STAGE6:一家の団欒
『白いの』と契約してから、明雄は本格的にシェイドとの戦いに身を投じ始めた。鍛錬を欠かさず、『白いの』とのコミュニケーションも積極的に行い、人間界にただならぬ興味を示す『白いの』に人間の暮らしや文化についてたくさん教えたりもした。
ときおり家族のことも話し、「顔を見せに行かなくていいのか」と『白いの』から心配されることもあった。そうしながら楽しいことも辛いことも『白いの』と一緒に乗り越えていったのだ。その間に絆もより深くなっていった。
――それから2年。明雄はエスパーとしての腕を磨き上げ、より強く、よりたくましくなっていた。だが今は戦いの場ではなく、滋賀県大津市の浜大津の住宅街にある自宅で一時の休息を過ごしていた。
「なあ、お父さーん。仕事すんのって大変なん?」
「ん? ああ、大変って言っちゃ大変だな。でもな、どんなに大変なことがあってもそれを乗り越えなきゃ生きていけないんだぞー、健」
「うん、わかった。僕、大人になったら頑張ってみるー!」
明雄が息子の名を呼ぶ。彼は健といって、10歳ほどの幼い男の子。髪型は茶色の外ハネの短髪でやんちゃで元気いっぱいな育ち盛りで、それでいて心優しい。
彼がその場にいるだけで他のものもみんな元気になれる。そんな彼の夢は、大きくなったら父のような立派な大人になることだという。――実に一途で健気である。
「あ、話の途中で悪いんやけど……なあ、ちょっといいか?」
「綾子ねえちゃん」
そこに健より年上の少女が割って入る。髪型は黒いセミロングで、瞳は緑色のツリ目。少し大人びたその外見からして中学生ぐらいだろうか?
彼女は可愛らしいカエルのキャラクターが描かれたグリーンのシャツを着ており、その下にはジーンズを穿いていた。
「あんなあ、健。大人になってから頑張るって言ってるけど……今から頑張らなあかんよ」
「え、なんでや?」
「なんでってあんた……今のうちから頑張って勉強せな、中学にも高校にも、大学にも行けへんねんで」
「う、うん」
「遊ぶのもええけど、たまには勉強もちゃんとしぃや。頑張ったらお母さんからご褒美もらえると思うし」
真面目そうに少女――綾子が言う。彼女は明雄の娘で、この一家の長女。明るく真面目な性格の姉御肌で、現在は英会話を中心に勉強に励んでいる。その傍らでギターを弾いてみたり動画サイトを漁ったりと多趣味な一面も持つ。
部活は軽音楽部をやっているらしく、毎日仲間と楽しく過ごしてるのだとか。健とはケンカすることが多いが、仲が悪いわけではなくむしろ仲良しこよしだ。「綾子はしっかり者だなぁ」と、そんな娘の姿を見て明雄が微笑んだ。
「え? あ、ああ、うん。お父さんおらんこと多いから、ウチがしっかりせなあかんって思っただけやけど」
「そうか。どっちにしろいいことだ。でもお前も頑張んなきゃダメだぞ、綾子」
「も、もちろんや!」
照れ臭そうにする娘を見て明雄が笑う。「何か見るもんあったら言ってくれ」と言いながら、彼はテレビの電源を点けて適当にチャンネルを回す。
たまたまバラエティ番組がやっていたチャンネルに回すと、綾子も健も父が座っているソファーから少し離れて食い入るように見つめる。お笑い芸人がおもしろいギャグをかました途端、三人揃って心から大爆笑。とくに健は笑いすぎで腹がよじれそうなぐらいだ。
「みんな楽しそうやねぇ~」
「ははは、久々に帰ってきたからな。ここは楽しんどかないと」
そこにおっとりした声と共に黒髪ロングヘアーの女性が入ってくる。取り込んだ洗濯物をカゴに置くと、その女性は明雄の隣に座った。明雄の妻にして綾子と健の母であるさとみだ。優しげなタレ目に少し憂いを帯びた母性的な雰囲気、そして年齢を感じさせないほどの美貌。
