錠解き蛇の爆走
栓を抜いた直後。その瞬間には瓶にはこれといった異常はなかった。うんともすんともいわないので、少しだけ振って、中を覗きこんでみて。動きがあったのはちょうどその時だった。瓶の口から何かが飛び出してきた。
「うわ!?」
のけぞる顔面すれすれをかすめて躍り出るそれは細長く。しかし急に勢いを失って、地面へぼとりと落ちた。うねうねと動いてどうやら蛇のようだ。体色はくっきりとした赤や青と妙にカラフルで、何やら強烈に毒を連想させる。
「シャール!?」
必死の心地で声を上げると、彼女は首を振って見せた。
「大丈夫。特に害のあるような子じゃないよ」
そうは言うものの簡単に信用はできそうにない。蛇は鎌首をもたげて威嚇の声を上げているし、尻尾を振り上げてこちらに脅しをかけているようにも見える。
と。
(あれ? なんだあの尻尾……)
それはなんだか奇妙な形をしていた。尖った棘状のものに、さらに枝分かれしたギザギザが生えている。似たようなものには見覚えがある。あれは――
「鍵?」
隣でメグナが首を傾げた。
その呟きにタイミングを合わせたわけでもないだろうけれど、蛇に動きがあった。するすると移動して、シャールの寝床箱のところまで行き、そのぐるりに巻き付いた。そして、その尻尾で錠の部分をさっと一撫でする。カチャリ、と鍵の開く音がした。
「え?」
「錠解き蛇」
呆気にとられる省吾にシャールが近寄って説明を始めた。
「尻尾にある鍵開け毒でどんな封でも開けちゃうのだ。あたしの発明品ナンバー……忘れちゃったけど。便利な子でしょ?」
それだけ言うと、省吾の後ろに回ってその背を押す。
「よし、それじゃあ蛇ちゃん捕まえてちょーだい!」
「え? いや、どういうこと?」
「あの子は閉じてるものはやたらめったら開けたがるから、早く捕まえないとまずいんだって!」
「ええ!?」
慌てて向き直る。蛇は箱から身体をはがして、こちらをなにやらうかがっている。警戒しているようだ。
「さ、早く!」
「いやちょっとまって僕蛇苦手――」
シャッ、と鋭い呼気一つを残して蛇が跳びかかってきた。目の前に鋭利な四本の牙と暗い口腔が迫り。しかし、横から手が伸びてそれをひっつかんだ。
「よっと!」
メグナは手際よくその首根っこを押さえて捕まえると、シャールの方を向いた。
「で、後はどうすればいいの?」
「……た、たくましいね」
腰を抜かして省吾は地面から彼女を見上げた。メグナはにこりと笑って見せた。
「蛇は結構平気なの」
「それはすごいね……主にイメージとのギャップが」
「? どういう意味?」
「いや、気にしなくていいよ」
何とか立ち上がるとシャールが瓶を抱えて飛んできた。先ほどの瓶だ。
「捕まえたならここに入れるがよいー」
「はいはい」
「しかし気を付けるがよいぞよ」
「え?」
「その蛇、意外と諦めが悪いからして」
いつの間にか蛇の尻尾がメグナの首元まで忍び寄っていた。そしてそこから真下まで。鍵の毒が一撫でした。
メグナの前がはらりと開き、スカートがすとんと落ちた。少し遅れて、彼女の悲鳴が上がった。
◆
心臓がバクバクと脈打っている。顔がすさまじく熱くてしかたがないけれど、壁の染みにありったけの集中力を注ぎ込むことでなんとか堪えた。
僕は何も見ていない、僕は何も見なかった。今日は特に何事もないし何をしていたわけでもない。本日も異常なし、異常なし。なんだか白いものが頭をよぎるのは気のせいだし、細かいひらひらの装飾なんて知りもしない。柔らかな輪郭は……うん、鼻血もんだったけど。
「ショウゴ!? 変なこと考えてない!?」
「べ、別に!」
背後からの怒声に省吾はすくみ上った。
「本当!? 嘘だったら叩くからね。きっとすごく痛いよ!」
「本当だってば! それより急いであいつを追わないと!」
「知ってる! いいからこっち見ないでよ!?」
しばらくして「もういいよ」と声がして、振り向くと服装を再度整えたメグナが立っていた。
「よし、追いかけよ!」
違いといえば、きゅっと結ばれたへの字口と、それからほんのり赤らんだ頬くらいか。
「何か思った?」
「い、いや」
小さくこつんと額を小突かれた。
◆
「むぅーん、せっかく寝つけそうだったのにぃ……」
寝床箱から引っ張り出されたシャールはひどく不満顔だった。研究室の通路を速足で戻りながらメグナが睨む。
「何が寝つけそう、よ。自分の厄介事じゃない」
「違う違う。瓶を開けたのはショウゴ。あたし悪くない」
「そういう責任逃れ、本当よくないんだからね」
「偉い人はみんなやってるのに?」
「偉くなっちゃってもいいなら好きにすれば」
「そう言われるとちょっとていこうかーん」
そうこうしているうちに研究室の出口についた。オフィスをそっと窺って、
「ここにはいないみたい」
