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後悔

 見回りの釣果はなかなか得られなかった。七日の間何事もなく夜が明けた。昼夜逆転が続いて、省吾は少し体調を崩した。


「まだ巡回を続けるんですか?」


 夕方、全員が集まるオフィスで、メグナがアガタに訊ねた。


「今のところ何も起きていませんけど……」

「それはまあ今のところはね」


 眠そうに目をこすりながらアガタはつぶやくように言った。そしていくらかはっきりした声になって続ける。


「でも、これから起きないとも限らない。事件の真相が明らかになるまでは、やっておいて損のないことは続けろと言われるだろうな」


 カッサムが嫌そうなため息をついた。


「だったら早いとこ一人くらい事件に巻き込まれてくれないかねえ。こう夜昼反対が続くとさすがにだるいぜ」

「なら言いだした人が巻き込まれるべきですね」


 メグナがすかさず刺々しい視線をカッサムに飛ばした。

 カッサムは肩をすくめてソファーから立ち上がる。


「いや、それよりももっと適任がそこにいるだろ」


 うつらうつらしていたところを指されて省吾ははっと顔を上げた。


「僕ですか?」


 カッサムはまあな、と頷いた。


「ど、どういう意味です?」

「さあ? なんでかそう思ったんだ」


 首をかしげるカッサムはさほど意味を込めて言ったわけではないだろう。そして全く意味もなく言ったわけでもないはずだった。何となく彼の言わんとすることは分かる気がしたのだ。自分はよそ者で、そのうえ一人では何もできない。


 横からふよふよと漂ってきたシャールが、不気味な色の液体が入った瓶を省吾の目の前に掲げた。妙にきらきらしている目が印象的だった。


「プロテインいる?」

「本当にプロテインだったら欲しかったかも」



 あくまでもプロテインを主張するシャールから逃れるようにオフィスを出て数分。省吾は自室の前で立ち止まった。ふとメグナのことを思い出したからだ。


 何となく気まずい雰囲気になったあの夜以来、メグナとはまともに会話をしていない。彼女との間に、ほのかながらも確かな溝があるように思えて、話しかけることができなかった。


 後ろを振り返る。そこには夕闇に沈む廊下があって、その先いくつか角を曲がればメグナの部屋もある。


「……」


 行くべきなのはわかっていた。メグナと話をして、それでどうなるものでもなくても、それでも行くべきなのはわかっていた。


 だが、このまま何もしなくてもなんとなくで元通りになるかもしれないじゃないか、下手に動くともっと悪くなるかもしれないじゃないか、そう思えて動けなかった。


 部屋の扉の前でしばらく棒立ちになって、結局「まあ……いいや」と部屋に入った。

 メグナとしっかり話すのは見回りの最中でも遅くはない。そう思ったのだ



 シャール・カッサム組と別れて、メグナと夜の住宅街を歩く。見回りの箇所は数日前に変更になって、工場地区から移動していた。


 夜も遅い時間になってきて、家の明かりがぽつぽつと消えていく。その様子を見ていると少し寂しいような気分になった。


 冷たい風が吹く。秋の風だ。そういえばこの世界には季節があるのだろうか。


「あるよ」


 メグナは行く手を見つめたまま答えた。


「そんなに大きく気候が変わるわけでもないけどね」


 それきり彼女は黙った。省吾も話題の手持ちを失って気まずく口をつぐんだ。


 どうしよう、とそれだけが頭の中を巡った。それから、早く謝るべきだ、と声がした。わかってる、わかってるけど、と省吾は答える。でも、何を謝ればいいんだろう。


 メグナは言った。ショウゴはいつか元の世界に帰っちゃうんだよね、と。そんなこと謝れるわけがないじゃないか。異世界の人間でごめんなんて、そんなの自分でもどうしようもない。謝りようがない。


 半歩だけ先を行くメグナの横顔を盗み見る。彼女は涼しそうな、でもどこか虚ろな視線をどこかへとさまよわせている。


 ほんの数週間前だ、と省吾は思い出した。彼女に助けられ、彼女と友達になったのは。照れ臭かったけれど、自分はメグナの友達にしてもらった。そして、友達からは逃げないと決めたのだ。


(そうか)


 答えるべきだったと気づいた。元の世界に帰る、でも帰らない、でも構わない。たとえその時の一時的な答えにしかならなかったとしても、しっかりと考えて答えるべきだったのだ。


 謝るべきことは分かった。

 省吾は深呼吸した。


「メグナ――」


 その時、悲鳴が聞こえた。大きく遠くまで響くような声ではなく、短くひきつるような悲鳴だった。

 すぐさまメグナが地を蹴って宙に浮かんだ。


「ショウゴは後から追いかけてきて!」


 突風を残して飛び去る彼女を追いかけ走り出そうとして。省吾は目の端に何かを認めて足を止めた。


「……?」


 街路樹の陰に何かがうずくまっていた。小さな、子供くらいの人影。街灯の白い光の下でも黒くよどむ。ざわざわとうごめく。それはおもむろに立ち上がって、にたりと笑った。ように見えた。背筋に寒気が走った。


 省吾は一目散に逃げだした。少しも躊躇せず、道の反対へと全力で走りだした。とても怖かったにも関わらず足が動いたのは自分でも意外だった。


 ずっとずっと走り続け……と思ったが、おそらくは五分も走れていなかったとも思う。肺は破れてしまったかのように痛いし、脚は筋肉がちぎれてしまったかのようにこれまた痛い。今ならあのプロテインもどきでも飲んでやりたいくらいの気分だった。


 まだ住宅街の中だ。道の角を曲がって塀に背中を預けて息を整える。


(逃げきれた……?)


