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シャール・マールの研究室

 ゴナ市から帰還して数日。街は、クリューブスの手による破壊痕をいくつか残しているものの、それ以外はつつがなく日常生活を送っているようだった。流れるように滑らかな家並みがあり、いつまで眺めていても飽きることのない家々の色彩の調和がある。


 そう、調和だ。それがこの都市の構築思想である。一つ一つ全ての要素が関係しあい、響き合う、そういった理想。孤独への抵抗。この街は結びつきあってできている。だから、ここでは取り残され孤立するものはない。


「――んだよね……?」

「ええと、わたしに訊かれても……」


 省吾の問いに、メグナは困ったようにうめいてみせた。


「まあ、そういうものなのよ」

「いや、でも、これはなんだかおかしいよ」

「おかしいけど、そういうものなの。……おかしいけど」


 省吾が指さす先にあるのは、先ほど見つけた、重々しい雰囲気の大きな鉄扉だ。赤錆が少し浮いていて、取っ手もギザギザ。つかめば手に傷が付きそうである。


 それでもまあ、重々しい扉があるというだけならば異世界に来たのであるし、おかしいと言うほどでもなかった。問題といえばだ。


「この世界ではオフィスにこういうのがあるのが普通なの?」

「ふ、普通じゃないけど」

「調和の街なのに明らかに浮いてる……」

「う、浮いてるけど!」


 メグナはまるでそれを自分の恥と感じているかのごとく必死に言葉を重ねた。


「仕方ないじゃない、シャールがそうしたいって思ったことを止めるなんて誰にもできっこないんだから!」

「ああ、これシャールかあ……」


 妙に納得して省吾は頷いた。あの変な妖精を制御するなんて、確かに誰にもできないに違いない。

 それにしても、といつの間にかオフィスの壁面に出現したその鉄扉を見つめる。


「前からあったっけ、この扉」

「ううん。いつもはしまわれてるみたい。シャールが入りたいときに引っ張りだすんだって」

「引っ張りだす?」

「うんまあ妙な表現だと思うけどね、彼女は技巧妖精族だしいろいろなものを作れるの。出し入れ自由な扉とかね」


 それって控えめに言ってもすさまじい発明じゃないかなあ、と省吾は思うのだが、メグナはそのあたりの感覚にピンとはこないようだった。


「だってシャールったら頻繁に出入り口をなくしちゃうもの。壁面がより有効活用できるかどうかってぐらいの便利さしかないし」


 まあそういうものらしい。


「ところで班長とカッサムさんは?」

「班長は外に出てる。用事は分からないけど。カッサムさんはいつも通り鍛錬じゃないかな」

「ふうん……」

「……入ってみる?」


 扉を眺めているとメグナが言った。


「え、でも」

「中、興味あるんじゃない?」

「いや、そんなには」

「わたしは久しぶりだから見ときたいかなって。付き合ってくれない?」

「でもシャールが怒るんじゃ?」


 むーっ、とメグナが頬を膨らませた。


「どっちかっていうとわたしたちの方がいつもシャールに苛立たせられてるじゃない。たまには攻守交替すべきよ」

「そういう問題かな」

「じゃあさ、こうしよ。シャールの姿が見えないものだから心配して様子を見に来た。ね?」

「いや、ね? って……」


 なにやら目を輝かせるメグナから後ずさる。

 と、その時、重いものが軋むような音がした。そちらを見ると、扉が、わずかに隙間を開けている。まるで、無知なるものを誘い込む怪しげな罠のように……


「ほら、シャールも入っていいって!」

「えー……僕はものすさまじく気が進まないんだけど……」


 メグナに手を引かれて、省吾は重い足を扉の向こうへと進めていった。



 中は思ったより広く、通路のようになっていた。壁全体がぼんやりと発光していてそれなりに明るい。守護隊庁舎の内部であるはずなのに、どこか湿った洞窟の中のような光景に見えるのが不思議ではあったけれど。


「内装はシャールが自由に変えられるみたい」


 奥へと進みながら説明するメグナに省吾は訊いた。


「ここは一体何なの?」

「あれ、言ってなかったっけ。研究室だよ」

「研究室?」

「そう。技巧妖精族エリート中のエリート、シャール・マール・ラトルの研究室っていったら結構有名なの。ここで作りだされる研究成果が傀儡対策に役立つことも多いんだ」


 省吾は自分を助けてくれた衝撃吸収マットや小さな翼を思い出した。


「ゴナ市でも見たと思うけどカッサムさんが使う武器を作っているのもシャール。普通の武器では傷一つつけられない傀儡に通じる武器を作れるのは、多分シャールだけなんじゃないかな。あとこれ」


