STAGE3:『白いの』
「……」
それからしばらく経って白髪の女性が目を覚ます。状況を把握するために辺りを見渡すと、そこは薄暗い洞窟の中だった。明かりはほとんどなく、近くで燃えている焚き火ぐらい。これは、誰かが自分を助けて面倒も見てくれたということなのか? だが、それよりもまず、彼女にはひとつ大きな疑問があった。――目線の高さ、それから体積や肉感が違う。気になってふと手を見てみれば、それは人のものになっていたではないか。ということは、あのあと無意識のうちに――?
「おっ、ようやく目を覚ましたか」
「……ここは……?」
「さっきあんたが倒れていたところの近くにあったホラ穴さ」
「そうか、私は……」
――今傍らに居るこの男を追い払おうとして叫んだところまではしっかり覚えている。このあとに自分は力を失って、人の姿になったということか。女性は合点が行った表情を浮かべた。
「……うっ」
女性は立ち上がって外の様子を見に行こうとしたが、直後に脇腹を押さえて悶え出す。先程龍の姿で墜落した際に石が突き刺さっていた箇所だ。「待て! まだ動いちゃダメだ。安静にしないと!」と明雄は白髪の女性に呼びかけ、その場に寝かせる。カバンの中から包帯と塗り薬を取り出すと、「あんた怪我人なんだからさ」
「……そんなものまで取り出して何のマネだ? まさか私のケガを治そうと……」
「ああ、そうさ。怪我してるヤツをほっとくことなんて出来ないからね」
「お主の手など借りぬとも、このくらい自分で……」
そう言いながら女性は上半身を起こす。だが、再び脇腹に開いた傷口が激痛を訴えた。女性は苦痛に喘ぎ、ひどく辛そうな顔を浮かべていた。
「だから無理しちゃダメだ! いまは大人しくしてくれ」
「わ、わかった」
相手を落ち着かせて寝かせると、明雄は女性が来ていた服のすそを捲し上げた。向かって左側の脇に先程抜いた石が突き刺さった痕があり、そこから血が出ていた。赤色だ。明雄は決して彼女の豊満な胸の下半分を見ていたわけではない、傷を見ていたのだ。仮に乳房を見ていたとしても、それはきっと気のせいだ。
「……赤い血? 君、一応シェイドだよな」
「うむ、それがどうかしたのか?」
「シェイドは紫の血を流すはず……どうなってるんだ?」
「それは、……私にもわからん」
「そうか。変なこと聞いてすまん」
血の色が何故赤いのかを彼女に訊ねるも、その理由は彼女にもわからなかった。――例外もあるが、基本的に地球上の生命体の体内に流れる血液は赤い。だが、シェイドの血の色は人間のそれとはまったく違う。毒々しくも美しい紫色だ。だが、いま明雄の目の前にいる白龍の女性の血は赤かった。ひょっとしたら彼女は、ヒトから見てもシェイドからみてもイレギュラーな存在なのかもしれない。明雄は薬を塗りながらそう思った。
「ふぅ。これでよし、と」
ケガが酷かった脇腹に薬を塗り、包帯も巻いた。これで治療はおしまいだ。だが、あくまでこれは応急処置。無闇に動いたりは出来ない。
「風月さんってお医者さんからもらった薬を塗っておいた。エスパーにも普通の人にも効く特別製だ、一晩寝たら完治するくらい良く効くぞー」
「すまぬ、助かった」
「そんな大した事してねえって」
明雄が軽く笑う。それにつられたか、やや堅い印象を与えた白髪の女性も口元を綻ばせて微笑んでいた。
「……そうだ、まだ名前を聞いていなかった。お主、名はなんと申す?」
「東條明雄ってんだ。君は?」
女性は恥らうように顔をそむける。もしや照れ臭がっているのだろうか? その横顔もまた、美しい。
「私には名前がない……お主の好きなように呼んでくれ」
「じゃ、白いの」
「むっ! 何のひねりも無いネーミングだな! 他にはないのか」
「これでも考えたほうだぞ。じゃー、どんなのが良かったんだよ?」
「……えーと、それはだな……」
「それは……?」
「シロ」
明雄は呆気にとられた。まるでペットの犬や猫ににつけるような名前ではないか。これにはポカーンと口を開けざるを得なかった。
「……暫定的に『白いの』でいい?」
「そっちの方が良さそうだ。何となく……」
こうして、名も無き白髪の女性の名が決まった。『白いの』というのはそもそも人につける名前ではない気がするが――他にいいのが思いつかなかったので仕方がないといえるだろう。それにしても不思議なもので、この白髪の女性には近寄りがたい雰囲気があったが、いざ付き合い出せばなかなか気さくでノリの良い性格であった。先程明雄を自分から遠ざけようとしたのも、何か理由があっての行動だったのかもしれない。そうしているうちに、夜が訪れた。白髪の女性は羽織っていたマントを布団代わりに、明雄は上着を布団代わりにして横になっていた。二人の横では、焚き火が静かに燃えて穴の中を照らしている。ベッドの横を照らす電気スタンドの代わり――といったところだろうか。
「……のう、明雄といったか」
「なんだ、白いの?」
「お主はいい奴だ。私は人間があまり好きではないが、お主は特別だ。裏表がなくて、何より暖かい」
「そ、そうかな……ありがとう」
寝転びながら白髪の女性が言う。その言葉には明雄への感謝だけではなく、彼への興味――いや、それ以上の何かが含まれていた。このとき彼女は少し頬を赤らめていた表情をしていたが、つまり――。
「……なあ、人間は嫌いだって君は言ってるけど、悪いところばっかりじゃないぜ。ちゃーんとイイところだってある。だから嫌いだなんて言わないでくれや」
「いや、私は人間のいいところも悪いところもすべて見てきた。その上で言っておる」
「え、じゃあ……?」
「だから完全には信用できない。お主のこともな」
一転して、白髪の女性は突き放すように明雄にそう言った。呆気にとられた曖昧な表情で、明雄は女性を見つめる。
「……だが、私は信じてみたいと思う。お主を、そして人間を」
「えっ?」
「今すぐにというわけではないがの」
長年抱いてきた考えを変えたような一言。その真意をはぐらかすように、白髪の女性は眠り始めた。彼女の言葉が気になりつつも明雄は焚き火を消す。そして、ひとまず明日に備えて寝る事にした。二人の夜は長いようで短い――。