 いや。独特の足音が聞こえる。細かいもの同士がこすれ合うような。

 まだ遠いけれど間違いなく追いつかれる。


(ど、どうする?)


 メグナとは離れる方向に走ってしまった。助けは期待できない。シャールやカッサムはなおさらだ。ならば自分で戦うしかない。しかしあれは何者だ? 傀儡なのか?


 何もわかってない状態で戦っても勝ち目などないだろう。ただ、それでもせめて何か武器があれば。武器……

 はっとしてポケットに手を突っ込む。黒白の卵は確かにそこにあった。



 省吾は壁に背を付けてタイミングを計った。あまり追いつかれすぎてもよくない。が、距離が空きすぎても多分上手くいかない。


 深呼吸。


 足音が十分に近づいたなというところで再び省吾は走り出した。あまりの緊張に心臓が痛いほどだった。


 道を一本走り切るというところで、省吾は黒い方の卵のスイッチを入れた。右に曲がりざまに左の通りへとそれを投げ込む。それと同時、卵型防犯ブザーは耳をつんざく暴音をまき散らした。


 軽く脳を揺すられるような感覚を味わいつつ、滑り込んだ植え込みの陰から様子をうかがう。通りの角から出てきた不定形の人影は狙い通り防犯ブザーの方へと注意を向けたようだった。


 それを確認して省吾は植え込みの陰から飛び出した。その人影目指して真っ直ぐに突進する。

 半分も間合いを詰めないうちに相手はこちらに気づいた。だが向き直ろうとするのに合わせて省吾は二手目を打った。


「てっ!」


 白い方の卵を、スイッチを入れて頭上に放る。すぐさま閃光弾は威力を発揮した。

 夜の闇を引き裂くすさまじい光の刺激に人影はひるむ。その隙に省吾は距離を詰め切った。


(よし……!)


 あとは触れるだけ。傀儡ならばそれで終わり。違うとなっても騒音と光でメグナたちが助けに来てくれることも期待できなくはない。


 省吾は気合とともに右手を突き出した。

 が。


「……!?」


 突如敵の体が縦に割れたために攻撃が外れた。おまけに足の置き場を見失って、受け身も取れずに転倒した。


 泡を食って振り返ると人影はそこにいる。暗く陰になった顔に、やはり不気味な笑顔の気配。

 省吾は地面から起き上がれないまま後ずさりした。やはり自分は、一人では勝つことができないのか。そう思った瞬間だけ、恐怖よりも悔しさが勝った。


 敵が右手を掲げた。そこから闇色の濁流があふれ出した。蛇のようなそれは、省吾に頭を向けるとすさまじい速度で襲い掛かってくる!


 終わりか。そう思った。そして、いつだったかも同じように思ったことを思い出した。あの時はなんとか無事だった。助けてもらったからだ。メグナに。


「ショウゴ!」


 はっとして見上げると、メグナが飛び込んでくるところだった。敵との間に降り立って即座に光壁を展開した。敵の黒の奔流は彼女の防御にすべて受け止められ、消える。


 それからメグナは光壁を解いてあたりを見回した。省吾も気づいて見回す。あの不定形の人影はすでにどこにもいなかった。


 しばらく確かめる間を置いて。メグナはため息をつくとこちらを振り向いてきた。


 彼女は少し困っているように見えた。何を言われるのか省吾にはわからなかった。一番ありそうなのは怒られることだったが、そういった様子ではなかった。妙な沈黙が長引き、省吾が立ち上がって口を開こうとした時、それより少し早くメグナが口を開いた。


「ショウゴ――」


 そこまで言って、メグナは不自然に言葉を止めた。短く息を吐いて、痙攣のようにその身体を震わせる。

 そして。


「……え?」


 省吾は地面にくずおれたメグナを見て一瞬ぽかんとした。


「メグナ? メグナ!?」


 駆け寄って抱え起こすが反応がない。だらんと力の抜けた彼女の身体は妙に軽くて、省吾は何やら怖くなった。メグナはこのまま死んじゃうんじゃないだろうか。


「シャール! カッサムさん! 助けて……助けて!」


 夜の街に声を張り上げる。だが、どこかに吸い込まれてしまって頼りない響きだ。どこへも届かないし、誰にも聞こえない、そんな気がした。


 叫びながらいつの間にか涙がこぼれていた。それでも助けを呼ぶ声を止めることはできなかった。

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