夜の散歩
べしゃり。多分そんな音を立てて省吾は地面に激突した。顔から叩きつけられて、しばし痛み以外の何も感じ取れなくなった。
「うう……」
「だ、大丈夫!?」
慌てた声を上げてメグナが駆け寄ってくる。まだショックで何も見えないが、打ちつけた顔に優しく手が添えられるのは分かった。
「ご、ごめん、力加減がわからなくて」
「いや……受け身失敗した僕が悪いし……」
なんとか顔を上げ――そこではたと見つめ合う。彼女の赤い瞳に自分の間抜け顔が映っているのが見えた。メグナが照れたように視線を逸らした。
「な、なに?」
「いや……別に」
「なーにやってんだガキども!」
声の主は言うまでもなくカッサムだ。
「ここは戦場だぞ、わかってるのか!?」
「訓練場ですよ!」
メグナが言い返すが、
「訓練場が何を想定してるかっつったら戦場だろうが! だったら戦え戦え!」
カッサムはどうやら自分を曲げるつもりはないようだった。
彼の言うことももっともかもしれない。ただ、事実としてここは訓練場だ。野外にあってグラウンドのような広い敷地面積がある。省吾たちはその一角にいた。
「大丈夫? 血とか出てない?」
「ありがとうメグナ、大丈夫だよ」
「かーっ! んだよイチャつく口実が欲しかっただけかよ。俺はなんのために来たんだっつの!」
「イチャつくって……違います!」
メグナが真っ赤になって言い返すが、カッサムはかえって視線をとがらせるのみだった。
「だったら真面目にやれよ。じゃねえとそいつのためにもなんねえんだからよ」
「それは……はい」
メグナは立ち上がると、省吾から数歩距離を取ってから構えて見せた。省吾もその場で立ち上がって構えを取る。
「……」
これは、省吾が言いだしたことだった。つまり省吾が頼んだ訓練だ。
『君にはまだ早い』
アガタは錠解き蛇の脱走の際にそう言った。省吾が一人で事に当たるのはまだ早いと。
だが、と思う。一人だけ足を引っ張るのは嫌だし、傀儡の処理機のように扱われるのも嫌だ。自分もみんなと一緒の場所に立ちたい。
だから戦わねばならない。省吾は拳を握った。
視線の先にいる少女の構えに隙はなかった。半身を引いて、大仰ではないけれどゆるくまとまっている。無策に突っ込んでも勝ち目はないだろう。それはもちろん分かっている。何しろ自分などより何年も時間もかけて戦い方を練ってきたのだ。
だがそれでもこちらが優っていることもある。背丈はこちらの方が高いしその分体重もあるに違いない。勢いで押せば何とかならない事もない。はず多分……
省吾は地面を蹴った。フェイントなどの小細工も交えずに真っ直ぐに突進する。少女の華奢な身体が目前に迫った。その中心に向けて拳を――
「……だからよ」
さかさまの視界で、カッサムの声が聞こえた。
「何回それを繰り返すんだよ。俺は十回から先は忘れちまったよ」
また負けた。地面に仰向けで倒れながら痛感する。僕は弱い。
「大丈夫、ショウゴ?」
「うん、まあ」
どこか悲しい気分で、それでも何とかプラスポイントを見つけることに成功した。
「とりあえず、受け身は上手くいったかな……」
◆
「まあ、あの訓練に意味があったかっつーと疑問だがな」
廊下を三人で進みながらカッサムが言う。
「今日は一対一の対人戦だったが、俺たちの相手は基本的に人外、クリューブスや傀儡らだ」
「意味ないってことですか?」
問いかける省吾にカッサムは首を振る。
「うんにゃ。ある程度は応用も聞くだろうよ。やるぞっつー心構えくらいはできんじゃねーの? ただやっぱり完璧にそういった局面用の訓練ではないやな」
「じゃあどうすれば……」
「まずは焦らないことだあな」
じろりと横目でカッサムが見下ろしてくる。
