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ウィローヌ市

 もう何回ごめんなさいを繰り返したかもわからなくなった頃、省吾は違和感に気がついた。なんだかいつの間にか音の聞こえ方が違っているような、空気のにおいも変わったような。そんな気がしたのだ。


 鼻をすすって(泣いてしまっていたからだ)目を開ける。


「……あれ?」


 そこはトイレではなかった。

 見回す。木造の小さな一軒家……だろうか。みすぼらしいというほどではないものの家具が全くないので寂しい感じがする。窓が一つ。明るい日の光が差し込んでいた。


(夕方じゃ、なかったっけ……)


 ふと見下ろすと、座っていたのは便座ではなく小さな椅子だった。いつの間にすり変わったのだろう。立ち上がって窓に近寄った。


「わあ……!」


 見えたのは視界いっぱいに広がる街の景色だ。この一軒家は坂の上の方にあるらしい。斜面に面して見通しがとても良く、綺麗な形の家々が整然と並ぶ様はため息をつきたくなるほどだった。


 そしてひとしきり見とれた後。省吾ははたと我に返った。


「ここ……どこ?」


 高校の校内ではないことは間違いない。


 振り返ると扉がある。歩み寄り、躊躇うこと数秒。意を決して取っ手に手をかけた。

 そうっと開けると風が隙間から忍び込んでくる。湿ったような、植物特有の香りがした。外は木々が立ち並ぶちょっとした林のようで、その中を道が斜面に沿って上方向と下方向にそれぞれ伸びていた。


(とりあえずは下、かな?)


 街の方向だ。人がいるところに行けば話が聞けるかもしれないと思ったのだ。もっとも、人に話しかける勇気が湧いてくればの話だけれど。一人ぼっちな生き方をしていると困ることには事欠かない。それでもまあそこは後で何とかするしかないだろう。ため息をついた。


 昼下がりと思しき日光の下を歩き始めてしばらく。街がだいぶ近づいてきたあたりで省吾は妙なことに気づいた。地面がかすかに揺れている気がしたのだ。地震ではないように思った。間隔を置いて細かく揺れるような具合で、ずん……ずん……と、まるで――


(足音、みたいな……?)


 メキメキと木が倒れるような音も聞こえ始める。鳥たちが飛びたって警戒の鳴き声を上げるのも聞こえる。足音はだいぶ大きく、近くなっている!


「え? え?」


 慌てて見回す。もうすぐそこまで何かが来ている。すぐそこ、左の方から……


「オオオオ――ッ!」


 雄叫びが上がった。それから轟音。木々を豪快に踏み倒して現れたのは、土色の、ずんぐりとした身体の巨人だった。少なくとも省吾にはそのように見えた。


「な……っ!?」


 それを見上げたまま完全に脳がフリーズするが、状況は待ってはくれなかった。巨人が省吾の方を向いた。見つかった。ゆっくりとこちらに足を踏み出してくる。ゆっくりとはいってもその一歩は大きい。すぐに目の前まで到達すると、巨人はその勢いのまま省吾を踏みつぶそうとした。


 喉から悲鳴が飛び出す。とっくに状況に着いていけなくなってはいたけれど、これだけは理解した。僕は死ぬらしい。そして思った。こんなわけのわからない死に方をするなら、せめて痛みだけはあまり感じずに逝ければいいな、と。


「……っ」


 願いが叶ったのか、痛みはなかった。けれどもどうやら意識の方も途切れてはいなかった。

 震えながら目を開ける。すると。


「……え?」


 銀色の人影が巨人の足裏を受け止めていた。

 いや、正確には長い銀髪の少女だ、と気づく。華奢な身体の線からそれがわかった。ただ、見たままならばそんなか弱そうな少女が一体どういう仕組みで重い一撃と張り合っているのかがわからないけれど。


 と。


「はッ!」


 声とともに何かが強く歪むような高い音がして、巨人が押し返され、転倒した。

 尻餅をついたまま目を見張る省吾に、少女は振り返ってかがみこんできた。


「逃げますよ! つかまって!」


 彼女に手を取られた瞬間、省吾はふわりと身体が軽くなるのを感じた。そして次の瞬間には林が下の方に見えた。巨人も幾分小さく見える。空が近い。


「――飛んでる……!?」

「ちょっと不安だろうけれど我慢してくださいね、ここが一番安全なので」


 少女の方を見ると目が合った。にこりと彼女は笑う。警察官のような制服を着ているので先ほどは分からなかったけれど、その笑顔は同年代くらいの人間のものに見えた。と、もう一つ気づく。風になびくその髪の合間に覗くもの。


