我輩は猫になる
我輩は猫である、名前はまだ無い
ことさらに猫だというのには、もちろん理由がある
実は我輩、昨日までしがないサラリーマンであった
なにやら薄暗いオフィスで、うずくまっているだけのつまらない男であった
家にかえっても、上の空で家族と会話して、やはりそこでもうずくまり
つまらない何かをやり過ごすだけで精一杯の、実につまらない男であった
そして我輩は、猫であろうと決めた、犬や他の動物では無く猫であろうと決めた
切欠は、近所にすむ野良猫の黒であった
いや、彼を猫の師と定めた我輩が、彼を呼び捨てにするのは気が引ける
ならばここでは黒殿と、敬してそう呼ぶべきであろう
我輩は黒殿のようになりたいと、常々そう思っていた
我輩の目に付くところでは、延々と日向ぼっこしているような黒殿ではあるが
よく見ると、彼はいつも、小さな傷を体のあちこちにこさえている
きっと我が家の庭を含む、自分の縄張りを守るため
我輩の目に付かぬところで戦っているからなのだろう
昼の顔は世を忍ぶ仮の姿……
今日も今日とて黒殿は、夜になると動き出す
日中の緩慢な動きは、まるで嘘だったかのように
我が家の塀をシュッと飛び越えて、どこかへ向かうのである
それがどこなのか、我輩は知らない、誰も知ることは無い
きっと今頃黒殿は、闇夜に溶けて
我が物顔でぶいぶいと、町を歩いているのだろう
彼と比べて、つまらない昼の顔しか持たぬ我輩は
今はまだ、ただ彼に憧れるだけの、まだまだ未熟な半人前である
だがしかし……
我輩は猫である、名前はまだ無いけれど
今日から猫であろうと、今日決めたのだから
誰がなんと言おうと、我輩は猫である。