メグナが中に踏み込んだ。
オフィスはざっと見ただけならば出ていく前と変わったところはなかった。が、よく見ればアガタの机の引き出しがいくつか開いて重要そうな書類が顔をのぞかせているし、棚からはファイルがずり落ちそうになっている。
「どこに行ったんだろう……」
省吾のつぶやきに、シャールは出口を指さした。ドアが薄く開いている。
「外、出ちゃった」
「ええ!?」
「それじゃあどうやって探すのよ!」
「ああ、それなら問題ないよん。あれはなにかと暴きたがりだから――」
ドアの外、廊下の方から悲鳴がした。
「と、まあこんな風に」
「シャール! 後でみてなさい!」
三人は廊下へと飛び出した。
◆
錠解き蛇はとにかくやりたい放題を尽くしたらしい。上役の執務室の扉を破り、各種保管庫を開け、更衣室を開放し、宿舎の部屋と住人の生活を順繰りに暴いていった。省吾たちはその痕跡を追って走っていた。
「……それにしてもカッサムさんにあんなかわいい趣味があったなんてね」
「わたし、知らなかった……」
「あたし知ってた」
カッサムの部屋の中身のことは努力して忘れながら角を曲がる。けれどもそこには守護隊の正門があるだけだった。蛇はどこにもいない。
「あれ?」
門を見るに開いている様子はないし、追う道を間違えていないならこのあたりで追いつくはずだったのだけれど。
「あの、ここに何というか、すごくカラフルで迷惑な蛇が来ませんでしたか?」
「来ていない」
門番の隊員は即答した。
「あの、でも、見かけるくらいは」
「来ていない」
再び即答。
しばらく考えて半眼で告げる。
「来ましたね?」
「……来ていない」
いくらか答えの勢いを落とす彼の背後、詰め所の中は、まるでひっくり返したかのようにぐちゃぐちゃになっていた。きっと自分の責任になることを恐れて反射的に隠し立てしようとしたのだろう。
「メグナ!」
「うん!」
彼女に手を引かれて舞い上がる。地上から制止の声が聞こえるがこの際無視だ。蛇はきっと街の中へと解き放たれてしまったのだから。
「それらしい痕跡はある!?」
メグナの声に周りを見回す。上空から眺める街はいつもと変わらない。人々の生活があり、穏やかな空気がある。それから悲鳴。
「……うん、あった」
そちらを指さすとメグナは進路をその方向に向けた。
蛇の速度はそれほど早くはないが、しかし狭く見えづらいところを進むので意外な進み方をしていた。
「一体どこに向かって進んでるの!?」
「封がしてあるものなら何でも開けたがるからなー」
気楽な声を上げるシャールに、メグナの敵意がこもった視線が刺さった。
「どこに行こうとしてるか全く予想がつかないの? あなたにも?」
「あははー」
「あははじゃないでしょ!」
「結界」
と言ったのは省吾だ。顎に当てていた手を放して、きょとんとしたメグナに告げる。
「あの蛇は結界を解こうとしてるってことはないかな? この街で一番の封閉じでしょ?」
考える間を一瞬だけおいて、メグナがシャールに訊いた。
「……あり得ると思う?」
「いやーないんじゃないかな。いくら鍵開け毒でもそのレベルのは開けらんないよ」
「そっか……」
「いやいや、でも少年、目の付け所は悪くないぜよ。きっとマイスイートスネークちゃんも同じようなこと考えてるだろうし」
「同じようなこと?」
「この街で結界レベルに強い封閉じといえば? 傀儡関連でしょ」
「そっか! 傀儡廃棄場!」
声を上げるメグナに目で問うと、
「傀儡廃棄場はね、アガタ班長が時空魔法で封印した傀儡を、埋めて処分するところなの」
「守護隊特務班の魔人の封印術、あたしのかわいい蛇ちゃんが挑みたがるちょうどいい相手だよね」
「よしじゃあ先回り!」
メグナは進路を街のはずれに向けた。
◆
そこは林のようになっていた。木々の間にぽっと開けた広場がある。何の看板もなく、錆びの浮いたフェンスだけがその周囲をぐるりと取り囲んでいた。
その正面入り口の前に降り立って辺りをうかがう。
「来てる、のかな?」
入口は開いていたが、それは自然に開いたといった様子で蛇がこじ開けたものかどうかは一目ではわからなかった。
「はずれ?」
「中を探さないとどうともいえないと思う」
そう答えて、しかしメグナはその場を動かなかった。
「? 入ろうよ」
促す省吾にメグナは曖昧に笑った。
「ショウゴ、ここの土はね、時間術で封印した傀儡を埋めるために掘りやすくしている土なの」
「え? うん」
「そのせいかわからないけど、ミミズが多いんだよね」
「うん」
「実はここに降りたときにも視界の端にミミズが見えちゃった」
「ええと、つまりどういうこと?」
メグナは一瞬ためらった後、「ごめん!」と勢いよく頭を下げた。
「わたし、ここには入れないの」
「……もしかしてだけど」
