第3話「台所三角ルート:包丁の移動距離を笑えるほど短く」
朝、台所の床に裸足で立つ。
昨日より、足の裏が“同意”してくれている。
シンク、コンロ、冷蔵庫。三点が三角形を作っているはずなのに、僕の動線はいつも台形、たまに迷子。今日はここを三角ルートに仕立て直す。
【第三層:台所三角ルート最適化】
・現状:包丁→水→火 の一料理あたり平均歩数 86歩
・課題:一時置き過多/導線交差/収納の“高重低軽”逆転
・目標:歩数 -30%/調理時間 -17%/皿洗い開始までの心理抵抗 -40%
・初回達成報酬:ワークトップ延長“カケラ板”設計図、祖父メモの断片
**“心理抵抗 -40%”**という謎の数値に、朝から救われる人類が何人いるだろう。僕は包丁を研いで、キュウリを一本出す。ベンチマーク食材。
タイマーをポチる。現状測定だ。
冷蔵庫へ3歩。扉オープン、キュウリ救出。冷蔵庫の内側のポケットに醤油、味噌、ケチャップ、そしてなぜか釘。祖父よ。
シンクへ5歩、洗う。水切りカゴが幅を利かせていて、まな板の置き場が狭い。まな板のために余計な体ひねり。コンロの前の小さなスペースに皿を一時置き→再び戻す。
タイマー止める。
「キュウリ一本、27歩」。この国のGDPを上げるために、まずは僕の歩数を下げよう。
【現状ログ】
・キュウリ一本:27歩/47秒
・一時置き回数:4
・交差回数:3(冷蔵庫→シンク→コンロ→シンク)
・主なイラつき:水切りカゴの覇権、コンロ右の“謎の死角”、包丁の定位置が遠い
UIが“イラつき”までログるの、ちょっと恥ずかしい。でも、こういう羞恥は改善の燃料だ。
配置戦。
冷蔵庫の位置を10cm左へ滑らせる。床に薄い家具スライダーを敷くと、巨大な箱が猫みたいにすべる。
次に、シンク右の水切りカゴを撤去——は怖いので、**“垂直退避”**を選択。吊り戸棚の下に折りたたみレールを取り付け、水切りを“空中”へ収納できるようにする。普段は畳んで、必要な時だけ降りてくる。
まな板の定位置は、シンクの“手前右45°”に変更。右利きの肘がぶつからない角度。コンロ前の死角には“カケラ板”——祖父の端材コレクションから、分厚い一枚を選んでワークトップの延長を作る。Cクランプでがっちり固定。
【小実験】
・冷蔵庫-シンク距離 170cm → 142cm(-28cm)
・シンク右45°にまな板→体ひねり -60%
・カケラ板導入→置き直し“ゼロ手”達成
カケラ板、最高。**料理の“一時置き0.7手”が“0手”になった瞬間、世界が一段明るくなる。
包丁の定位置も手前右に。引き出しの中は、“仲良し収納”をやめて“仕事別収納”**へ。
×「包丁・ピーラー・ピザカッター・はさみ」→◯「切る(包丁・はさみ)」「削る(ピーラー)」「遊ぶ(ピザカッター)」
遊ぶ、は真面目な料理の敵なので、奥へ追放。ピザ、君は週末の友達だ。
祖父の鉋に触れると、木の匂いがふっと立つ。鉋屑を一筋、カケラ板の縁に巻きつける。滑り止めになる。
祖父の字が、戸棚の奥から出てきた。
〈台所の剣は“余白”。余白がないと、人は戦で負ける。〉
余白。
料理でも、人生でも、余白がないと旨みに気づく余裕がなくなる。
ワークトップの可用面積を2500cm²→3800cm²に拡張。数字って、勇気。
もう一度、キュウリ。
タイマー、スタート。冷蔵庫→シンク→まな板→包丁→塩→ボウル……体が、直角に折れず、弧を描く。
タイマー、ストップ。
「キュウリ一本、16歩/35秒」。歩数 -40%、時間 -25%。
UIが小さく拍手する。
【中間更新】
・歩数:27 → 16(-40%)
・時間:47秒 → 35秒(-25%)
・一時置き回数:4 → 1
・交差:3 → 1
・主なイラつき:水切り覇権→影響小/死角→解消
勢いのまま、**鍋・フライパンの“腕長”を測る。
重い鍋ほど腰の高さ、軽いフライパンは肩より下。“高軽低重”の原則に合わせて棚を入れ替える。
調味料は“使用頻度の地層”で並べ替え。前列:塩・醤油・油、二列目:みりん・酒、奥:オイスター・忘れがちなスパイス。ラベルは“使い方の文章”**で。
×「醤油」→◯「色をつけたい時の黒」