それも隣人からちょくちょく羨ましがられるほどだ。更に彼女は胸が大きい。見た目も良ければ器量も良い。明雄とは幼馴染みで彼の最大の理解者であり、相談にもたびたび乗るなどして夫を支えている。いろんな意味で明雄は彼女と結婚してよかったと思っている。それほどまでに彼女はよき妻なのだ。
「ところでみんな、ジュースとかおやつとかいる?」
さとみが笑顔をたたえながら三人に聞く。満場一致で「欲しい、欲しい!」「ちょうだい!」「俺も俺も!」と声が飛び交い、それを聞き届けたさとみは「了解しました。ちょっと待っててな~」とおやつと飲み物を取りに行った。少しの間待つとすぐにさとみがおやつを乗せたトレイを持って来た。おせんべいにポテトチップス、そしてオレンジジュースだ。
「おまちどおさま! それじゃ、みんなで……」
四人座って手をあわせ、食事前には欠かせないあいさつ。
「いっただきまーす!!」
みんなおなかを空かせていたのか、器に盛られていたポテトチップスやおせんべいがどんどん減っていく。もちろん食べるだけではなく、おしゃべりをしたりテレビを見たりと楽しい時間を思い思いのままに過ごした。
だが楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、器には食べかすだけが残った。ジュースはまだ少しだけ残っている。おやつを食べた後もテレビを見ながら一服する東條家。和気藹々とした空気の中で談笑しているところで、座敷の方に置かれていた明雄の携帯電話から音が鳴り響く。
「明雄さん、ケータイ鳴ってるで」
「うん? そうか、わかった!」
さとみから促され、明雄は座敷まで携帯電話を取りに行く。相手は神田だった。何かあったのだろうか。まさか、シェイドが発生したとか――。少し心配になりながら明雄は電話に出る。
「もしもし、東條だ」
「明雄か!? さっき山科の方でシェイドが出た! 急いでこっちまで来てくれ!!」
「山科に? わかった、すぐ行く!」
神田は慌てた様子で電話越しに呼びかけてきた。どうやら山科でシェイドが発生したらしい。家族との楽しい団欒のひとときを終わらせてしまうのは少々気が滅入るが――ここは現地に向かわなければ。
コートを羽織り荷物をカバンに詰めると明雄は玄関へ向かう。心配になったさとみと綾子、そして健は彼を見送ろうと着いていく。
「お父さん、急にどこ行くん?」
健が少し心配そうな顔で訊ねる。
「すまん、急に仕事の話が来ちまった。すぐには戻れないかもしれん」
「えっ……」
「でも大丈夫だ。俺は必ずここに戻ってくる。だから少しの間だけ待っててくれ」
そんな健に微笑みながら語りかける明雄。「お父さん……無理せんといてな」「必ず帰ってきてや!」と綾子とさとみも彼に言葉をかけた。
「ああ。それじゃ、行ってきます!」
彼はそう言って家から飛び出した。その光景を見届けたさとみ達は、ひとまずリビングへと戻る。少しばかり不安げになりながら――。
「……ホンマに、大丈夫かな~……」
「お母さん、そんな暗い顔してどうしたん?」
座って早々にさとみが表情を曇らせる。いったいどうしたのかと、綾子がさとみに訊ねた。
「いや、ちょっとな。お父さん、ようケガして帰ってきはるから……」
――さとみはふと、以前明雄が出張から帰ってきたときの事を思い出していた。その時明雄は包帯を体のあちこちに巻いており、見るからに痛々しく思わず見るのをためらってしまう姿をしていた。何があったのかを聞くと、彼は「仕事先から帰る途中で大怪我を負ってしまった」とだけ答えた。
念のため本当にそうだったのかを疑問に思って聞いてみたが、そこから彼は何も言わなかった。さとみとしてはできれば彼のことを信じたかった。でも一瞬だけとはいえ長年連れ添ってきた夫のことを疑ってしまったのだ。自分たちに内緒で何か危険な事をしているのではないか、と――。少し後ろめたいものがあった。
「何にも起きひんかったらいいんやけど~……」