?」
省吾は頭に弾けた怒りのままに、シャールを乱暴にひっつかんだ。妖精はむぎゅっと息を詰まらせた。
「どういうつもりだよ! お前何がしたいんだよ! こんな時に!」
メグナがそばにいることも忘れてシャールを怒鳴りつけた。
「メグナが大変なんだ! 僕たちは仲間じゃないのかよ! アガタさんもカッサムさんも一生懸命やってくれてる。なのにお前は!」
省吾の剣幕に、しかしシャールは動じていないようだった。肩で息をする省吾を無言で見上げていた。
「お前はメグナが心配じゃないのかよ……」
「起きると思って」
シャールがぽつりとつぶやいた。
「え?」
「イタズラすれば起きるんじゃないかと思って。メグナはそういうの、すごく嫌がるから」
省吾は言葉を失った。
「メグナがいないとね、仕事しててもなんかおかしいんだよね。普段のあたしとなんか違うの。だから、様子見てこなきゃって思って。ごめん」
ぺこりと頭を下げる彼女から手を放して、省吾は立ち上がった。
「あれ、どっか行くの?」
「外」
この妖精は底抜けの馬鹿でどうかしているのだと思っていた。違った。どうかしていたのは自分の方だった。
◆
病院の中庭に出ると日の光がまぶしかった。そういえばろくに日の光も浴びていなかったなと思い出した。本当にずっとメグナに付きっきりだったのだ。
メグナについていて欲しいとは言われたが、疲れ果てるまでついていろとは言われていない。ようやくそれも思い出す。
木陰のベンチに座ってため息をついた。背もたれに背筋をぐっとそらすと、木漏れ日が目に当たってちらちらした。
(何やってるんだろ)
僕たちは仲間じゃないのかよ。自分で言った言葉が自分に突き刺さっていた。シャールの寂しそうな目も、脳裏に浮かんだ。
もう一度ため息。頭をガシガシと掻いて、今度は深く深呼吸した。堪えよう。ここは堪えなければならない。気持ちを新たにする。
それから目を開くと、視界の端に何かが映った。
「……?」
顔をそちらに向ける。ベンチのもう一方の端にいつの間にか誰かが座っていた。
薄赤い、上等そうだがどこか古びて見える長衣。くすんだ金髪にどこか遠くを見つめる緑の瞳。
少年はふと気づいたかのようにこちらに顔を向けた。
「……やあ」
クリューブスの出現はあまりに唐突で、省吾には驚く余裕すらなかった。