(……? この子の耳――)


 その時、ズン、と鈍い音が響いた。

 はっとして見やると、巨人が再び立ち上がっている。顔と思しき部位はこちらを見上げ、目はどこにもないようなのにこちらを見据える視線を感じる。省吾は恐怖に喉の奥がきゅっ、と締まるのを感じた。


 しかし省吾の手を優しく握って少女は言った。


「大丈夫だから」


 宝石のような赤い瞳に絶対の確信を込めて。


「安心して」


 一際大きな音が響いた。そして同時に巨人が盛大にひっくり返る。先ほどの尻餅程度とは違って完全にまっさかさまだ。一体何が起きたのか、目を凝らすと巨人の右足が、足首から切断されているのがかろうじて分かった。


(なんで……?)


「まだ抵抗あります! 気を付けて!」


 いきなり少女が叫んだので驚いたが、彼女はこちらではなく地上の方に言ったらしい。下からも返事が聞こえた。


「見りゃわかる! 過保護か馬ぁ鹿!」


 すさまじく大きい声だ。そちらを見やるもその姿は木々の陰になって見えない。ただ、巨人が、倒れた身体はそのままに、その方向に腕を振り下ろした。


 同時に裂帛の気合。


「んだらァッ!」


 巨人の手から肘までが縦に両断された。


 だが攻撃はそれだけで終わらなかった。黒い影が飛び出して、縦に斬った腕をさらに横に斬り、肩を切り落としてさらにもう一方の腕も切り落とす。恐ろしいまでの速度だ。あまりに速くて省吾の目はその暴風が破壊した跡を追いかけることしかできない。両手両足を切り落として巨人を完全に無力化してから、ようやく黒い影は動きを止めた。


 その姿は。


(……熊?)


 二本足で立つ、一振りの軍刀を提げた大熊だった。

 その大熊は省吾のつぶやきを聞きつけたか、ちらりとこちらを見上げて唾を吐き捨てた。そして叫ぶ。


「旦那ァ! あとは任せたぜ!」

「ん。お膳立てどうもね」


 その涼やかな声は、すぐ近くから聞こえた。


 すい――と、そんな軽やかな身のこなしで。その人影は省吾の横をすり抜けていった。長身の男だ。枯葉色のコートの裾をたなびかせて、ふわりと巨人の元へと降りていく。あまりに様になりすぎていて、スターがステージへと出ていくのを舞台袖から見ているような、もしくは大天使の降臨を上の方から見下ろしているような、そんな錯覚に陥った。


 ゆっくりと巨人の胸の上に立つと、彼はその掌を巨人の頭に向けた。そしてその口が動き出す。この高さからではその声は聞こえない。だが最後の恫喝にも似た宣言だけは聞き取れた。


「時断絶!」


 同時に、巨人の動きが完全に止まった。

 隣の少女がほっ、と息を吐いた。


「これで大丈夫です」


 省吾も息をつきかけて。それからはっと我に返る。まだ何にも終わっていない。


「できれば早くあなたを家にお返ししてさしあげたいのですが、すみません、念のため病院で検査と、あとは守護隊の方でちょっとした聴取を――」

「あ、あの、すみません……!」

「はい?」


 省吾の声に少女がきょとんと瞬きをした。それから気づいたように慌てだす。


「あ! すみません! ずっと空中っていうのも不安でしたね、すぐに下ろします」

「そういうことではなくって……!」


 省吾は必死に声を上げた。


「ここ、どこです……?」


 少女はさらにきょとんとしたようだった。


「東地区ですけど」

「いやえっと……そういうことでもなくて」

「???」


 困惑する少女に、省吾はようやく最適な問いかけを見つけて、背後に広がる街並みを示した。


「ここ、この全体! この街は一体何なんですか!?」

「何なんですか、って……」


 少女は困り果てた様子で、どこか自信なさげな口調で答えた。


「ウィローヌ市……ですけど」

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