「うん。ミミズ苦手」
「蛇がいけてミミズがダメなの!?」
「だって蛇はぬるてかしてないもん」
よくわからない理屈だが、人の苦手にはいろいろあるらしい。そんなことを痛感しながら入口へと向き直る。
「じゃあ……」
「ショウゴ一人で挑むことになるね」
背後で妖精が気楽に告げた。
「……シャールは?」
「あたしがついてって役に立つと思う?」
「そうだけど、自分で言わなくても」
「大丈夫だよショウゴ! 本当に危なくなったらその時は助けに行くから」
メグナがギュッと胸の前で拳をにぎる。
「だからできるだけわたしを踏み込ませない方向で頑張って!」
「ああうん了解……」
薄情なくらいに熱い視線を背に受けながら、省吾はフェンスの隙間から中へと身体を滑り込ませた。
◆
中は人が帰った後の工事現場のような趣だった。砂利山がいくつもあって、看板が随所に立っている。一つを読んでみるものの、何かの名前のようであることは分かってもそれ以上は分からない。ただ、メグナが言っていたことを合わせると、この下に封印された傀儡が埋まっているのだろう。
そして下手をすれば蛇の毒でそれらが解き放たれかねない。
「急がないと!」
省吾は奥へと足を進めた。
砂利山の間を進み、そして恐る恐るその一つを回り込んで。見つけた。錠解き蛇だ。こちらに背中を見せている。距離もそれほどはない。
唾をのむ。警戒すべきは牙と尻尾だ。後はうろこの気持ち悪さは我慢すればいい。……我慢できれば。とにかくやらなければならない。何しろいま動けるのは自分だけなのだから。
そしてふと気づく。僕が一人で事に挑むのって、もしかしたら初めてだなと。
足音を忍ばせて踏み出した。のだけれど、蛇はあっさりこっちを向いた。
「あ……」
一瞬迷ったが、省吾はそのまま地を蹴った。声を上げて蛇に迫る。だが蛇は身体をくねらせてその手をかわした。そしてすれ違うように一際大きな砂利山へと突進していく。
(あれは……?)
なにか胸騒ぎがした。
「待て!」
手を伸ばすが届くわけもない。そのまま蛇は砂利山へと突っ込み――
「よっと」
その前に横から伸びてきた手に首根っこを押さえられた。
蛇をつかみあげたその男は、蛇の尻尾の攻撃を一つ一ついなしながら「なるほど、シャールの発明品か」とつぶやいた。
「アガタ班長」
「うん、どうも」
省吾に答えてアガタは手をひらひらさせた。
「なんでここに?」
「ん、まあ野暮用だよ。こんなものが来るとは聞いてなかったけど」
彼はそう言って蛇に指先を向けた。
「時断絶」
途端、蛇は動かなくなった。アガタはそれを懐にしまう。結構なかさがあるはずだったが、コートの内側にそれはすっぽりと収まった。
これで終わってしまったらしい。あまりに唐突な収束についていけずに、省吾はしばし呆然とした。
「ショウゴ、もしかして何か騒動が起きてたかい?」
「あ、はい。いやもう、すごく」
アガタはあちゃあとこめかみを押さえた。
「またこれ関係の後始末か……」
「まさか、よくあることなんですか?」
「まあ、割と手馴れてしまうぐらいにはよくある」
「はあ……」
「だから君も一人でやろうとするのはよしときなさい」
はっとして省吾は彼を見上げた。アガタはさらに言い足した。
「君にはまだ早い」
特別に意識していたわけではなかった。ただ、時折自分は傀儡を無力化できるだけのただのお荷物ではないかと思うことがあって、何となく今回はそれを覆せるのではないかと思っていた節もあったかもしれない。それを突かれた気がしたのだ。
「じゃあ帰ろうか。どうせメグナはミミズのせいで入り口で待ってるんだろう? あのあたりが一番多いんだけどね、ミミズ」
アガタの言葉を聞きながら、帰路についた。騒動の後始末は夜更けまでかかった。
ちなみに。裁縫が趣味で自身のかわいい作品群を部屋に置いていたカッサムは、己のイメージ崩壊のために数日の間部屋から出られなかった。その後女性隊員からの人気が上がり、裁縫教室を始めたとかどうとか。
それから。
「なんか、変な目で見てないよね、省吾」
「へ?」
オフィスでぼーっとしていたところ、たまたまその視界に入っていたメグナが疑わしい目でこちらをにらんできた。
「え、いや、そんなことないけど」
「んー……」
近づいてきてにらめっこのように顔を覗き込んでくる。
「ち、近いよ」
さすがに恥ずかしくなって視線をそらすと、「よし」とメグナは後ろに引いた。
「変な想像してる気配なーし」
「なんだよへんな想像って……」
気のせいかもしれないが、錠解き蛇の騒動以降メグナがなんだか過敏だった。へたすればいちゃもんつけられているのかと思うことすらある。
「やらしいのは駄目なんだからね」
「分かってるよ」
口を尖らせて言うと、メグナはようやく笑ってこちらの額を小突いた。




