第6話「魚屋の冷蔵迷宮:冷気は回せ、霜は育てるな」
朝の商店街は、シャッターの金属音がまだ眠そうで、路地の空気は氷砂糖みたいに透きとおっていた。
松永鮮魚の前に立つと、ドアのガスケット(パッキン)が、口の端を少しだけ噛み忘れている。……ここから“冷気”が逃げている。音の薄さと、指先の冷え方でわかる。
「新くん、来たね」
エプロンの紐をきりりと結び直した松永さんの頬は赤い。背後のプレハブ冷蔵庫から、ぶぅ……しゅうと不規則な息。
「霜、見せてもらえますか」
「朝イチの怪物を、ね」
【サブクエ:松永鮮魚“冷蔵迷宮”】
・現状:朝の“霜はがし” 18分/日、開店準備に遅延
・問題:扉開閉多→湿気流入/排水ドレン詰まり/蒸発器フィン着霜/ガスケット劣化
・目標:霜はがし時間 -70%/庫内温度安定±1.0℃/歩留まり +5%/売上 +20%(週次)
・初回達成報酬:**“冷気の回路”**設計図、祖父メモの断片
扉を開け、身をかがめて蒸発器を観察。白い結晶がフィンの谷に固まって、空気の通り道を塞いでいる。温度は2.8℃だが、風が弱い。
指で触ると、氷は**“乾いた音”。拭い水じゃなく空気中の湿気が凍っているタイプ。
内壁の角には、結露の涙跡。底のドレンパンはぬめり**がある。
「原因を切る順番を決めます」
「うん」
「①湿気の侵入、②排水の詰まり、③風の回り道、④扉の“閉じ損ね”。この順で」
①湿気の侵入
エアカーテンはない。代替として、“揺れる暖簾”を使う。
防水の透明ビニールカーテンを**“短冊に切る”のではなく、“∧∧”形の二重の“迎撃ひだ”を作る(祖父のテント生地・ミシンが火を噴く)。
扉を開けても、湿気の進入角がひだで折れて迷う。
加えて、開閉トリガで扇風機(弱)を外から内へ15°で3秒だけ送風**。外の湿気は“押し返す”。
【中間ログA】
・扉1開→庫内湿度の瞬間上昇 Δ+7% → Δ+3%
・開閉1回あたりの霜増カーブ:傾き -46%
②排水の詰まり
ドレンを外すと、魚の脂が固まり、藻のような膜。重曹+温水で溶かし、細ブラシで通す。
ドレンパンを5mm前傾に調整。“迷わず流れる”を作る。
排水の音がしゅるしゅるからとことこに変わる。音は回路の健康診断だ。
【中間ログB】
・ドレン排水流速:1.2ml/s → 3.8ml/s
・庫内床の微結露:連日→雨天のみ
③風の回り道
蒸発器の前に商品箱が鎮座。風の入口を塞いでいた。
“風の路地”を作るため、商品配置を“低背・前傾”に再設計。箱の開口は風下へ。
フィンの着霜は**“風の触れ合い”で遅くなる。
必要最小限のガイド板**(PP板)で空気の曲がり角に半径を与える。角は霜を呼ぶから。
【中間ログC】
・蒸発器前後の温度差 Δ1.4℃ → Δ0.5℃
・ファン風速:1.8 → 2.6 m/s(障害除去後)
④扉の“閉じ損ね”
ガスケット(パッキン)は一辺がカチカチ。70℃のお湯でやわらげ、ドライヤーで形状記憶を“呼び戻す”。
紙一枚テストで四辺をチェック。抵抗が弱い辺にマグネットテープを細く貼り、“最後のキス”を確実に。
取っ手の戻りバネが弱いので、“重力ハンドル”を自作。取っ手の下端に小さな鉛の重りを内蔵し、手を離すと自然と吸着。
【中間ログD】
・扉閉め忘れ頻度:1日3回 → 1回未満
・庫内温度の“怒りの波”:±2.1℃ → ±0.7℃
ここまでやって、霜はがしの本丸へ。
“削る”のではなく、“育たないようにする”。
蒸発器の霜の核はフィンの一番手前の角に生まれる。そこへ**“疎水コート”(食品対応シリコーンの極薄塗布)を点だけ置き、霜の付着座を滑らせる**。
さらに**“デフロスト(霜取り)”のタイミングを“開店前の湿度最低時”**へ手動で合わせる。
時間は短く、回数は少なく、効果は鋭く。短剣で仕留める方式。