×「みりん」→◯「照りと甘さの橋」
×「片栗粉」→◯「とろみで救う、だいたい全部」
昼、斉藤がランドセルで寄る。
「今日、先生が“家庭科は安全第一”って。新さんの家、なんか空気が丸い」
「空気にも角があるからね。今日は三角を丸くした」
「三角を丸く?」
「シンク、コンロ、冷蔵庫の三角。動くたびに角にぶつかってたから、流れるようにした」
「RPGだ……今日のドロップは?」
「“カケラ板”。世界最小の拡張。あと、これ」
戸棚から、小さなラミネートカードを出す。
“台所ミッション:一時置き0手チャレンジ”。
斉藤の目が光る。「やる。母ちゃん、いつも“ちょっと置く”で怒るから」
「“ちょっと置く”は敵が強い場所なんだ。味方を増やせば勝てる」
「味方?」
「余白と、定位置と、ラベル」
斉藤は神妙に頷いた。「剣が三本……」
「そう。余白剣、定位置剣、ラベル剣。 なお、見た目は剣じゃない」
「でもかっこいい」
彼はランドセルにミッションカードを差し込んで、走っていった。背中の角が、昨日より丸い。
午後、“皿洗い開始までの心理抵抗 -40%”を狙う。
問題は“水切りカゴが山脈化してモチベを粉砕する現象”。
対策は二段。
①“流す→拭く→しまう”の三拍子を“流す→しまう”の二拍子に。
吸水マットをやめて、直乾式に。端に微傾斜を作り、自然落水。
②“洗う前”に**“分類時間ゼロ”を作る。
ボウルの底に磁気タグ**(祖父のラジオ部品)を貼り、シンクの左に「金属→磁石で引っ付くものの場所」右に「引っ付かないもの」の場所。洗う前に分かれて勝手に並ぶ。
【皿洗い実験】
・開始までの“よし行くか”待機 38秒 → 20秒
・洗い終わり→しまい終わり 6分40秒 → 5分05秒
・水切り山脈形成頻度 週5 → 週1(推定)
進捗が甘い匂いを出す。
ついでに**“音”も整える。コンロの点火音、シンクの水音、冷蔵庫の吐息――三拍子のテンポを70BPMにそろえる。
調理は音楽。一定のテンポは“迷いの短縮券”**を発行する。
カケラ板をトントンと叩く音がメトロノーム代わり。祖父はきっと笑っている。
夕方、小鍋でかきたま汁。卵を割る位置も**“直下排水”**へ。殻の行方が迷子にならない。
味見。「うん、うまい」
UIが小さく踊る。
【第三層クリア!】
・初回達成報酬:ワークトップ延長“カケラ板”設計図(量産化可)
・祖父メモの断片:〈“火の前”を孤独にするな。隣に“流す”と“戻す”を置け。〉
・ボーナス:調理時間 -19%(目標超過)/皿洗い開始までの心理抵抗 -43%
夜食の前、玄関で足音。
隣の魚屋・松永さんが立っていた。商店街の生き字引。
「新くん、噂聞いたよ。家が“軽くなる道具”を落とすって?」
「道具……まあ、そんな感じです」
「うちはね、冷蔵ケースの霜が地獄なの。朝に必ず“疲れる往復”が三回ある。もし“迷いの短縮券”があるなら、うちにも配達お願いできない?」
商店街が、第二章の影を伸ばす。
「やってみます。霜対策と導線。まずは可視化から」
松永さんは目尻に皺を寄せた。「いい子だ。うちのサバ、ドロップしとくから」
「報酬、魚」
「これが貨幣だよ。町ではね」
夜、日記に書く。
**“三角を丸くする”**と、人は怒らなくなる。怒らなければ、少し優しくなる。優しさは、翌日の動線を滑らかにする。
家は、剣だ。切るためじゃなく、守るために研いでいく剣。
布団に入る。
UIが天井に薄い光で線を描く。玄関。泥。雨の日の足跡。
矢印は、くっきりと玄関に収束した。“迎撃の間”。
僕は笑って、電気を消す。
「玄関の泥、今日で終わらせよう。掃除時間、-30%取る」
――今回の成果――
キュウリ一本:27歩/47秒 → 16歩/35秒
調理時間 合計 -19%(目標 -17% 超過)
一時置き回数 4 → 1(“0手”達成場面あり)
皿洗い開始心理抵抗 -43%(38秒 → 20秒)
ワークトップ可用面積 2500cm² → 3800cm²
ドロップ:ワークトップ延長“カケラ板”設計図、祖父メモ〈余白は剣〉
次のクエスト候補:①玄関泥対策(掃除時間-30%) ②魚屋の冷蔵迷宮(売上+20%) ③耐震パズル(安全ルート可視化)