 メグナは髪をかき上げてイヤリングを示す。


「それが?」

「魔力増幅具。……というのは嘘だけど。でも気に入ってるんだ。これを意識すると落ち着くし。魔法は集中が大事だから。そういう意味では役に立ってるの」

「へえ、すごいなあ。あんな変な妖精なのに」

「あはは。でもね、想像つくかもしれないけど失敗作も多くてね。あれ見て」


 メグナが指さす先を見ると、壁の高いところに虫かごのような物がぶら下がっていた。背伸びして覗き込むと、何やらバッタのようなものが跳ねている。だがよくよく見ると形状がバッタとは大きく異なる。


「……なにこれ。ドリル?」


 小さな工具ドリルにバッタの脚が生えたようなよくわからない生物だった。


「自分で移動して作業する工具がいたら面白かろうー、とかで作ったらしいんだけど、バッタの比率が高すぎたのか、まっさらな平地を掘り荒らして回る害虫になっちゃって」

「……こっちは?」

「空飛ぶサンドイッチ。お腹がすいたらすいっと飛んでくるサンドイッチ、がコンセプトなんだけど、これも上手くいかなかったの」

「どんなふうに?」

「自分から食べられに行く生き物はいないっていう盲点」

「ああなるほど……」


 話しているうちに洞窟の奥へと到達したようだった。小さな背中が見えてきていた。


「うーん、うーん……」


 シャールは何やら地べたで頭を抱えていた。その目の前には彼女がすっぽり入ってしまえそうな箱があって、あちこち少しばかりへこんでいる。どうやら無理やり開けようと頑張った跡に見えた。


「どうしたの?」

「あ、メグナ!」


 シャールはぱっと顔を上げて宙に舞い上がった。


「いいところに来てくれてありがたいよーグヘヘ!」

「……グヘヘってなに?」

「別に何でもなーいよん! いいところに都合のいい奴が来たとかぜーんぜん思ってない! これホント!」


 メグナはため息をついてシャールに近づいて行った。


「何? どうしたの? この箱が問題?」

「そんなとげとげしちゃやーよ。確かにこの箱が懸案事項。箱が開かなくなっちゃった」

「どうして?」

「それにはふかーいワケが。このシャール・マール・ラトルの憂いよりもさらに深い理由があるのよ?」

「相応に浅い理由ってことなのね」

「うん。鍵を中に入れたまま閉めちゃった。オートロック」


 案外あっさりと認めて、シャールはふよふよとメグナの頭の周りを回りだした。


「あたしの大事な宝箱が開かないのー助けてー」

「うるさいなー。中身はなんなの?」

「中身? うーん中身」

「ないの?」

「いや、なんていうか、この箱あたしのベッドなのね」

「は?」


 どうやら話を聞くに、箱にシーツやら毛布やらを敷き詰めて彼女専用の寝台に仕立てていたということらしい。


「……なんだ」

「なんだってなによぅ、あたし個人からしたらとてつもなく大変な問題なのに」

「開ける方法は他にないの? 鍵の他に」


 横から口をはさむ省吾にシャールは瞳をキラキラさせた。


「あるよ」

「え。あるの?」


 そそくさと一旦隅の方に退いてから、シャールは何やら曇りガラスの瓶を抱えて戻ってきた。


「はいこれ」


 差し出してくるそれを受け取って、省吾は裏表を確かめた。栓がしてあって、ビール瓶などよりは小さいが重さはそれなりにあるようだ。


「いや、なにこれ? 何も書いてないけど」

「それを開けるプリーズ! そうすれば箱も開くしみんなすごく幸せよー! でもとくにあたしが幸せ!」

「聞いてよ……」


 省吾が言うとシャールは口を尖らせた。


「ショウゴはつべこべ言わずに開ければいいんだってば。そうすれば何もかも無問題よ」

「何か企んでないでないよね?」


 メグナが明らかに疑わしき者を見る目で、というか敵を見る目でシャールを見下ろしていた。


「例えばなにか責任をわたしたちに押し付けるとか……」

「ショウゴ! レッツオープン!」


 メグナの言葉をかき消すようにシャールが声を張り上げた。

 省吾はため息をついて瓶の栓を抜いた。

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