【霜取り試験】
・従来:朝イチ18分→日中不定期6分×2回
・新法:開店前8分→日中0~1回(雨天時のみ4分)
・ファン再立ち上がり時間:3分 → 1分
「音が軽い」
松永さんの声も軽い。庫内を覗く目が、さかなを見る目に戻っている。
「“冷気の回路”、描けました」
「回路?」
「**冷たい空気の“行って戻る”を、迷わない線にしました。家の避難路と同じです」
「冷気も道がいるんだね」
「冷気にも“往復”**がある。迷うと、霜になる」
商品側のUIも整える。
“温度の地層”に合わせて並べ方を変える。
下段(冷え強):刺身用柵、貝。
中段:切り身、漬け。
上段(冷え弱):干物、加工。
“朝→昼→夕”の回転方向に沿って手前に売りたいものを滑らせる“傾斜5mm”。
値札は、**価格だけじゃなく“食べる手順”**を添える。
×「サバ 280円」→◯「サバ 280円/今日焼いて明日おにぎり」
×「アジ 180円」→◯「アジ 180円/今夜なめろう→明朝味噌汁」
**“迷いの短縮券”**は、客にも効く。
【販売ログ(初日暫定)】
・平均滞在時間:4分10秒 → 3分15秒(回転↑)
・“悩み顔→決断顔” 移行率:体感↑
・廃棄率(切り身):-2.1%(初日)
昼、斉藤が学校帰りに寄る。
「氷の匂いが“痛くない”」
「風が角でひっかかってないからね」
「角は霜を呼ぶ……メモメモ」
彼は冷蔵庫のひだ暖簾を見て「剣みたい」。
「ひだ剣、ね」
「今日は何がドロップ?」
「これ」
松永さんが持ってきたのは、小ぶりのサバ。
「お礼の貨幣」
さっきの冗談を覚えていてくれたらしい。
「貨幣で、今日の夕飯が決まった」
作業の仕上げに、“冷気の回路”を紙にも描く。
庫内の風の入口→商品→壁→戻りまで、矢印と半径。
“角は丸く”、“流す→ためる→渡す”。押入れの三動詞は、ここでも通用する。
祖父のメモが、エプロンのポケットから出てくるみたいに、すっと心に刺さった。
〈冷たいものは、静かに運べ。早すぎると割れる。遅すぎると痛む。〉
夕方、開店のピーク。
庫内温度は1.9~2.6℃の間で安定、ファン音は一定、霜の兆しは角に点で出るだけ。
松永さんは手の往復が短くなり、笑う回数が増えた。
笑いは売り場の温度を0.5℃上げる(主観)。
【クリアログ】
・霜はがし時間 18分 → 5分(-72%)
・庫内温度安定 ±2.1℃ → ±0.6℃
・廃棄率(週次見込み) -5~-7% → -9%期待
・歩留まり +5.8%(初日推定)
・売上:土曜比較 +22%(暫定)
店じまいのころ、冷蔵庫の息がぶぅ……しゅうから、ふう……ふうに変わった。
機械も、呼吸が合うと長生きする。
「新くん」
「はい」
「路地の夜、暗くてね。帰りの客、足元おぼつかない。足元灯、君の“星”を借りられる?」
「路地UI、行きましょう。安心度+18%、取りに行く」
帰り道、サバの銀色が買い物袋の内側で星みたいに光る。
家に戻ると、床はやさしく、押入れは静か。
冷気の回路図を日記に貼り、祖父の言葉を書き写す。
剣は今日も切らない。
守って、軽くして、うまくする。
――今回の成果――
霜はがし 18分 → 5分(-72%)
庫内温度安定 ±2.1℃ → ±0.6℃
ドレン排水 1.2ml/s → 3.8ml/s
開閉1回あたり湿度上昇 Δ+7% → Δ+3%
蒸発器前後 Δ1.4℃ → Δ0.5℃
売上(暫定) +22%/廃棄率 -9%期待
ドロップ:“冷気の回路”設計図、ひだ暖簾レシピ、祖父メモ〈冷たいものは静かに運べ〉
次のクエスト候補:①路地の夜(足元灯で安心度+18%) ②洗濯の滝(乾燥効率+25%) ③コミュニティ回路(町内会UI)
次回、「路地の夜」。暗さの“角”を削り、足音のBPMをそろえる。帰り道にも、やさしい剣を配備しよう。