「そして考え続けること。場合によっては考えないこと」
「え?」
「慣れてくりゃあわかる」
「はあ」
困惑して見上げるがカッサムは肩をすくめるだけだった。
「後は実践しかないと思うぜ。自分の力が及ばない存在に圧倒されることだ。なんだったら俺が訓練相手になってやってもいい」
「えーと、それは……」
「そうだな、無駄に危険に近づかないのも戦う方法のひとつだ。それも悪くはない」
さらに困り果ててメグナを見ると、彼女はどうしようもないよ、の顔で首を振って見せた。おそらくだけれど、彼女も昔同じことを言われたのかもしれない。
「入るぜ」
オフィスの扉を開けてカッサムが言った。デスクのアガタが顔を上げた。
「やあ。訓練お疲れさま」
中は雑然としていた。いつもそれほど片付いているわけでもないが、書類の山があちらこちらにできていて、壁には地図と何らかの印。懐中電灯や警棒などの各種装備もあるようだった。
「……何だこりゃ」
カッサムが床から十字架らしきアクセサリーを拾い上げた。他にもニンニクや木の杭なども落ちているように見えるけれど、それが何を意味するのかいまいちわかりそうになかった。
「それは今から説明するよ。とりあえず腰かけて」
めいめい腰を落ち着けると、反対に立ち上がったアガタが書類束を配った。
表紙にはこうある。
「連続死亡事件解明作戦……?」
「まあ、要約すると夜の散歩ってところかな」
奇妙なその作戦名、それから言った言葉の内容に対して、アガタの顔はいたって真面目だった。
「緊急の案件だ。これ以上死者を出す前に手早く対処するぞ」
と、言われてもだ。カッサムが怪訝な声を上げた。
「連続……死亡事件? 連続殺人じゃなくてか? 一体どんななんだ?」
「その名の通り連続で人が死亡する事件だ。殺人かどうか不明だからそんな呼ばれ方をしている」
「殺人かどうか不明? どういうことだ?」
アガタは頷いて壁の地図に寄った。
「これは発覚しているものから判断すれば先週先々週あたりから起きている事件らしい。死亡者は四人。地図上の印が死亡場所だ」
ひと気のない通り、目立たない位置にある公園などのようだ。
「で、殺人か不明ってのは?」
普通に考えればそんなところで死亡しているとなれば殺人、もしくは自殺が考えられるのだけれど。しかしアガタは首を振った。
「彼らには外傷が全くなかったんだ」
彼は書類束をめくってそこにあった写真をこちらに向けた。
「これが一人目の被害者の死体だ」
死体といわれてびくりとした省吾だったがそこに写っていたものをみてやや拍子抜けした。ただ女の人が仰向けになっているだけだったからだ。
ただ眠っているだけに見える。だがアガタは死んでいるのだと言う。
「確かに心臓は停止していたし発見時には死後硬直が始まっていた」
「原因は?」
訊ねるメグナにアガタは首を振った。
「……分からないんですか?」
「解剖班は手を尽くしてくれたんだが結局何もわからずじまいだ。明確な殺人でもなければ事故や病死でもない」
「奇妙ではあるな」
カッサムが言うとアガタが頷いた。
「それで、夜の散歩というわけだ」
一瞬沈黙が落ちた。
省吾はおそるおそる手を挙げた。
「えっと、夜の散歩というのは?」
「見回りともいうね」
こういうことらしい。原因がわからないので見回って現場を押さえるしかないだろうと。被害者に共通点はなく被害現場にも規則性がないからだ。
「傀儡がらみの事件の可能性もあるから僕たちも参加することになる。もちろん可能性の話でしかないが注意だけは十分していてほしい」
「それは分かったけどよ」
カッサムが再び床の十字架を拾い上げた。
「これは一体何なんだ?」
「シャールだよ。いつもの通り」
アガタはため息とともに答えた。




